第8話 廃線上のシルフィード
風雅君と約束を交わしたその日、鉄道本社会議によって、沿岸部にあった気仙沼線の9駅が復旧困難として廃止されて、柳津駅が今後の内陸部に残る路線の終着駅になると決まったそうです。
柳津駅に訪れると、駅のホームの端に立って沿岸部に続く線路の先を見つめて寂しげな表情をする倉門さんに出会い、そう語ってくれました。
「心中お察しします……倉門さん、折り入ってご相談したいことがあるのですが……」
先日の夜に、風雅君が光のステージ上でシルフィードの舞を踊っていた姿が強く印象に残っていました。暗い世界に灯る唯一の
久美子ちゃんの舞を風雅君へ伝授する。
柳津駅は、風の精霊・シルフィードが
無理を承知の上でした。私が深々と頭を下げると倉門さんは
触れることが叶わず残酷な結末を迎える精霊の死の物語から、青年と精霊が手を取り合う希望溢れる結末に作り直すと振り付けも終盤のみ新たに考えました。
発表会に向けて、後藤有愛バレエスクールのレッスン室や本番を想定した柳津駅のホームで稽古を始めたのですが……風雅君は手持ちのカバンの中にハサミを忍ばせていて、隠れたところで髪を断とうとするので、私が気付いて取り上げることが二回ありました。
「風雅君……今日からバレエスクールで合宿しましょうか? あなたがハサミを手に取らないよう監視するために私と四六時中一緒にいるのです。ご飯の時も、寝ている時も……お風呂やトイレ中の時でも」
冗談で言ったつもりでしたが、この言葉が思いの
◇ ◇ ◇
日が経つごとに電気、水道などのインフラの復旧が進み、降雪の日が減って桜の花開き、春の芽吹きを感じられる気候になっていきます。
元々この町には一週間のみ滞在するつもりでした。東京の高天バレエ団関係者の皆様には大変申し訳ありませんでしたが、風雅君を勇気付けるために、寛木町の滞在期間を更に伸ばさせてもらいました。
有愛先生が一目置いているのも頷けます。センスがあり、若さ故なのか風雅君の飲み込みが早く、ステージ上で披露しても申し分無いと判断した時点で、発表会の日取りを4月28日、気仙沼線が運行再開する日の前日に行うことを決めました。
2、30人来ればいい方だと思っていましたが、当日はなんと倍を超える60人以上の観覧客が訪れて、駅前の駐車場に置かれたパイプ椅子が足りずに立ち見で観覧する人が何人かいたほどでした。
地方新聞社の記者の方もいて、望遠レンズが取り付けられた三脚のカメラがこれから光のステージ上に降り立つ被写体へ狙いを定めています。
18時50分、夜の闇が完全に降りて星々が瞬く時間、柳津駅の
衣装は有愛先生が所有しているものをお借りしました。私は異国の村人の男装、風雅君は小さな羽飾りのついたロングチュチュを着飾った女の子のような可愛らしい精霊の姿をしています。
「……ねえ、穂波さんは秘密にしてることって無いの?」と、不意に風雅君が語りかけてきました。
「好きな子を元気付けたいって僕の秘密を知ったのに不公平だよ。穂波さんの秘密があったら教えてよ」
「……」
私は頭を悩ませ、今日まで友の生存の諦めによる断髪を耐え忍んだ風雅君のために、震災後に返事の無い親友の久美子ちゃんの安否を知るために帰郷したこと、そして……秘密にしていた「死の舞踏」のことを語りました。
携帯電話基地局が復旧されてから既に数日が経っています。私も、風雅君も、親友からの連絡が来ていません。知らせを待つ私達の手にあった携帯電話を握る力が強くなっていく……。
「僕のために……親友を探さないで……この町に
風雅君の声色が震える。
開演を知らせるミュージックが流れ始めて、ここからは見えませんが、駅のホームに立っているであろう司会を務める有愛先生が駅長の倉門さんに謝辞を述べているマイクの音声が聞こえてきます。
「穂波さんの舞は……死の舞踏なんかじゃないよ! 僕がバレリーナとして生き続ければ穂波さんが思い悩むことも無くなるのかな。この髪を好きな人に送り届けることができれば悲しむことも無くなるのかな」
バレエ演劇『ラ・シルフィード』のミュージックが流れ始め、最初に出番があるシルフィード役の風雅君は深呼吸して心落ち着かせると「後で来てね、待ってる」と告げて連絡通路から階段を降りて駅のホームに向かいました。
「いつかの誰かさんが言ってた言葉と同じね……久美子ちゃん」
人目のないところで独り言と親友の名を呟くことが多くなったように思います。
曲調が切り替わり、そろそろ私の出番です。
椅子から腰を上げて跨線橋の階段を降りていくと、駅のホームからふわりと桜の花びらが舞い上がって、爽やかな春風が花びらとともに私を吹き抜けていきました。
私は思わず目を見張りました。夜の闇の中、桜吹雪に包まれるライトアップされた光のステージがそこにあり、純白のロングチュチュを着飾った風雅君が軽やかに舞う姿がありました。
雪から花へ移り変わったあの時と同じ光景。神秘性をまとった儚げな表情。かつて目の当たりにした幻想的な久美子ちゃんの舞。そこにいるのは、この世に存在しないはずの女の子でした。
彼女は静止して微笑むと、階段の途中で立ち止まっている私に向けて手を差し伸べます。
『さあ、爽やかな春の嵐の中で私とともに踊りましょう。永遠に変わることのない愛の記憶をこの地に残すのです』
光のステージへ降り立つ私は、触れることが叶わぬ精霊に恋焦がれる青年となって、今宵のみ開かれる希望溢れる物語の世界の中へと入り込み、やがて私達は互いに手を取り合い新たな未来へと歩み出す──。
◇ ◇ ◇
夜8時半、バレエの発表会は盛況にて終わりを迎え、観覧客が帰宅していく中で電話の着信音が鳴り響きました。
この着信音は私のものではありません。風雅君はパイプ椅子の上に置かれていた携帯電話を慌てて手に取り画面を見ました。
「
通話ボタンを押して、携帯電話を耳に当てると、目頭にぎゅっと力を込めて堰を切ったようにポロポロと大粒の涙を流しました。
何度か頷いた後に電話を切ると声を震わせながら「穂波さん、咲来ちゃんが生きてた。病院で目を覚ましたんだって」と教えてくれました。
大津波に巻き込まれる中で、被災者の協力で助け出された咲来ちゃんは、雪が降る極寒の寒空の下で濡れた衣服に体温を奪われ、低体温症で凍えて重症の不整脈を起こして意識を失い生死の境を彷徨っていたとのこと。
つい先程、どこかまだ分からないある病院の一室で目を覚ました咲来ちゃんは、身近にいた看護師さんにお願いして電話を借りると真っ先に風雅君へ連絡したのです。
「医者から両親に覚悟してくださいって言われるほど危ない状況だったみたい。でも、駅のホームで穂波さんと手を繋ぐ夢見て目が覚めたって! いつ退院できるか分からないけど、もう一度僕の髪を見て生きる勇気を持ちたいって言ってる!」
涙を流しながらはにかむ風雅君を優しく抱きしめて私も涙を流しました。綺麗にブラッシングされた艶やかな黒髪を優しく撫でます。
「風雅君、あなたの想いが届くといいわね」
「うん……!」
風雅君の想いを断ち切らないで済んで良かった。私の舞が、久美子ちゃんの言葉が、巡り巡って二人の子の想いを繋いだのです。静かに流れて頬に伝い落ちる涙が止む気配がありません。
これは希望に溢れる物語。久美子ちゃんもきっと生きている、そう願い信じる他ありませんでした。きっと、私にも奇跡が──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます