呪われお手紙令嬢の嫁入り〜カーラ・クロウブの黒い結婚~

れとると

第1話.黒きお手紙令嬢、すべてを失い、東へ

 姿勢を正し、ペンを持ち、紙に向かう。


 こうして真っ白な紙に向かうと。


 不思議なことに、書くべきこと、必要なことがたくさん、中空に浮かんで見えます。



 わたくしはそれをひとつひとつ、ペン先で拾い、紙に走らせるだけ。


 書類に、あるいは手紙に、踊るように字が乗って。


 ……思わず、顔がほころびます。



 ペンが紙を擦る音


 仄かなインクのにおい。


 色味が一枚一枚異なる、紙。



 紙と向き合うのは、良い。とても良いです。


 心が、落ち着きます。



 ふと雑音を感じ、最後の一枚をかき上げ。


 ペンを置きます。



 ほどなく、扉を叩く音が。



「どうぞ」



 椅子に座ったまま、扉の方を向き直ると。


 礼をとり、入ってきたのは……確かエーレという侍従。


 まだ入ってそう経っていない方。



 何でしょう。言伝だろうとは思うのですが。


 この方が関わりそうな人で、わたくしと結びつく方は、いないはず。



「カーラ様。カーラ・クロウブ様。


 王太子殿下が、お呼びです」



 …………なるほど。


 袖口の汚れ。礼を直ったときに僅かに見えた、靴先の泥と、花びら。


 仕事中、たまたまそこにいて、用事を申し付けられたということですか。



 ですが、場所は。



「謁見の間で、合っておりますか。エーレ」



 わたくしとそう歳の変わらない女性が、はっとされました。


 場所と、お名前……あるいはその、両方に。



「は、はい」



 レイン・スコブ王太子殿下は、謁見の間に向かわれるとき、横着してよく中庭を通られる。


 もちろん……そこを新人の侍従が仕事でとおるから、というのもあるでしょうが。



 立ち上がり、ふと目に着いた壁掛けの丸い鏡には。


 袖口や首筋、そして顔に血の滲んだ白い布をつけた、黒いドレス姿の女が映っております。



 見目の良い方がお好きなら、なぜこのような。


 醜い傷が日ごと浮き出るような、呪われた女と婚約などされているのでしょうね。



 直接のお呼びだては、珍しい。


 そろそろお役御免、というところでしょうか。


 そのような示唆も……少しいただいて、おりますし。



 やっと、ですか。


 この結婚という牢獄から、解放されるのですね。



「シンディ殿下……いえ。コルンとは顔見知りですか?」


「あ、はい。ご指導、いただいています」


「今の時間なら、西塔にいるはずです。仕上がりました、と伝えてください」



 一度だけ、何年も使わせていただいた、仕事机と。


 使い込まれ、少しくたびれたペンを見て。


 ……見納めて。



「案内は不要ですので」


「しかし……」


「わたくしは、笑われに行くのです。ご容赦を」



 軽く礼をとり、彼女の隣を抜けて、開いたままの扉を抜けて。


 高くなった陽光が僅かに指す、廊下を抜け。


 ……中庭を抜けるのをやめ。謁見の間を、目指しました。



 様々な思惑があっての、婚約だったのでしょう。


 形ばかり、わたくしを止め置いたのでしょう。



 ――――それがなければ、もっと自由にできたものを。



 やはり結婚など。


 ろくなものでは、ありません。





「ペンダグラム子爵令嬢、カーラ・クロウブ。


 貴様との婚約は破棄だ。


 この国から出ていけ」



 案の定。謁見の間に多く集まる貴族の前で、王太子殿下の辛辣な一言を浴びることになりました。


 しかし。婚約を破棄なされたのなら、わたくしは領に。父のもとへ帰るだけのはず、ですが。


 国を出ろ、とは?



 …………まさか。


 父の身に、何か。



「わたくしには、なんの、連絡も、きておりません」


「処分した」



 血が、昇るのを、感じます。


 こめかみ付近の傷が、疼く。



 礼もそこそこに、踵を返します。


 領へ急がねば。



「お、お待ちください殿下!どうかお考え直しを!」



 恰幅のよろしい、紫の法衣をきた中年の男性が喚きたてます。


 ……わたくしの前を、ふさがないでいただきたいのですが。


 逃さぬ、ということでしょうか。



 横合いから、抜けようとして。



「そうです、この娘が国を離れれば、災いを招きましょうぞ!」



 枯れ木のような、薄紅色の外套をまとった男が、続き、立ちふさがりました。



「我ら黄金は、王子の選択を指示しない!!」



 筋肉質で、悪趣味な黄色の鎧を見せびらかす男性が、そう締めくくりました。


 同じ鎧を着た方々も、幾人か。



 謁見の間の出口までは……塞がれたようです。


 なんということ。



「何を言う、災いというならば」



 レイン・スコブ王太子殿下が、無遠慮にわたくしを指さしました。



「この女の呪われた様を見ろ!これを妻に迎えろというのか!!


 国を背負い立つ、この私に!!」



 今朝になって増えた、額の傷が布の下で痛みます。


 わたくしの黒いドレスの中は、いたるところに白い布が巻かれ。


 その布には、じくじくと血が滲み出ています。



 幼き日、人さらいにあったというわたくし。


 親元に戻って見れば、きずあとが浮き出る不気味な子になっていたそうです。



 人前に出られるわけもなく、両親は嘆き。


 父は病に臥せり、母はいずこかへ去りました。


 そんなわたくしを拾い上げてくださったのが、レイン殿下。



 わたくしはせめてお役に立てればと、手を尽くし。


 今は登城し、少しの業務をお手伝いさせていただいております。



 低い身分ゆえ、結婚など望むべくもない、わけです。


 わたくしとしても、ごめん被るところではございますし。


 ……しかし。このような仕打ちを受ける謂れは、ございません。



 貴族の皆様方の、囁くようなお声が、堪えます。


 奥歯を噛みしめなければ……涙が、こぼれて、しまいそうです。



 震える身を押さえ、思わず少し、うずくまってしまいました。


 皆様の足元の影が。あるいは部屋の隅の闇が、見えます。


 ここは、強引に、でも。



「それにこれは、もう決まったことだ!


 この女は、帝国に嫁入りすることになっている」



 思わず、顔を上げました。



 レイン様は、まだ戴冠なされてはいませんが。


 国王陛下も、王妃殿下も病に臥せっており、国を取り仕切るのはこの方。


 その御方が決められたのであれば、誰も否とは言えないのです。



 もちろん、わたくしも。



 しかし。


 よめいり、とは。


 ていこく……はるかひがし、の?



 なん、と。



「使者の方」



 謁見の間の柱の影から、人が浮き出るように進み出て来ました。



 貫頭衣のようでありながら、重ねて纏われたそれは優雅で。


 肌白く、また薄紅を縫ったような唇が、妖しく。


 漆黒の髪を高いところで束ねた、少年のように見える――――女性。



 このかた、は。


 私は身を正し、そのお顔を、瞳を、呆然と覗き込みました。



「て、帝国!?」


「王子、なんたる……!!」


「王国は誇りを失ったかッ!!」



 口々に先のお三方がいい、他にいらっしゃる、貴族の方々もざわつかれます。



「東方の帝国・日照ヒデラシと我が国は友好国だ。このようなやりとりもある。


 使者の方、あとは頼みます」



 使者と呼ばれた帝国の方は、拳を手のひらで包むようにもち。


 高く掲げ、腰を深く折って礼をされました。


 確か東方において、身分の高い人に向けられる礼だったかと思います。



 ゆっくりと直られてから、わたくしを向き直り。



「私の後に、続いてください」



 背を向け、扉の方へ向かわれます。


 感情のみえない、振る舞い。


 柔らかで、しかし冷たく。



 ……どうして?おぼえて、いないの?



 いえ。これは早計です。まだこの場は公式。


 立て続けの事態に気持ちは千々に乱れそう、ですが。


 しっかりしなくては。



「待たれよ使者の方!」


「なにとぞ、なにとぞ!!」


「お待ちいただけぬのならば……ッ!」



 お三方が必死に止めようとされるも。



「お静まりを」



 高く、澄んだ声が響き渡り。


 振るわれた彼女の袖口から、何か紙のようなものが舞い。


 それが――――人となって、彼らを押さえました。



「こ、面妖な!」


「式!帝国の道士!!」


「こ、この!離せ!!」



 使者の方と似たような服をまとい、顔には不思議な紙が貼りついた人。


 式と呼ばれた者たちが、人々を押さえ、あるいは退け。



「道を、開きますゆえ」



 彼女が両の掌を打ち合わせると、固まった霞のようなものが現れました。



「さぁ。よろしければお手を」



 彼女が差し伸べる、手を見て。


 わたくしは、はっとしました。



「お待ちを。わたくしは、父に。病床なのです。長く、病に」


「不要だ」



 レイン殿下の、冷えた声が、わたしくを背後から貫きました。


 ふよう、という、ことは。



「ペンタグラム子爵は、昨夜亡くなった。


 継げる者もいない」



 わたくし、は。


 父の、死に目にも、あえず。


 これから異国に、売れられるのですか?



 ――――ああ。人前に出ると、いつもこうです。



 悲しいことばかり起きる。


 頭が揺れ。体の力が、抜けて。



 しかしその時、ふと。


 わたくしの近くに寄った、使者の……その女性。


 おそらくは袖口から、少し、覚えのある、香りがして。



 ……紙。それも、とても質のいい。


 そして忘れもしない、


 今――――ここで必要、なのは!



 わたくしは口元を引き結び。


 ペン先を振るうように、右手を回し。


 スカートの裾を僅かに持ち、まず使者の方に礼をとりました。



 それから王太子殿下を向き直って、また礼をし。



「礼など不要だ。行くがいい。魔女め」



 直り、振りむいて、霞の向こうを見据えて。


 その途上、こちらを近くで見る、彼女の黒い瞳をまっすぐに見て。



「ご案内、どうかよろしくお願いいたします」



 彼女に、そう告げ、笑みを浮かべ、お手を固辞しました。



 うまく、笑えたでしょうか。



 傷のせいで、引き攣ったようにしか、見えないかもしれません。



 彼女の表情は……変わったようには見えません。


 彼女は軽く頭を下げ、霞の中へ踏み入っていきます。


 わたくしも、それを足早に追いかけて。



「まて!まってくれ!!」


「はやまるんじゃない!!!」


「おのれカーラ!カーラ・クロウブに、呪いあれ!!!!」



 その叫びを、聞いた途端。


 本当に、呪われたかのように。


 左ほおに、傷が生まれ、血が流れでました。



「呪い……!」「魔女だ」「災いをもたらすぞ!」



 ざわめきを背に。


 震える肩を押さえて。


 表情の出そうになる、顔を伏せ。



 霞をくぐりました。




 さようなら、わたしくしの故郷。



 もう二度と、戻ることはないでしょう。

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