R6.1月『ねえ、もう一回言ってよ』

 ゲームをプレイしていると、『存在』ってなんだろう、と思う事がたびたびある。

 例えば、僕が操作しているこのキャラクターは、0と1の組み合わせで出来ている。それ以上でもそれ以下でも無い。仕事にも人間関係にも影響しない。ゲームをプレイしていない人間からしたら『存在』するとは到底言えないと思う。

 でもそれって、僕達にも言えることなんじゃないか? って、僕はそう思う訳だ。自律で動く原子の塊。それ以上でもそれ以下でも無い。僕の事を知らない人からすれば、居ても居なくても変わらない。

 僕が『存在』するか否か、決めるのは結局、観測する他者なのだ。

「おーい、『KEN』? 回線落ちた? 生きてる?」

「……生きてまーす」

「もー、新年早々生存報告させんなよー。君ん家の回線死にやすいんだから、ちゃんと喋ってて! 不安になるじゃん!」

「へーい、『れいん』様。バフ足りてる?」

「足りてるー」

「むしろ溢れてるな。『KEN』君がそのままヒーラー使うなら、こっちアタッカーに変えようか?」

「『ミリオン』さんよろしゃす。僕はこのまま行くんで」

 少なくともこの空間には、『KEN』という名前のゲーマーが『存在』している。こんな毒にも薬にもならない事を考える余裕が、『KEN』にはある。

 貴重な息抜きの時間。ゲームは『KEN』にとって、飾らない自分でいられる居場所だった。

「そういや『KEN』君、彼女と別れた話ってもうギルメンにした?」

 ボイスチャットで『ミリオン』さんが急に差し込んできた話題に、思わず指が止まる。すぐに操作を再開して、僕は取りなすように言った。

「……いや、してねーっすね。『ミリオン』さんと、あと三人くらい喋ったかな」

 『ミリオン』さんは穏やかな声の男性で、いつも頼りになるギルドの兄貴分だ。付いたあだ名が『ミリオン相談窓口』。気付けば、お豆腐メンタルが多いギルドメンバーの調整役みたいな立ち位置に収まっていた。以前辛くならないかと訊いたら「好きでやってるから」と返ってきたので、僕も深く考えずに相談窓口のお世話になっている。いつか爆発しそうで怖い、なんて考えるのは、逆に失礼だろう。

 彼には彼の、僕には僕の許容量がある。人によって、辛さを感じることは違うのだ。

 ――『彼女』には『彼女』の許容量があったように。

「……は~?」

「『れいん』ちゃん、どうした?」

「何それ、私聞いてない」

「『れいん』様はそういう話、全部「ふーん」としか言わないじゃん。言っても困るでしょ」

「確かにアドバイスとかはできないけどさ、寂しいじゃん! 私だけ知らないの!」

「一周回って清々しいよね。『れいん』ちゃんのそういうとこ、オレは嫌いじゃないよ」

「『ミリオン』は黙っててよ! いや嘘、『ミリオン』が黙ったら私何にも言えないから喋ってて」

「うん、そういうとこも嫌いじゃないよ」

 『れいん』様は、ちょっと口が悪い女の子だ。人生経験も恋愛経験もそんなに豊富じゃないらしく、ゲーム以外の話題だと口数が少ない。僕も似たようなものなので、勝手に親近感を抱いている。

 口が悪い割に、『れいん』様はそれなりに友好関係が広いらしかった。僕も『れいん』様のことは嫌いじゃない。なんだかんだ憎めない感じ、という印象を相手に抱かせるのは、言葉以上に凄いことだ。『KEN』はそんな天性の才に敬意を表して、彼女を『様』付けで呼んでいた。

「……別れたっていうか、フラれたっていうか」

「お、語るか?」

「『れいん』様が興味なければやめますね」

「語ってけ~? 私が寂しいから」

「へいへい」

「彼女ってさ、前に話してた幼馴染みの女の子だよね」

「そっすね。保育園から中学校まで一緒で、就職で地元戻ってきてから再会して、何となくお互いの家を行き来する内に付き合うことになって」

「付き合って何年くらいだったっけ?」

「『ミリオン』さんが口出す間もなくシッカリ訊いてくるじゃないすか、『れいん』様……三年すよ」

「うっさいなあ、ディープな内容になったら喋れること無いんだから今のうちに喋ってんの。それで?」

「三年で、まあ、お互い色々変わったんでしょうね。クリスマスの予定どうするかって連絡したら、ごめんって返ってきて、それっきり」

「……それで?」

 『れいん』様の不満げな声が返ってくる。

「それ以来音信不通です」

「はあ!? 何それ! 今何月よ!」

「一月っすね」

「そうだよね、一月十三日。それで? クリスマスどうするって連絡したのはいつ?」

「十二月の頭」

「――っか~~!」

 『れいん』様のキャラクターの動きが止まり、もろに敵キャラの攻撃を食らった。僕は作業的にヒールをかけながら「そんなリアクション取られても……」と口篭もる。

「そういえば『KEN』、クリスマス付近って全然ログインしてなかったよね。それが原因か~! 言いなさいよ! そしたらその時に「はよ連絡しろ!」って言えたのに!」

「オレも言ったんだよ、地元なら家とか分かるでしょって」

「逆に、分かるから行けないんすよ。お互い嫌でも生活圏被ってんだから、『彼女』が僕に会いたくないのに行くのは何か……何かを侵犯している感じがして」

「言ってる場合か? 新社会人から三年付き合ってんだろ、結婚とかも考えるじゃん。ここで会いに行かないのは男が廃るって。彼女さんも会いに来て欲しいんじゃねえの?」

「……そっすかね」

「いや、もう間に合わないでしょ! 会いに行くなら連絡貰ってすぐ! 十二月の頭!」

「……そっすよね」

「さっきからその間も腹立つな~! 分かってるならちゃんと会いに行ってちゃんと喋ってちゃんと振られて来なよ、鬱陶しい」

「ははは……さーせん、僕そろそろ落ちます」

「ちょっと、ここで落ちたら私がいじめたみたいじゃん!」

「そんなこと思ってないから大丈夫ですよ。お疲れ様っした、二人とも」

「おやすみ~」

「おやすみ……あんまり気にしなくて良いからね、私いつも言ってるけどそういうの疎いから」

「『れいん』様こそ気にしないで下さいよ。おやすみなさい」

 ボイスチャットを切り、ボイスチェンジャーを閉じて、ゲームからログアウトする。

 『KEN』から、剣崎美奈子に戻る。

 実のところ、『KEN』として相談していた話の内容は、全て兄・剣崎ミツルから聞いた話だった。『KEN』のアカウントも、元々兄のものだ。

 兄は、昨年死んだ。

 僕は、テーブルからスマホを手に取り、画面を点ける。

 遺品であるこのスマホから出てきた情報によれば、兄は最期に『彼女』へメッセージを送っている。

 カメラロールやSNSのやりとりから、幾つか分かることがある。『彼女』の名前。容姿。地元の人間であること、三年間付き合っていたこと、「ごめん」の一言以降兄への返信を絶っていること。

 しかし、僕は、その女を知らない。

 年子で、それこそ保育園に上がる前から中学校まで人生のほとんどを共有していた妹である僕が、見たことも聞いたことも無い兄の『彼女』。

 『彼女』の話は聞いたことがなかったが、ゲームのギルメンの話は頻繁に兄から聞いていた。自分も同じゲームをしているので、なりすましでそちらにアプローチをかけてみれば分かるかと思ったが、不発だった。

 いよいよ、『彼女』本人に連絡を取ってみるほか無い。

 正直な話、まだ恐ろしい。でも、これは遺された僕の義務であり、権利だと思う。きっと、僕にしかできないことだ。

 僕が今日『KEN』としてログインしたことで、『ミリオン』さんと『れいん』様の中には『KEN』がまだ『存在』している。観測者である二人が、『KEN』を観測した為だ。

 そして、見たことも聞いたことも無い『彼女』が『存在』するかどうか決めるのは、観測者である僕なのだ。

 『彼女』の連絡先を、震える指でタップする。数回のコールの後、通話が繋がる。


「さっきぶり、『KEN』」

 僕は目を見開く。呼吸が浅くなるのを感じる。

「ミツルじゃないんだよね。知ってる。分かってる。でも、お願い――もう一回だけ、あの声で、『虹香、好きだよ』って言って」

 先程ボイスチャットで聞いたばかりの、『れいん』様の声は、泣きそうな声で繰り返した。

「ねえ、もう一回、言ってよ」

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