第11話.聖母カーラ・クロウブの黒い結婚

 あれから、しばらく。



 今日はこの寒い季節には珍しく、雨がやみません。


 葬儀は、一時中断いたしました。


 あとは空の棺が墓地に埋められるだけ、ではありますが。



 わたくしは晴れて、未亡人となりました。


 我が元夫、トライ第三皇子は獄中で亡くなられたそうです。


 ふふ。遺体もございませんのに。文句を言う相手がいないので、同じことですが。



 当然にこの顛末は――――皇帝陛下もご存知のことでありますゆえ。


 事後は滞りなく。わたくしの預かり知らぬ……いえ、知っている範疇で進んでおります。


 よく交流させていただいている、文仲間の方々が。いろいろ教えてくれるのです。



 その上でわたくし……いえ。キキには。


 褒美が、与えられます。


 凄惨な事態となった、西の王国。その平定に尽力した褒章です。



 懲罰は解かれ、黄暦寮次席官としても復帰。


 まじない避けはそのまま、しかして本来の姓名を名乗ることも許されました。


 そして、その特権の行使も。



 そんな素敵なお方が。


 今わたくしの背に、ぴたりと寄り添って、立っておられます。


 そう薄くはないお着物なのですが。柔らかいところが、多分に当たるのを、感じます。



「その」


「なんでしょう」



 躊躇いがちに尋ねるわたくしに応える、右の耳朶裏からの、そっと囁くような、声。



「まだ、でしょうか。冷えるの、ですが」



 腹と腰のあたりを、しっかりと後ろから抱えられ。


 隙間なく寄った彼女。


 しかし……尻に当たるだろう、その感触はなく。



「すみません。アレがないと、こう……気分がなかなか」


「そういうもの、でしょうか」


「ええ。だいぶ違います」



 懲罰も解けたゆえ、両性の呪いは解いております。



 ですがその……耳元で囁かれるだけ。


 彼女の体温を、その柔らかさを感じるだけ、というのは。


 もどかしい。



 はやくに、触っていただきたい。


 どこでもいいから、舐ってほしい。


 なのに……ずいぶんと、このまま。二人、雨の音を聞いています。



 せめてわたくしを、離してくれないでしょうか。



「ん。キキョウ様。ならばその。わたくしが、致しますので」



 石生イソウ 桔梗キキョウというのが、キキの帝国での、本来の名です。


 お母さまの生家は、すでにないのですが。


 先の褒章の一部として、家を再興することも許されたのだとか。



 そしてわたくしは、石生……イソウ・カーラとなるわけです。


 帝国のキキョウ様が主となる婚姻ですので、このような名乗りになります。



「キキと、呼んでください――――カーラ」



 っ。これは。


 耳をくすぐる……初めての、および捨て。


 下腹の奥まで、焼けつくように、効きます。



 いじわるを、されているのですね。


 まちがいありません。


 人目につきかねないところだから、とはいえ。



 そう、人目。


 ここは外。ただ我々は、屋根のあるところで、雨宿りをしているだけ。


 少し濡れた体を、温め合っているだけなのです。



 もちろん、それは言い訳で。


 もとめて、いただきたいのですが。


 彼女は……わたくしの伴侶となる方は、離して、くれません。



「外では、きちんと名でお呼びしなくては。


 あなたはわたくしの、旦那様なのですから」



 離別が成立したばかりですので、まだそれは……正式なものではありませんが。


 良い日取りに婚儀を結ぶだけですし、その段取りも決まっており。


 もう夫婦も同然です。



 婦婦、というのが正しいでしょうが。



「我々しかいません。ですから。


 いつものように。


 キキと呼んで。


 ねだってください……カーラ」



 今、持ち上げるように胸元に手を伸ばすのは、ずるいと思うのです。


 でも……わたくしが答えず、悶えていると。


 すっと手が離れていって。



 ……なぜ、触れてくれなかったのです。


 ですがわたくしは、たったこれだけで。


 もはや息も絶え絶え、で。



 求めるのでも、求められるのでもいい。


 貪らせてください。


 早く……はやく。



「それにしても……こんな簡単に、とれてしまうものだったのですね」


「ん……解呪は、魔女にとっては、手習いのようなもの。


 まじないで同様のことが、できますもの」


「……またつけられる、ということですか?」



 なんでそこに反応するのでしょう。


 癖になってしまわれたのでしょうか。



 ……わたくしも、ですが。


 その。はしたなく、臀部を擦り付けてしまう、くらいには。



 そこにあれば。


 こうすれば、すぐにでも、招き入れられるのに。


 もどか、しい。



「まだあなたの呪いが、抜け切っていません。


 まじないを施すなら、月をまたいでからです」



 まだ月初。ひと月、近くもある。



 せめて、孕んでから解くのでした。


 早まりすぎです、わたくし。


 頭に霞がかかって……熱い。とけて、しまいそうです。



 ひとつきも、まてない。



「それは楽しみです」



 耳を食みながら仰るのは、その。


 反則でしょう。



 …………。


 そんなに、楽しみだというのなら。



「わたくしがつけても、良いのですが?」



 彼女の動きが、体が、止まりました。



 キキの腕が解かれ。


 肩を掴んで、振りむかされ。


 彼女が……わたくしの伴侶が。



 欲濡れた瞳で。


 上気したお顔で。


 わたくしを見ている。



「いま、すぐにでも」



 体の奥から、どろりとしたものが溢れてきました。



 もう、我慢なりません。



「わたくしのご挨拶は、終わりましたゆえ。


 悲嘆に暮れ、調子を崩したとして。


 おいとましましょう」



 一刻も早く。


 つながりたい。



 早々に帰ろうと、キキの手を握りますが。


 彼女は動きません。



「その前に」



 なんでしょう。


 握っていない方の手で、わたくしの、頬を撫でて。



「呼んで、ください」



 …………ダメなのです、それは。


 あなたを呼べば、止まらなくなる。


 求めるあまり、人の道を踏み外した、業の深い女は。



 ただの獣に、なってしまうのですよ?



「キキ」



 それでもわたくしの口は、愛しい彼女の名を呼んで。


 吐く息すべてを飲み込むように、塞がれました。



 雨も届かないところで、どろどろに濡れて。


 わたくしの内も外も、すべて色抜けて。



 貴女だけに、染まる。



 あなたのいろは、くろ。


 髪も、瞳も、よく似合う、お着物も。



 愛しい、あなたの色に包まれて。


 積年の、情念に深く溺れて。



 ――――わたくしの、黒い婚姻が、結ばれる。

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