第4話.赤はなくとも、朱の差す初夜

 寝室とは、別。


 板間の部屋に、移りまして。


 机と椅子しかない、簡素な場所ですが。



 椅子に座り、キキが茶を注ぐのを待ちます。


 器が違う……中身の、色も。


 お茶、だと思うのですが。



 トレイに乗った皿には、黒いものが貼られた、丸いもの。


 おにぎり、というんでしたか?たしか。


 こぶりで、四つほど。見たのは初めて、ですが。



 注がれる茶の香りも相俟って。


 おいしそう、です。



 板に素足が冷えるので、温かそうなお茶は嬉しいところですね。


 そういえば、そのままついてきてしまいましたが。


 何か羽織があったほうが、よかった、ような。



 この部屋は仄かに明りが、天井付近についており。


 人目にさらされないか、少し不安……いえ。それ以前に。


 キキ。わたくしのこと、しきりに見すぎではないでしょうか。



 初の夜、ですし。そういうもの、と受け入れましたが。


 胸元といい、膝上まで出る裾といい。


 良いのですけど……そこを見られるのは、困って、しまいます。



 今一つ、落ち着きません。



「お待たせいたしました。どうぞ、カーラ様」



 すすめられ、まずはお茶の器に触れます。


 筒状の陶器。ほどほどに熱く。


 手に持つと、急速に熱が、伝わってきます。



「ふちと底を持つようにしてください。こう」



 キキが持って見せてくれました。


 両の手で……なるほど。



「こう、ですか」



 受け取って持つと。確かにこれなら、手に持って飲めます。


 ふちに口をつけ、少し吸い。


 わずかな量ですが……鼻腔に、口の中に、少し甘い、良い香りが広がります。



 熱も、また。



「良い、です。温かい」



 一口。二口。少しずつ。


 口を離し、器の熱を手でじんわり味わっていると。


 肩から、布が。



「袖を通してください。湯呑……器をこちらに」



 キキに茶を預け、かけられた布の袖口を探し、両の手を通します。


 少し厚みがあり、温かい。


 ほんのりざらっとした肌触りですが、直に触れるところは少なく、着心地がいいです。



 ……やはり、胸元も脚も見えてしまっていますが。


 キキは相変わらず、遠慮なく視線を向けてきていますが。



「あたたかく、着心地がいいです。肌が隠れないのは……難点ですが」



 顔を上げると、キキが目を逸らしました。



「っ。これは、失礼を。すぐ」



 慌てなくても、よろしいのに。



「よいのです。ここに、人は?」


「いえ……ほかには、誰も。トライ様の私邸ですので」



 邸宅に使用人すらいれない、ということでしょうか?


 一方で、キキは招き入れている、と。


 そして……名を呼ぶことを許されている、と。



 …………仕事上の関係、ではあるのでしょうが。



 いけませんね。どうもわたくし、あまり夫のことを好ましく思えないかもしれません。


 あちらは関心すら寄せないとのことですが。


 それは構わないのですが。



 もやもやと、します。



「こちらも。手に持ってお食べください」



 茶の器……湯呑をテーブルに置いた彼女に。


 皿を、すすめられました。


 手に……直に、ですか。



 手を伸ばし、黒いところを持ち。


 へにゃっとした不思議な感触が、伝わります。


 そしてほんのり、温かみがある。



 食べるところを、少し探し。



「どこからでもそのまま……その。かぶりついていただければ」



 はしたないようにも思いますが、やむを得ません。


 もう一度おなかが鳴りそうです。



 少し出ている、白いところを、食んで。


 歯で、黒いところを……かみちぎり、ながら。


 香り。感触。甘さ。黒と白、それぞれの。



 ゆっくりと噛んで。少しずつ、飲み下し。



「おいしい、です」



 顔をあげ、キキを見て言います。


 わたくしの少しの期待どおり、彼女のお顔が、ほころんで。


 それから……なぜか、きょとんとされて。



 どこか。わたくしの顔を見ている?



「失礼」



 キキが指を伸ばし。


 わたくしのほほに触れ。


 とった何かを見せました。



 あ。一粒、白いのがついていたのですね。



 えっと、これは。


 彼女の指先と、お顔を見比べていると。


 彼女のほおに、少しの朱が差して。



 おゆびが、わたくしの口元の、近くまで。



 少し見えた、キキの、瞳の光が妖しくて。


 目を逸らすように閉じて、首を伸ばし。


 そっと、キキの指先を食んで。



 …………たまらず、吸い付きました。



 ふだん、書き仕事もされてるのでしょう。


 紙……王国のそれとは異なる、材質の、それのにおいがほのかに。


 やはりわたくしの知るそれとは違う、インクのにおいも、しみついていて。



 思わず、舌が、口の中で、彼女の人差し指に。


 その腹に張り付き。奥へ奥へと導くように、舐って。


 口腔、喉の奥、あるいは鼻腔、耳、目の奥にすら、熱が伝わるようで。



「かぁら、さま」



 ためらうような。陶然とした声が。


 外からもわたくしの、耳鼻咽喉を叩きます。



 ああ……やっぱり。期待が確信に変わります。


 あなたはハル。わたくしと幾年も、人ならぬ領域で過ごした人。


 こう舐められるの、好きでしたものね?覚えていますとも。すべて。



 口をすぼめ。舌を貼りつかせながら蠢かせ。


 喉奥にすら誘いながら、細い、少しの節感じる指を、貪りました。



 指の腹に舌をつけ、ぞりぞりとなぞるようにすると。


 薄目をあけたわたくしの視界には、紅潮し、身もだえ、震えるキキが映りました。



 自身の唾液を吸い上げるように、しかし音を立てずに指先までを唇で吸い上げ。


 最後にそっと、粒のあった指先に、口をつけ、少し吸います。



「……おいしい」



 たんのう、いたしました。



 音。キキが……唾を飲み込む、音がして。


 彼女の反対の手が、わたくしの頬を。そこに貼った、紙を撫で。



「お食べ頂いたら、こちら、すべて貼り換えましょう」


「はりかえる」



 簡素な板間を見渡しました。


 ここは……誰も、こない。



「こちらで?」


「はい」



 目が、合いました。


 欲濡れた光が、絡み合うように交差して。


 昂ぶりが、抑えられません。





 彼女は……体液にまじないを込め。


 人を癒す術を持っているのだそうです。


 ……長じて、帝国に来て、道士となってから、身に着けたものでしょうか。



 右のひじ下あたりの紙が、剥がされ。


 血の滲む、複雑な切り傷のようなそれに。


 キキの唇が、吸い付いていきます。



 ねっとりと、唾液をこすりつけるように、舐め上げられ。


 背筋の震えが、止まりません。



 彼女が口を離すと。


 確かに……傷は消えています。



 キキが新たに取り出した、白い紙が貼られ。


 わたくしは、だらしなく開いた口を、閉じることもできず、荒く息をし。


 物欲しげに……キキを見ました。



「これで、よいでしょう」



 腕や脚、頬や額のきずあとは、塞がれました。


 ……わたくしは、腰の紐。帯紐の結び目を引き、解きました。



「か、カーラ様!?」



 別に驚くほどには、乱れてませんのに。


 女同士なのだから、そこまで動揺しなくとも。



「ダメよキキ」



 急いで身を引こうとする彼女のほおに、手を当てて。


 胸を張ってみせます。



「ほら、見て」



 キキの視線が、見えそうで見えないだろうところに、吸い寄せられていきます。


 ふふ。そこではありませんのに。いけない子。



「しつれい、します」



 キキはわたくしの鎖骨下のあたりから、紙を剥がし。


 テーブルにおいた次の紙を、手に取りました。


 わたくしは、露わになったひっかき傷のような、そこを指して。



「傷が疼くの。塞いでちょうだい」


「っ。…………失礼、します」



 彼女の頭が、わたくしの胸元に。


 息が傷口に触れ……別の疼きが走ります。



 キキの唇が、わたくしの肌に触れたのを感じ。


 右手を回し、彼女の後ろ頭を押さえ。


 左手をなんとか背に回し、その身を引き寄せました。



 少しの抵抗の後。


 肌に、濡れた感触が。


 ため息が、かかり。いやらしく、濡れた音が続きます。



 腕や脚を舐めたときは、もっと密やかだったのに。


 こうふん、しているのですね。キキ。


 わたくしもです。



 背徳のような。罪悪のようなものを、伴って。



「ごめんなさいね、キキ。このような、穢れた女を舐めさせて」



 彼女が思う以上に力強く、顔を上げました。


 わたくしの右手はのけられ、間近で視線が合います。



「カーラ様は、今も変わらず、お美しいです」



 乾いたわたくしの唇と。


 濡れた彼女の唇が、触れそうな距離で。


 そのように、言われ。



 わたくしは鼓動が跳ね上がり。


 すっと、彼女の口を、わたくしの唇で、撫でました。


 少し触れたと、そう気づくような、誤認と思うような、それくらいに。



 キキが慌てて身を離すので。


 テーブルの紙を、胸元に貼って。


 乱れた着衣を、整えます。



 帯も……見よう見まねで、締めて。



「ありがとう。あとはいいわ」



 そうして彼女の方を、また見て。


 おや……?


 そこの、ふくらみ、は??



「キキ。そこは?何かその。腫れている、とか」


「っ!!」



 キキは腰を引き、そして手で前を隠し。


 眉根を寄せて、息を吐いて。



「…………ご内密に、願います」


「わたくしの記憶では、あなたは確かに、女子で。


 あの道を出て別れるまで、それはありませんでしたが」


「……はい。道を出た後、呪いで、生えた、ようでして」



 なるほど。


 呪いならばまぁ、不可思議なことも起こる。そういうものです。



 精霊の道は、式のような存在の護りなく通ると、呪いにかかると言われています。


 幼少のみぎり、たまたま知り合い、二人遊んでいたわたくしたちは。


 迷い込み、呪われました。



 表向きは、人さらいにあった、となっています。


 内と外で時間が異なり、外では一か月。


 内では……十数年。共に、歩みました。



 呪われ、性に影響を受けた。


 なるほど……大したことではありませんね。


 あなたが確かに、わたくしを覚えていた。



 わたくしはそれだけで、天にも昇るような気持ちです。



「そう。今は両方、ということ」


「いえ」



 苦渋に満ちた、キキのお顔。


 なんでしょう。それがあって、わたくしほどではなくとも、胸元にも膨らみが。


 腰回りを見ても、女性としか思えません。



 まさか。



「帝国には、そのような懲罰がある、と聞きますが」


「…………はい。封じを受けております」



 子を宿すことだけを封じる、術があるそうです。



「キキ。わたくし今日はいろいろありまして……眠れそうにありません」


「それ、は」


「少し、長くお話をしたく思います。あなたさえよければ」



 わたくしを見る、彼女の目が。


 どこか、すがるようで。


 興奮は抜けたでしょうに、まだ濡れていて。



「はい」



 ……ああ。


 細かった奇縁が。


 今少し、結ばれていく。



 重苦しく、昏い未来としか思えなかった、わたくしの結婚の、その先で。

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