最終話 人生が喜劇なら、悲劇もまた人生
もはや出席日数よりも休みの日が増えた臼木さん。
俺は昼休みの会話を思い出しながら、放課後に敢えてあの子の元に駆け寄った。
「あのさ、臼木さん。もしよかったら一緒に帰ろうよ」
嫌とも言われなかった。
これまでの俺の愚かで情けない行為から、あの子を案じる気持ちは充分に伝わっていたのだろうか、黙って頷いてた。
それでも無言で歩き続ける俺達。
このままじゃいけないと俺が何かを喋ろうとした時、ふと公園の中にある立木が見えた。
落葉樹なのだろう。葉が全部落ちてる。
いや、かろうじて残った最後の一枚がひらひらと木枯らしに巻かれてその身を躍らせている。
あれが散る頃にはわたしももう……的な感じで病室で黄昏る哀しい入院患者の展開を想像した俺は慌てて別の道を指差した。
「あっ、臼木さん。あっちの道で帰ろうよ。なんとなく風水的にこっちは良くないみたいだからさ」
彼女はその提案に素直に乗ってくれたので、俺達は通りの角を曲がった。
今度はどうしたことか、通りの向こうからは院外に散歩に来たと思われる看護師と膝と肩に厚手の毛布を掛けた車椅子の老婆が近づいてきた。
おばあさんは闘病のせいかすっかり枯れていたが、穏やかな笑みを浮かべている。
やめろよ、なんか最後のお散歩っぽいじゃねぇか。
「いや、やっぱ北風で身体を冷やすと悪いから、向こうの地下道でショートカットしようか?」
俺は焦って通りを横切る横断歩道じゃなくて、地下道を指し示した。
「でも階段はちょっとつらいかな……」
「あぁ、そうだよね。俺も気が利かなったね」
乾いた笑い声を上げながら所在無さげに頭を掻く俺。
ホントにだらしないことだ。
それになんでこう、晩秋に似合う儚い終わりを想起させるようなものとばかり出会うんだよ。
俺は間が持たずについ軽口を叩かずにはいられなかった。
「しかしまぁ、アレだよね。冬が近づくと一年が終わったなって思うよね」
「そうだね、でもわたしは秋は好きじゃないな。これから長い冬が始まるって思うと気持ちが沈んじゃうの」
「あー、そういう見方もあるよね。じゃあ臼木さんは春がいいのかな?」
「でも桜ってすぐに散るし、春だなって思える季節は短いのがイヤなの」
「なるほどね。そしたら、アレだ。夏がいいよね。蝉も蚊も雷もうるさいし、みんなが生きてるって感じするじゃん」
もう俺が何を言っても薄ら寒い物を感じる。
もちろん臼木さんだってそれで明るく振る舞える程の体力がある訳じゃない。
もはや完全敗北。
健太の胸に押し寄せるのは、己への恥ずかしさのみであった。
このまま佐智を救う事すら叶わない。
彼女の病いのことを思い返した健太には、儚く散るその命を前にして再び込み上げる物があった。懸命に平静を装うが赤く目を腫らせた自分の姿を見て、佐智が全てを察してしまうのではないかとの不安もある。
だが、今の彼はなりふり構わずには居られなかった。
「俺、臼木さんに何もできない自分がみじめで情けないよ……」
途端に堪えきれずに嗚咽を漏らす健太を見て、佐智も思わず歩を止めた。
何度も袖で涙を拭った健太は、改めて佐智に向き合う。
「俺、臼木さんのこと好きだった。臼木さんともっと仲良くなっていろんな話をしたかった。でもそんなの今はもうどうでもいい。臼木さんの病気のこと、知っちゃったんだよ。だから俺はなにか力になりたい。元気になって欲しい。身勝手な事を言ってるかもしれないけど、臼木さんには治療を諦めないで頑張って欲しいんだ」
健太は涙で濡れた掌をセーターで拭くと、佐智の前に差し出した。
それから、彼女の両の手の柔らかな指先をそっと包む。
「臼木さん。お願いだから俺にもう少し一緒の時間をください!」
頭を下げて懇願する健太の姿を見て、佐智は吹き出してしまった。
あまりに情けなくもあるが、健気で素直。
これまでは妙に取り繕って、時におどけて、付かず離れずそばにいてくれた彼の、それが本当の気持ちだと、すぐに佐智も分かったからだ。
「うん、ありがとう。榎戸くん。でもわたしだけじゃないんだよ」
その真意を図りかねた健太は、頭を上げて佐智の目を見る。
「だって、わたしも榎戸くんもこんな状況だし」
そう言われた俺は、左側から聞こえるクラクションに視線を向けた。
俺達が今いるのは横断歩道のど真ん中。
そこで急に歩くのをやめたから当然、歩道は赤信号だ。
一方、道路からは猛スピードで走る大型トラックが突進してくる。
ははぁ、なるほど。
要するに俺も臼木さんも儚い命を散らすってことかぁ――。
――うぉい! そんなことで終わってたまるかよ!
身動きもできない俺達に向かってトラックが視界いっぱいに迫った。
その時、俺の手を握り返すように、臼木さんの指に力が入った気がした。
「あら、気がつきましたのね?」
どうやら俺は眠っていたみたいだ。
ゆっくりと瞼を開くと、俺の知らないオッサンやオバサンが涙をこぼしながら俺の手を握っていた。
今の俺はベッドで横になってるようだが、どうにも息苦しい。
胸の上になんらかの物が乗って肺を圧迫しているせいだ。
そうかと思うと、股の付け根がスースーする。なにか有るはずのモノが無い。
するとどこか見慣れた顔の看護師が俺の顔を覗き込む。
「小院瀬見ホールディングスの医療・製薬部門で開発された新薬の治験が成功しましたの。あなたは重度の『白馬に乗った王子様に言い寄られたい女子症候群』を患っていたのですが、それもすっかり治ったみたいですわね」
手鏡を渡された俺は自分の顔を見た。
そこに映っていたのは、これまた見慣れた臼木さんの顔。
ははぁ、つまり俺は臼木さんの病いが創り出した妄想の産物で、最初から居なかったってことか。だとしたら胸についた重苦しい脂肪の塊も、股間がスースーするのも全て理解
おまけに薬も効いて病気も治ったみたいだし、こんな嬉しいこと無いわ。
わたしはゆっくりと身体を起こすと、窓の外の景色を見た。
たぶん外は冬なんだろう。
木枯らしに巻かれて葉がぜんぶ落ちた街路樹がある。
だけど、わたしの心の中はまるで春のように暖かな気持ちになった。
「なんか男の子っぽい悪い憑き物が落ちてよかった」
全くその通りだ。
良かったね、臼木さん。
いやいやいや、おいおい、ちょちょちょ、俺の存在、全否定かよ!
つーか、夢オチでこのラストってアリか!?
これは泣くに泣かれぬモブだよ!!
『もういいわ! いい加減にしろ!』
その俺の声をきっかけに、また視界が暗転する――。
「お待たせ、臼木さん」
「もう、健太くんったら。『佐智』でいいよって言ってるじゃない」
俺は予備校に近い駅の改札で臼木さんと待ち合わせをしていた。
彼女は結局、病気が完治するまでに大学受験が間に合わず、自分で言うのも何だがそんなあの子を甲斐甲斐しく看病していた俺も、大学共通テストでダダ滑りした。
だもんで、周囲の連中は大学進学なり就職なりしたが、俺達だけ予備校生。
オトナとコドモの間。
青年と少年の狭間。
高校生と卒業後というどの物語にも当てはまらない時間のエアポケットに落ちた俺達は日々、予備校に通うだけだ。
でも俺は臼木さんが隣に居る事が嬉しくて仕方ない。
悲劇を精一杯に演じなければ喜劇にもならない――昭和時代に活躍したコメディ俳優も、そんな事を言ってたみたいだ。
駅前のロータリーには桜の樹が植えられている。
どいつもこいつも既に桃色の小さな葉を落として、すっかり春らしさは失われていたが、それでもやっぱり長く暗い冬を終えたって感慨に耽るには充分だ。
「ねぇ健太くん。わたしたちこれからまた一年間も受験のために勉強しなきゃいけないなんてずいぶんな悲劇だと思わない?」
俺の顔を見ながら意地悪く笑う臼木さんの――佐智の言葉を受けて俺はどう返そうかとしばらく悩んだが、すぐに考えるのをやめた。
拾ったあの手帳がラブコメの神様じゃなくてお笑いの神様だったのなら、こう言えと指示するはずだ。
これは俺達ふたりで創るこれから先の物語の冒頭部分だから。
言わばネタのツカミの前だ。
「ホントにねぇ。俺達も頑張っていかないとしょうがないな~って思ってるけどね」
この純文学的ラブコメ感! 邑楽 じゅん @heinrich1077
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