第6話 最愛の人に届かぬ思い



風雅ふうが……君……?」


「ああ、この子は男の子なんだ」


 私は驚いて再び風雅君に目を向けると「穂波さんも僕の髪のこと変って言うんでしょ」と言って不機嫌そうに顔をぷいと背けると、ベンチから立ち上がって待合室から出ていってしまいました。


 そうして光のステージの中心で再びシルフィードの舞をさらさらと長い髪をなびかせながら踊り始めるのです。


 倉門さんが少々咳き込んだ後、ため息混じりで呟きます。


「ハァ……すまない。許してやってくれないか……風雅君は焦りと不安から不機嫌になっているだけなんだ。元は心根こころねのいい男の子なんだよ」


 倉門さんから詳細な話を聞くと、私は待合室から出て風雅君と対面しました。近づいてくる私を見るなり彼はギョッとした顔をしましたが、すぐに澄ました表情に戻って舞い続けます。


 風雅君は、私が幼き頃に通っていた「後藤ごとう有愛ありあバレエスクール」の生徒で、先日の夜に駅舎の明かりがついていることからここにやって来てバレエの練習をしたいと倉門さんに告げたようです。自身の辛い心境を……一時でも晴らすために。


「綺麗なロングヘアーね。私は好きです。病気の友達のために髪を伸ばしてるなんて尊敬します」


 ヘアドネーション。


 癌治療や不慮の事故で頭髪を失った人に自身の髪を寄付すること。医療用ウィッグを作るのに髪の長さが30センチ以上でなければいけないという規定があるようですが、風雅君の髪はお腹の位置まで伸びていて現在50センチを超えているとのこと。


「……本当に送り届けたい友達のところに届くか分からないよ。団体に寄付された数ある髪の束の中からウィッグを作るみたいだけど、友達が今後つけるウィッグの中に僕の髪が混じる保証は無い……でも、友達はロングヘアーになりたいって言ってるんだ。60センチを超える髪を寄付する人は希少だってネットに書いてたからもしかしたらと思って」


「ロングヘアーなら風雅君の思いが届くかもしれないのね」


 風雅君は舞うのをやめてこくりと頷きました。けれども、彼の表情が次第に曇っていき、ついには泣き出しそうな顔になりました。


「友達は今気仙沼に住んでる。大津波の後、連絡が出来ないせいで生きてるどうかも分からなくて毎日毎日心配してる。それに……髪を常に綺麗で清潔にしなきゃいけないのに水道も電気も使えなくて手入れが出来なくてイライラしてくる。まるで僕の思いなんて届かない、無意味だ、そんなことやめてしまえって言ってるみたいに!」


 風雅君はとうとう声を上げて泣き出して、駅のホームから跨線橋の階段を駆け上がろうとしたので咄嗟に私は彼の手を掴みました。


「風雅君、待って!」


「僕は……この町の誰もが尊敬する穂波さんが帰ってきたって聞いたから夕方頃に会いに行ったんだよ……友達が穂波さんのファンでバレエの動画や雑誌のインタビューを何度も見て勇気を貰ってるって聞いたから僕もそうなりたかった……なのに穂波さんは弱気で全然明るくなくて頼りない!」


 小学生男子の力をあなどっていたつもりはありません。掴んでいた私の手が力強く振り払われると彼は跨線橋の階段を駆け上がって駅から去って行きました。


 駅の照明から逃れてさらさらと音を立ててなびく黒髪が、雪の降りしきる夜の闇の中へ消えていくのをただ立ち尽くして見つめることしか出来ませんでした。


 私の舞と言葉から勇気を……?


 私の性格上周囲の人々を元気付けるような振る舞いなど出来るとは思えません。それはまるでかつての──。


「久美子ちゃん」


 不意に呟いた言葉。待合室に戻ろうとして振り返ると駅のホームの中央につむじ風が吹いていて、粉雪を巻き込んで円を描くように回っていました。


 私が気付いたことを察知したかのようにつむじ風がふわりと止んで粉雪が銀色の輝きを放ちながら駅のホームに散らばりました。


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