第2話 死の舞踏



 かつての私の舞はもっと純情で素朴なものであったはずでした。


 宮城県登米市の寛木町くつろぎちょうという山々に囲まれ、田園風景が広がる緑豊かな田舎町で私は生まれ育ちました。


 町内にある「後藤有愛ごとうありあバレエスクール」に幼き頃から通っていて、友達と一緒に楽しいことをしたかった、という単純な思いからバレエを続けていたのです。


 小学2年生の春のこと。仙台市街地の劇場で開催されたバレエコンクールで『人形の精のva(ソロ)』を舞ってキッズ部門一位入賞と審査員特別優秀賞を獲得しました。表彰式の後に先生に告げられた言葉から私の舞は他の子とは一味違ったひいでたものであることを知らされました。


「身体付きがバレエ向きで、優美でしなやかに舞う姿は幼ながらも一級品。あなたはバレエを舞うためにこの世に産まれた申し子なのです。好成績を残すことを私は既に確信していましたよ」


 ニコニコと笑顔で褒める先生の背後で、下位の賞を取った他のスクールの子が親にすがり付きながら赤く泣き腫らした目で恨めしそうに私を見つめていました。


 今にして思えば、これが「死の舞踏」の始まりだったように思います。


 限りなく澄み渡る大空へと羽ばたく事を夢見た白鳥のヒナを死に至らしめるように、私が舞う事で本来バレリーナとして活躍出来たはずの子達が栄光を手にすることなく自信を無くし消えていく。


 始めは、私を誘ってくれて同じ時期にバレエスクールに通い出した友達とその妹、次に有愛先生の一番のお気に入りだった小学6年生の先輩。


 有愛ありあ先生の勧めで故郷の小学校を卒業した後、名門の「(公財)高天こうてんバレエ団」のプロダンサーが指導してくれるバレエ部がある神奈川県の中高一貫校に進学しました。


 親元を離れたのが寂しくて、寮の一室で涙を流すこともありましたが、度重なる厳しい稽古を経て自身の舞が洗練されていくのを実感することだけが唯一の心の支えとなりました。


 別の地域の学校に通う実力者だった子の数人がある時期を境にコンクールで姿を見なくなることがあって、私の存在が自身に才能が無いと絶望させる、私に賞を取られるから無意味だと言い残してバレエを辞めたという風のうわさを耳にした時はやるせない気持ちになって、日常的に鬱々とした気持ちでいることが多かったです。


 私は……あなた方のバレリーナとしての死を願ったことは一度もありません。このような思いになってしまうのなら私自身が表舞台から退くべきなのでは、と罪悪感に苛まれ思い悩む日々を送っていると……。


穂波ほなみ、あなたの舞は『死の舞踏』じゃないよ!」


 そう言って励ますのは、十七歳の時に短期留学先のウクライナのバレエスタジオで共に稽古を励んだ久美子くみこちゃんという同い年の親友でした。


 関西の高校に通う彼女は、私と同じ「宮城県出身だった」という共通点から親しくなり、幼少の頃の懐かしい思い出を語り合う中で私の苦しみを唯一打ち明けることが出来た人です。


 鬱々とした思いを常に頭の中で巡らす私とは違い、常に「にひひ」と屈託の無い笑顔を見せ元気溌剌げんきはつらつでこの世に陰があることを許さず全てを照らす眩い太陽のような性格をした彼女もまたバレリーナとして好成績を残す優秀な子。


 互いに切磋琢磨し、私に負けじと稽古を励んだ彼女の舞は留学先の講師が息を飲むほどより美しく研ぎ澄まされていき、日本に帰国後、国内最高権威と言われるNBA全国バレエコンクール高校生女子の部で再会し、一二を争う好敵手として立ちはだかりました。


「あなたは誰よりも血の滲むような努力をしていたのを私は知っている。『死の舞踏』なんて絶対に言わせない。穂波に打ち勝てばそんな考え捨ててくれるよね」


 これまでの稽古で磨き上げてきた自身の舞を大切にしてほしいという久美子ちゃんの思いは遂に私を打ち負かし、一位の座を奪い取っていったのです。


 厳粛な空気に包まれたこのコンクールでは拍手をしてはいけないという決まりがあったはずでした。


 彼女が『ラ・シルフィードのva』を舞い終えると観客席から多大な拍手が沸き起こり、歓声が上がったのです。純白のロングチュチュを身に纏い、幽玄に軽やかに舞う姿は風の精霊が本当に存在していて実際にその場で見ているかのようでした。


 自分の番を終えていた私は、選手待合室のモニターでその様子を見守っていました。パイプ椅子に座りうずくまると、他の選手がいるにも関わらず、化粧が落ちるのも気にせずに鼻を啜り顔をクシャクシャにして涙したのです。


 結果発表がされていなくても私自身の敗北を実感したとともに、胸が暖かくなって、心の奥底にあった凍てついた氷の心が溶けていくのを感じました。


 これが、人の幸せを想う願いの舞──。


 人の舞を見て心揺さぶられ、涙を流したのはこの時が初めてでした。


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