R6.5月『さざ波と綴る』

 ガラスペンが送られてきた。

 彼女はガラス細工が好きで、いつだって透明なものを集めていた。


 マンションの一室、僕の部屋に郵送されたそれの梱包を解くと、古びた布張りの箱に透明な一本のガラスペンが入っていた。「使ってあげて」と綴られた一筆箋が添えられている。少し歪んだその文字に、なんだか泣きそうな気持ちになった。

 このガラスペンは、もともと、僕が彼女に贈ったものだ。

 彼女に告白して、晴れて交際を始めたその年から、誕生日にガラス細工を贈るのが年に一度の楽しみだった。このペンは確か、付き合って最初のプレゼントだ。せっかくだからと自分用に買ったもう一本は、引き出しの一番よく見える位置で置物になっている。

 どれだけ遠く離れても、彼女の誕生日は毎年やってくる。五月十二日。そういえば、本当なら今日贈るはずだったガリレオ温度計が、段ボールに入ったままだった。

 ガラスペンを置いて、僕はガリレオ温度計の段ボールを開いた。テーブルに出して、ガラスペンと並べてみる。窓辺から降り注ぐ初夏の光が満たされた水を透過して、カラフルな雫型のガラス玉を洗う。透けた光がテーブルを彩るのを見て彼女を思っている自分に気づき、苦笑する。

 鮮やかな色彩を横目に、僕はインクと便箋を取り出した。いつか使おうと思ってずっと引き出しで眠らせていたレターセットとインクは、きっと今この時のために僕の手元に来た。

 ガラスペンの波打つ穂先が、青いインクで染まっていく。便箋に線を引けば、硬質で澄んだ音が走る。温度計の水面が、言葉を綴る振動にさざ波を立てる。

 気付けば、僕は泣いていた。涙で滲む文字に構わず、僕は何枚も便箋を使って文字を綴る。涙は透明だから、君みたいに透明だから、完全に僕の視界をさえぎることは無い。光をたっぷり含んで揺れる視界の中で、手繰り寄せるように、僕はペンを走らせ続けた。


 何枚使っても足りないから、きっと紙のほうが先に尽きる。これを書き終わったら、君と見た海に行こう。浜辺で気が済むまで歩いたら、君が好きなラムネを持って、この手紙を届けに行こう。燃やしたら届くっていうし、ライターも要るかな。

 僕はきっとひどい顔だろうけど、透明になった君は僕を笑ってくれるに違いない。そうだろう?

 愛してる。何回書いたって足りないくらい愛してる。

 君がもう目を開けたり笑ったりできないことを、今はまだ受け止めきれないけれど、きっとこれからの人生全部をかけてそれを理解するから、僕の人生が終わるまで待っててほしい。

 僕はきっと、失った痛みもひっくるめて、君をずっと愛してる。

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