第7話 あなたの想いを絶たせない



 翌日の朝、私は寛木町内の後藤有愛バレエスクールに十数年ぶりに訪れて有愛先生と再会しました。


 有愛先生は、今年で50代後半になるそうですが、体幹が整っていて幼少期に会った時と変わらず若々しくて、胸にたぎるバレエへの強い情熱を決して絶やさない、私の指標とする人のままでホッとしてしまいます。


 先日の夜の出来事を話して風雅君に直接会って謝りたい、そして、彼が駅で忘れていった『ある物』を届けたいと告げました。


 住所を聞き出して直接彼の家へ向かうつもりでしたが、なんと風雅君はこのバレエスクールに早朝の6時から既に来ていて、レッスン室で自主稽古をしていると有愛先生に教えてもらいました。小学校が休みの日は夜遅くまで稽古をしていくそうです。


 10歳になったばかりというまだ幼い年齢であるにも関わらず、バレエに対するストイックなその姿勢に私は感服してしまいます。


 レッスン室に向かうため、子供の頃に何度も行き来した懐かしい廊下を歩いていると、私の写真やインタビューの記事が掲載された雑誌の切り抜きが壁に貼られているのを目にします。


『前を向き続けて、きっと花開く。爽やかな春風があなたの中に吹きすさぶ』


 久美子ちゃんの言葉を語る私、この世に存在しない私──。


 この言葉も久美子ちゃんと相談して予め用意していた言葉であって、私の真意ではありません。私からこのような言葉を引き出すことなど……出来ないのです……。


 私に憧れを抱いてバレエに入門した生徒達からは、心温まる言葉と舞で人々を勇気付ける太陽のような存在のプロバレリーナとして認識されていることを有愛先生から教えられて大変申し訳ない気持ちになりました。


 レッスン室の扉の前に立ち、中の様子を確かめるべく彼に気付かれないようにそっと開くと、大窓から陽光が射す広間で、風雅君が鏡面の壁を見つめた姿で立っていました。


 私は「アッ!」と声を上げて、慌てて扉を開け放ち、風雅君に駆け寄りました。彼はハサミを持って自身の綺麗な長い黒髪をバッサリと断とうとしていたのです。


「ダメっ! やめなさい!」


 声を張り上げて風雅君の手首を掴みました。


「穂波さん!? 離してよ! 友達は死んだのに髪伸ばしてる意味なんて無いだろ! もう二度と髪を伸ばすもんか!」


 今度こそ離してなるものですか! 私は持てる力の全てを振り絞って風雅君からハサミを無理矢理奪い取りました。


 またもや彼の泣き出しそうな顔。どうすればいい、どうすればいいの……彼を勇気付けるには私が語る言葉じゃダメ。こんな時、久美子ちゃんならどうなぐさめる……?


「風雅君……私と一緒に……パドドゥを……しませんか?」


「えっ……僕と穂波さんが一緒に踊るの?」


 そう、私に意識を向けて!


 それから続く言葉を……!


「はい……あなたが風の精霊・シルフィード役で、私は恋に落ちた青年役をやります。だけどあなたの舞はまだまだ洗練されていない。私がこの目で実際に見たシルフィードの舞をあなたに授けます。友達を勇気付けたいのなら今のままではいけません。シルフィードの舞を体現できるまでその髪を切ることを決して許しません」


 そして、私は持参していたショルダーバッグから『折りたたみ式の携帯電話』を取り出して風雅君に差し出しました。


「あなたが駅のホームに忘れていった物です。朝に駅に寄らなかったところを見るに、私がいるかもしれないと思って取りに行くのを躊躇ちゅうちょしたのでしょうか? 風雅君、あなたは想いを届けることを諦めてはいけません。親友の無事を一心に願うのが『私達の務め』なのです」


 自ら語った言葉に胸に微かな痛みが走ります。


 恐る恐る携帯電話を受け取る風雅君が苦い顔をしているところで、後ろから見ていた有愛先生がほくそ笑みました。


「フフッ、せっかくなら発表会しようじゃありませんか。目標があった方が頑張り甲斐があるだろうしね。自分を見てほしいならこれ以上ない手本になるだろうさ」


「まあ」


「うわっ! 有愛先生言わないでよ……!!」


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