第5話 風の精霊との出会い



 不思議なことに光のステージ上に10歳くらいのベージュ色のダッフルコートを着た長い黒髪の小柄な女の子がいて、トゥシューズを履いてバレエを踊っていたのです。それは私がよく知る風の精霊・シルフィードの舞でした。


 ぷっくらとした顔立ちが可愛らしくて幼ながらどことなくステップがおぼつかないところもありますが、優美に舞おうと努力する姿勢に私は子供の頃の自分を思い起こして、ジッと道路の柵越しからその光景を眺めていました。


 暗がりにいたので向こう側から見えなかったのでしょう、私が夜の闇の中に佇んでいるところを彼女はある時からハッと気付いて、舞うのを止めると逃げるようにホームにある白いペンキが塗られた木造の待合室に入っていきました。


 そうして少し経った頃に駅のホームにある待合室の窓がガタガタとつっかえながら音を立てて開かれたのです。


「ホッホッホ。やあ、穂波ほなみちゃんじゃないか。ようこそ、こんなお時間に」


 中から柳津駅の駅長・倉門くらかどさんが声をかけてくれました。定年迎えつつある初老のおじさんで、制帽をとって私に会釈えしゃくしてくれました。


 私は、近頃耳が遠くなったと困り顔で言っていた倉門さんに向けて、声が届くように大声で呼びかけました。


「倉門さーん、今何してるんですかー?」


「駅舎と路線の復旧工事のための点検をしているのだよ。海岸側の駅は大津波で流されてしまったけれど、内陸の方に向かう路線はまだ残っているからね。そうだ、寒い中話するのも悪いし良かったらこっちで話をしないかい? ストーブ焚いてるから暖かいよー」


 倉門さんがいる駅のホームの待合室は私のいる場所から柵と線路を隔てた向こう側にあって、あの場所に行くには跨線橋こせんきょうを渡るしかありません。


 私はすぐ近くにあった跨線橋の階段を上がっていきました。連絡通路のツンと鼻につく埃っぽい匂い。ギシギシと軋む老朽化した階段を降りて駅のホームに降り立ち、待合室の扉を開けると石油ストーブの暖かな空気が私を優しく包みました。


 蛍光灯の暖色の光が灯る待合室で、倉門さんに壁沿いに設置された木のベンチに腰掛けるように促されます。私はお言葉に甘えて少し休息を取ることにしました。


 先程見た女の子が少し離れた位置に座っていて、長い黒髪の毛先を人差し指で巻き取りながら、向かい側の壁の掲示板に貼られている日焼けして色褪せた防災ポスターと私をちらちらと交互に見てきます。


『守ろう命を、あなたの意思で──喜多村きたむら穂波ほなみ


 純白のロングチュチュを着飾ったにこやかな笑みを浮かべる私の写真。まさかこのような形で再びお目にかかるとは……。


 数年前、登米市消防本部からの写真撮影の依頼で、撮影の他に防災ポスターに相応しいコメントを求められたのです。遠方の久美子ちゃんとメールでやり取りしながらこの一文を一緒に考えたことを思い出します。


「コーヒーは飲めるかな? それとも緑茶?」


 倉門さんが石油ストーブの上に乗せていた蒸気が立ち昇るやかんを持ち上げて、緑茶の粉末が入れられたマグカップにゆっくりとお湯を注いでくれました。寂しそうにこの路線の今後のことを話してくれます。


「利用客からは嬉しいことに全線復旧されることを願われているが、年々乗客が減っていて、赤字経営の中で津波で流された駅を再建するほどの予算があるとは思えんし、内陸部の運行だけで収入を賄えるとも思えん。この路線はもう後がないかもしれんな……」


「廃線……になるのですか」

 

 一度、室内が静まり返って、倉門さんが私に湯気が立つ暖かな緑茶が入ったマグカップを手渡すと「寂しい、実に寂しいなあ」と弱々しく言いながら私の向かい側のベンチに座りました。


「あなたが……穂波さんですか?」


 隣にいた女の子が声をかけてきました。


「なんっかイメージと違って性格暗そーだね。誰の命も守れなさそう」


 ウグッ! ……その言葉に元々暗い性格だった私の心はズンと更なる暗い影を落とすのでした。気持ちが沈んで項垂うなだれていく私を見て、倉門さんが慌てながら言葉を訂正させようします。


「こらこら、やめなさい風雅ふうが君。穂波ちゃんに失礼じゃないか!」


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