第8話.堕ちる、青白き高貴なる者

 夜。


 ひとしきり……当たり前のように、肌を重ね合った後。


 落ち着いたのか、キキに続きを止められました。



 珍しい。まだ満足される頃合いでは、ないはずですが。


 正直。ここで止められて……そこが埋まっていないのは。


 さみしく思います。



 最初はキキが、ひたすらに貪るようでしたのに。


 わたくしはすっかり、虜にされてしまったようです。


 一度始めれば、もう堪えなどききません。



 良すぎるから考え事をしている、などと。


 あの頃は、まだずいぶん余裕がありましたね。



 衣を着直し、様子を伺っていると。



「……魔女、とは。なんでしょう」



 漠然としたことを、キキが呟きました。



 なるほど。帝国では特に教わったりはしないのですね。


 西の国々でも、ところによりおとぎ話として残る、くらいですが。



「精霊を支配するのではなく、精霊と共に在るものです。


 もちろん、不死人とも違います。


 ほら、わたくしたちを精霊の道から叩きだした女人がいたでしょう」


「ああ、はい。もしかして」


「あの方が灰臓かいぞうの魔女、その人です。


 わたくしは一度道を出た後、文句を言いに戻って、そのまま弟子入りしました」



 なぜキキは少し身を引いたのでしょう。



「道士とは違う、ということでしょうか」


「そうですね……」



 いつでも手の届く位置に置いてある、筆を手に取ります。


 これは、わたくしが時間をかけ、帝国に来てから作り上げたもの。


 ただの筆では……やはり馴染みませんでしたので。



「あなたたちが、紙を使うように。


 魔女はインク……墨を使います。


 このように」



 筆先が黒くにじんでいき。


 わたくしがそれを振るうと……影のような黒い猫になりました。



 特に命も与えていないそれは、近くの闇に消えていきました。



「これ、は。式のような」


墨霊ぼくりょうといいます」



 余談ですが。


 空に文字が浮かぶのは、魔女の技ではありません。


 わたくしにも、よくわからないのですよね。



 ただそうして書くと、よく伝わります。


 内容、気持ち等々。



 そして……快くお返事をいただける。



 わたくしが、少し人より多くのことを把握しているのは。


 そうして行った、夥しい数の手紙のやりとりの賜物です。



「使う物が違うだけで、道士と大きな違いはありません。


 まじないにも通じます」


「なるほど……」



 もちろん、小さく……重要な違いはいくつか、あります。


 精霊不死人を精霊に戻す、というのもその一つ。


 まぁこれは、魔女の技だけではできないのですが。



 あとはそう、呪いを制御できること、でしょうか。


 国中の呪いを、一手に引き受けたり。


 あるいは……かかっている呪いを解いたり。



 わたくしもまた、精霊の道を出たときに呪われましたが。


 それはすでにありません。


 解呪は魔女にとっては、そう難しい術ではないのですよね。



 なお、呪いは精霊の道でかかるだけのものではありません。


 人を呪い殺す、呪詛が主流です。


 精霊の呪いは死にはしない。ゆえ、呪われた人間が出来上がります。



 そして呪いのかかった人がすなわち、まじないにも通じるのです。



 ……おや?闇から猫が戻ってきました。


 そしてわたくしの、筆に入り、消えました。


 この術は。



 今撒いた猫ではありませんね。



「キキ、支度なさい」


「ぇ、このような、夜更けに、ですか?」


「訪問者です。急いで」



 着替え、寝床を整え。


 キキには庭側の方のふすまから出てもらい、控えていただきます。



 ほどなく、廊下側の引き戸が、無遠慮に開きました。



「…………男を招きこんでいるかと思ったが」



 長身、面長の……我が夫。


 ふふ。こちらが撒いたものに、かかったようですね。


 これで糸口ができました。順調です。



 わたくしは、顔を伏せがちにして答えます。



「こちらに立ち入れるのは、あなた様だけにございます。


 今宵は何用でございましょうか」


「夫が妻の寝所に立ち入って、何が悪い」



 おや、明らかに機嫌が悪い。


 わたくしのこと、所有物程度には認識しているのでしょうか。



「そのおつもりで?」


「とぼけるな。男遊びをし、孕んだと聞いたぞ。


 ここにいないとなれば、外で咥えこんでいるということか?」



 だいぶ効いていらっしゃる。


 これは良い兆候です。



「とんでもございません。わたくしの行き先は、すべて記録されております。


 紫官寮しかんりょうのお役人様方なら、すぐお答えくださるでしょう。


 お問合せいたしますか?」


「チッ。不要だ。妙な真似はするなよ。俺の代理を果たせ」


「もちろんですとも。お名前は汚しません。


 ですが……」



 わたくしはそっと、下腹を撫でる。



「孕んだのは、本当です」


「なに!?」



 確かと言い切るには、まだ早い時期ですが。


 月のものが、そう判断するに足るほど、遅れています。


 そして……確信がある。



「離縁でもなさいますか?」


「ッ……それは俺が決める。


 その男、必ず探し出して貴様の元に引きずり出してやる。


 お前の赤子もだ。育ち切ったところでな」


「なんと恐ろしい」


「フン。震えているがいい。愚かな女め」



 ぴしゃり、と戸が閉まり。


 荒々しい足音が離れていきました。


 ……ふふ。勇ましいこと。わたくしを組み伏せて、白状させる意気地もないくせに。



 それに。


 少し気をつけてみれば、衣の乱れ具合や、香り、ある種の湿度から気づいたはずなのに。


 今ここに、その間男が、いたと。男ではないですが。



 節穴ですね。


 不死人は人の営みの……想像がつかないのでしょう。



 そして。


 キキとの子は、あなたの勝手になどさせませんとも。


 この子は……切り札です。



 そういえば、キキが戻ってきませんね。


 部屋をまたぎ、反対の戸を開けると。



「…………カーラ様、今のは、その」



 顔を伏せがちに、ためらうように声を紡ぐキキ。


 真に受けられてしまいましたか。



「男を、というのは偽計です。


 あの方を居場所から誘い出す手段を、確認したかった。


 ああ、子は本当ですよ?もちろん」



 片膝をつき、俯く彼女に身を寄せて。



「あなたの子です。キキ」


「お産みになる、のですか?」


「いえ、産まれないでしょう。


 まだわたくしは、呪いを一心に受けた身ですので」



 傷は癒えましたが、呪いすべてを流しきったわけではありません。


 まともに子を産めるようになるには、まだ幾年もかかるでしょうね。



 この子の役目は、別。


 産めないからといって、産まない選択肢はないのです。


 必ず世に出してあげますからね。愛しい我が仔よ。



 そうそう。呪い……と言えば。



「キキ。早晩、命が下ると思いますので。


 オンド様に自ら志願してください」



 わたくしは寝床そばの机から一つ、開封済みの封書をもって。


 キキに渡し、中身を見せます。


 彼女のお顔に、驚愕の色が広がっていきます。



「こ、これは……!いったい、なにが」


「故郷からの便り、ですね。


 シンディ殿下には大変お世話になりましたので、迎えをお願いします」



 シンディ王女様からの、帝国官吏に見つからない、秘密の経路での手紙。


 内容としては、国の様子を伝えるものと。


 亡命のご要望です。



 ふふ。王国は惨憺たる有様のようで。



「…………まさか」



 あら、察しがついたようです。


 さすがに、わたくしと長く共にいるだけありますね。



「犯人はわたくし、です。


 どう思われます?」



 キキの瞳が、少しの月光を映し。


 妖しく、揺れています。



 ……もうその、衣の下で元気に跳ね回ってるの、隠しもいたしませんね。


 わたくしも、はしたなくも滾ってまいりました。



「さて、今日は休みましょうか。


 けれど、少し冷えてしまいましたので」



 キキの髪を梳いて。


 ほおを撫でて。



「温めてください。その口づけで」



 彼女の身が、震える。



「その。お子がいるなら、よろしくないのでは」



 情欲を隠さない瞳で申されましても。


 言い訳がほしいのですね?


 かわいい子です。



「さっきまで散々致しておいて、今さらです。


 あなたが否というなら、構いませんが」


「いえ……是非に」



 そこでしっかり欲情してくださるあたり……あなたは本当に素晴らしい。


 あの頃から変わらない。



 わたくしの伴侶はやはり、ただ一人。


 あなただけです、キキ。



 わたくしをあなたのものとし。


 あなたをもまた、取り戻します。



 多くの贄を、捧げてでも。




 ◇ ◇ ◇




 後日。


 黄暦寮に、お呼び出しを受けました。


 本日はわたくし一人。お相手はオンド様お一人。



 キキは嘆願が通り、少し遠出をしております。



「人妻と殿方で二人密会など。良い手配ではございませんね?オンド様」


「扉でもお開けしようか、ご婦人」



 老獪な笑み、というのでしょうか。


 この方は本当に、楽しそうに笑われます。


 わたくしもその真似、少しはうまくできていますでしょうか。



 わたくしの楽しさを、少しでも表せているでしょうか。



「いえ、すぐひとりでに開くでしょう」


「……そのようだ」



 わたくしはオンド様のいる執務机の脇に、控えます。


 無粋な客人のお目当ては、わたくしではなくこの方なので。



 遠くから近づく、諍いの声。


 大きな足音。


 無遠慮に開かれる、両開きの扉。



「オンド!!これはどういうことだ!!!!」



 我が夫、トライ様。


 顔は青白く、青筋もまた立ち、そして瞳は血走り。


 オンド様に向けるその手が持つは、一枚の書状。



「陛下直の罷免状にございますが。


 身内のことゆえ、仔細は黄暦寮で行えとのことで。


 私から送らせていただきました」



 なお、適切に届けたのはわたくしです。


 少々の……精霊に効くまじないをかけ。


 こうして、外に必ず出てくるように。



 あの晩と近いものですが、よく効いたご様子です。


 そうしなければ、警戒心の強いこの方は、書状を無視したでしょう。



「なんっ、なんの根拠があって!!」



 皇帝陛下の私財横領から、人身の取引、禁止薬物の取り扱い。


 犯罪組織までお持ちでしたね。こちらも摘発いたしました」


「お、俺は皇族だぞ!!」


「はい。ですので、黄暦寮顧問としてのもののみ、罪に問われます。


 全体に比べれば些事ですので、すぐ出られますよ。よかったですね。


 ――――丁重にお連れしろ。石畳はこの時期冷えますが、すぐ慣れるでしょう」



 部屋の中に現れた、顔に紙を張り付けた式。


 そして武装した兵士が、部屋の外から駆け付け。


 我が夫を捕えます。



「離せ!ぐっ、きさ、貴様か女!!」


「これは異なこと。わたくしは何もしていません」


「ご夫人はむしろ、普段通り……つまり、あなたの罪が露呈しないよう振舞われていた。


 手強い名代でしたよ」


「ならその女も同罪だ!!」


「そうは参りません。トライ様はここのところ大人しくされていました。


 罪状はすべて、カーラ夫人が来る前のもの。


 罰を受けるのは、あなたおひとりです。


 ――――おぞましい不死人め」



 オンド様の怨嗟の籠ったお声に、トライ様はかえって火がついたようで。



「そうだ、俺は不死人だ!


 貴様ら下賤がいなくなった後、必ず返り咲いてやる!!


 クク、ハハハハハハハハ!!」



 縄を打たれ、廊下を引っ立てられる高貴なお方の、哄笑がいつまでも、長く響いてきました。



 不死人は殺しても死にません。飢えない、乾かない。


 帝国がなくなるような、遠い未来でも生きているでしょう。



 ――――今この国に、魔女さえいなければ。

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