第10話.灰被りの魔女たち――――臓腑の宴へようこそ

 格子が左右に並ぶ、石畳の地下。


 わたくしを案内してくださった牢番の方は、たいまつを持って階段を上がり切り。


 今この地下は、完全な闇。



 まじないの効いたわたくしの目には、昼間と変わりがありませんが。


 かび臭いのが気になる、くらいでしょうか。



 牢は8つで、それぞれに不死人が入れられているそうです。


 ここは秘匿された、特別な牢獄。


 少し歩き……右手の最初の牢に、あの方が見えました。



 他の不死人は顔に紙の封をされていますが、この方はまだ何の処置も受けていません。



 不死人は眠りすらないらしく。


 起きて簡素な寝台に腰かけていたその方は。


 わたくしの足音に気づいたのか、緩慢にそのお顔を上げました。



 そして意外なほど素早く立ち上がり、輪郭が見えているだろうわたくしを凝視し。


 大股で歩いて格子に近寄り、鉄の棒を両の手で掴んで。


 わたくしを舐めるように見ました。



「女……貴様!」



 …………今さらですが。


 この方、わたくしの名前、知らないか覚えていないのでしょうか。



 わたくしは彼を一瞥し。


 右の肩口に両の手を掲げ。


 二度、打ち鳴らしました。



 闇に灰が満ち。


 そこは道に変わる。



 地下牢は一瞬で、精霊の道に飲み込まれました。



 下は霞を思わせる水のようですが、特に舟などなくとも歩けます。


 実際には水面、というわけではないのです。



「こ、これは精霊の!」



 格子もなくなり、8人の不死人が自由になります。


 まともに動けるのは……トライ様だけですが。



「は、はは!よくやったぞ女!」



 お喜びのようですが。


 これは、水を差してあげませんと。



「これはかつて。あなた様が、王国とのやりとりに使っていた精霊の道。


 …………王国に呪詛の法を伝えた者がいる、とあちらには記録がありますが。


 それはもしや」


「そうだ!俺が下賤なものたちに!知恵を授けてやったのだ!!」



 そう。


 わたくしの故郷を、末世に変えたのは。



     。



 わたくしは懐から、一本の筆と。


 赤い紙を取り出しました。


 わたくしが、式紙。その一枚です。



 まず、乾いた毛先にしゅをこめて。


 墨の滲んだ筆を、二度振るいます。


 灰の中に闇が生まれ、トライ様の両の手、両の足を空に縛り付けました。



「っ!?こ、まじない……だと」



 さらに。



 必要なる文……すなわち呪文が中空に浮かびます。


 これを筆に吸わせ。


 式紙へ降ろす。



 そう。


 初めにことばがあった。


 言は神と共にあった。言は神であった。



 かつて、神を四五分裂させ。


 紙に、墨に、色に分けたのが。


 この不死人たち。



 原罪に向き合うがいい。


 わたくしと共に。



「おい、何をしている」



 紙が、灰の道に落ちる。



「――――まさか、貴様!」



 哀れな人。


 最後にやっと、天敵を招いたことに。


 あるいは、潜り込まれていことに、気づくなんて。



 わたくしはそっと、下腹を撫でる。



 この紙は、彼女が作ったもの。


 この筆は、わたくしの髪から作ったもの。


 そしてここに、わたくしとキキの仔。



 ――――交われ。



 胎のうちから、ごっそりと中身が出て。


 灰から炭が、生と身を得て立ち上がる。



 神が、産まれる。



「名を与えましょう、我が仔。


 墨獣ぼくじゅう、えんき」



 七曜が火。


 その身、下半は牡羊。


 上半は赤く……四つ腕の人らしきもの。



 嗚呼、愛しき仔よ。


 会えてよかった。


 あなたを、産んであげられました。



 高い位置にあるその頬を、そっと撫でる。


 嬉しそうにわたくしの手に顔を擦り付ける、おぞましき何か。


 歓喜で、身が震えます。



「魔女!?馬鹿な!お前たちは、すべて!!」


「不死人が地上から消したはず。


 確かに、あちらにはおりませんね。


 ですが」



 わたくしは愛し仔を撫でる反対の……左手で。


 灰霞の奥を示します。



 そのヴェールの向こう。


 川のほとり。


 小山の頂。



 いたるところに……人影が。



「精霊の道はそもそも、魔女の拓いたもの。


 そしてここは、我ら臓腑orgencovenが道。


 そこをあなたが、勝手に使っていただけです」



 魔女は、精霊と共に在るもの。


 当然にここは、魔女の棲み家なのです。



「えんき。彼らを送って差し上げて。


 できるわね?」


『カ、かーちゃん。おれ、できる。やる』



 身の毛もよだつような、良いお声。


 凛々しくて、すてきです。


 初の言葉がこのように知的で、母は嬉しく思いますよ。



 まだ幼き我が仔を遣いに出すのは、心苦しいですが。



「いい子ね。お姉さま方が、教えてくれますから」



 耳の後ろまで手を伸ばし、少し引き寄せると。


 こちらの意図を組んで……身をかがめてくれました。


 そっと、ほおに口をつけ、頭を撫でます。



 少しだけ、抱きしめて。頭を、胸に抱えて。



 身を離すと。



 我が仔は。


 足が竦みながらも、逃げようとする……元夫に素早く寄り。



「あがふぅっ」



 その胸を、腕で貫きました。



 さすが我が仔、えんき。


 精霊が人の身と結びつく、核たるところを正確に貫いたようです。


 それだけでは滅びませんが、動くことはできなくなります。



「終わったら帰っていらっしゃい、えんき。


 待っているわ」


『おれ、はやく、かえる。がんばる』



 健気で実にいじらしい。


 キキに見せるときが、楽しみです。


 人前に出るときのまじないを、今から編んでおかなくては。



 我が子は残りの不死人7人も次々その腕で貫くと、串刺しにしたまま掲げ、奥へ。



「ではお姉さま方。お師様。我が仔をお願いいたします」



 スカートの裾を両の手に少し持ち。


 足を引き、深く頭を垂れ。


 丁寧に、礼をとります。



 やはり魔女たるもの、こうでなくては。


 お着物も好ましく思いますが、カーテシーができませんから。



「ときにカーラ。宿願は果たされましたか?」



 我が師、灰臓かいぞうの魔女のお声。少し懐かしい。


 わたくしは直り。


 そっと、軽くなってしまった気がする、下腹を撫でます。



「……ぃぃぇ。いいえ」



 わたくしの宿願。伴侶、キキとの添い遂げ。



 彼女のお顔が、その肢体が自然、思い浮かび。


 情欲が、情念が、執着が。


 胎の底から、沸き上がります。



 ……兄弟がいたほうが、えんきもきっと嬉しいでしょう。



「孕み足りません」



 実に楽しそうな、優雅な笑い声が、幾重にも響きます。



「さすが灰の弟子」「最も新しき魔女」「すばらしいわ」


「ありがとう存じます」



 お気に召したようで、何よりです。カヴンの皆さま。


 霞の向こうのお姉さま方が、立つのが見えます。


 一人、一人と、彼方へ消えていく。



 最後に師の輪郭が、小山の上に立ち。



「では、地上の仔細は任せます。


 聖母となりし、新しき魔女。


 我が弟子、カーラ・クロウブに祝福を」


「お任せあれ。お師様も、壮健であらせられますよう」



 薄くほほ笑まれたご様子の魔女は。


 えんきを伴い、霧の向こうへ行かれました。



 左の肩口に、両の手を掲げ。


 一度だけ、叩く。



 灰から黒へ。


 霞が引き、そこはかび臭い地下牢に戻りました。


 …………石畳のここは、底冷えいたしますね。



 疾く戻り。


 温めて、もらいましょう。



 ふふ。


 早速、下の兄弟を設けることになるかも、しれませんね。

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