最終話 この世の誰かを生かすための舞



 鳴り響く結婚式の鐘の音を聞きました。


 それは、本来のバレエ演劇『ラ・シルフィード』の結末と同じ。


 風の精霊を死なせてしまった青年は、失ってしまった未来に悲観して、ただただ呆然と立ち尽くして、鐘の音が止むのを木々で囲われた世界の中で待ち続けました。


 まるで、この世界は牢獄。


 青年が緑深き森の中から抜け出せた物語はこの世に一つも存在しません。


 とらえられたのは風の精霊ではなく、青年の方だったのでしょうか……。

 


 ◇ ◇ ◇



「これ以上やめてくれませんか……まるで妻が生きているかのように発言することを!」


 気仙沼市の海岸沿いにある震災以後に整備された復興記念公園の慰霊碑の前で、私は一人の男性から涙ながらに叱責しっせきを受けました。


「あれから何年経ったと思っているんですか。12年! 12年ですよ! 自衛隊や警察、消防隊……私だって何年もかけて妻を探したけれど遺体どころか震災当時の所持品すら見つけることができなかった。もう生きている望みなんて何処にも無いのにあんたって人は……!!」


「久美子ちゃんは生きてます。大津波に巻き込まれて亡くなったなんて私は……信じない……」


「あんた、いい加減に……!」


 爪を立てて腕を掴み、突き放そうとした久美子ちゃんの夫は、私の目から大粒の涙がいくつも流れて頬を伝っていくのを目にすると言葉を失いました。


「久美子ちゃんはかつて私にこう言ってくれました……大好きなバレエで死んでたまるもんですか、と。私に『この世の誰かを生かすための舞』があることを教えてくれた久美子ちゃんのために、私がバレリーナとして舞い続けることで、久美子ちゃんに残酷な死が与えられたという事実が失われるのです……」


 付き添いに来てくれた短髪の青年が遠くの駐車場から心配そうな顔で大声を上げました。


「穂波先生! そろそろ行きますよ! 新幹線の時間に間に合わせます!」


 彼の左薬指にはめられたシルバーの結婚指輪が陽光に煌めきます。


 東京行きの新幹線の時間までまだ時間があります。きっと、私の身を案じてこの場をすぐ離れたほうがいいと機転を利かせたのでしょう。


 涙を拭って久美子ちゃんの夫に深々と頭を下げると、青年ともう一人の女性の教え子が待つ車が停められた駐車場に向かおうとしました。


「自分を呪わないでください……あんたがバレエを踊る姿……俺にはもがき苦しんでいるように見えるよ……」


 背後から不意に呟かれた久美子ちゃんの夫の言葉に私は立ち止まって振り返ると、目を細めて優しく微笑みました。


「自分を呪ってなんかいませんよ。久美子ちゃんが言うように私も──」


 私も、バレエが大好きで、大好きで、とても愛おしく思っているのだから。

 


 ◇ ◇ ◇



 新国立劇場の眩いステージライトに向けて両の手を伸ばすステージ上の私に観覧席を埋め尽くす数々の観客達の全ての視線が降り注ぐ。


 私の舞は、願いの舞。


 東日本大震災の死者15,900人。


 私が舞い続ける限り、久美子ちゃんがこの中に含まれることはきっと無い。そう、信じてる。


 スポットライトの光はまるで私を照らす太陽のようで、その眩しさから久美子ちゃんのことを幾度も想起して無数の観覧席のどこかで私のことを見てくれているような、そんな心持ちにさせてくれます。


 私の物語はいつも同じ。


 終焉とともに舞台幕が下ろされてスポットライトの光を遮り、観覧席を埋め尽くす観客達を押し寄せる大津波の如く全てを覆い隠していく。


 そこには私のことを慕う教え子がいて、私のことを瞳を輝かせて憧れてくれるバレリーナの卵がいて、私のことを「国内最高峰のバレリーナ」として評してくれる観客達がいて……最愛の友・久美子ちゃんがいる。


 爽やかな春の嵐が心の中に吹き荒ぶことは決して無いのだと哀しみにさいなまれようとも、願いの舞が止まぬ限り、再び舞台の幕が上がり、追憶の桜吹雪の中に生きるあなた達と巡り会う。


 廃線上のシルフィード、私と共にあり──。



 FIN


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廃線上のシルフィード 江ノ橋あかり @enohashi2260

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