2-18 アリバイと死者の声

「凛汰、何言ってんの? 当たり前じゃん! 帆乃花が、僕を呼んだんだよ!」

 梗介は笑い飛ばしたが、次第に眼差まなざしが冷えていった。――疑問をていした凛汰の言葉に、美月が驚かないことに気づいたのだ。凛汰は、かなしげに目をせる美月を尻目しりめに、新たな議論に移ろうとしたが、梗介に「待ちなよ」と妨害ぼうがいされた。

「その前に、さっきの凛汰の推理に反論させてよ。言われっ放しはムカつくからさ」

 議題を引き戻す梗介は、まだ薄暗い笑みの仮面を外さない。凛汰が「いいぜ。言ってみろよ」と快諾かいだくすると、笑みのくらさが濃くなった。

「あははっ、じゃあ僕の手番だね。さっき凛汰は、僕が『神域にさらけ出した帆乃花の遺体を、すきを見て消した』って言ったよね? その推理の正しさを主張するなら、もっと詳しく教えてよ? 僕は、一体どうやって帆乃花の遺体を消したのさ?」

 梗介は、足元の岩肌いわはだを見下ろしてから、右手で崖下がけしたを指し示した。

海棠家かいどうけ楚羅そらさんの遺体を見つけてから、僕、凛汰、美月ねえ、浅葱さん、クソ雑魚ざこ教師の五名が、この神域に戻ってきたよね? 到着した順番は、僕が一番目、僅差きんさで遅れて凛汰と美月ねえ、ほぼ同時に浅葱さん、そのあとでクソ雑魚教師だったでしょ?」

 嘲笑ちょうしょうふくんだ声が、はるか下方で波がくだける音と混じり合う。崖下を示していた人差し指が、凛汰へ素早く差し向けられた。

「凛汰ぁ、自分の台詞せりふを思い出しなよ! 『梗介が神域に到着してからすぐに、俺と美月も御山を登り切った。その間に、何かが崖下に落ちたような音は聞こえなかった』って証言したのは、他でもない凛汰なんだからさぁ! 僕には帆乃花の遺体を始末する時間なんてなかったことくらい、分かっていて当然だよね!」

「そうだな。俺は、確かにそう証言したぜ」

「ほら! じゃあやっぱり、凛汰の推理は破綻はたんしてるよ! 神域で帆乃花の遺体を見つけた僕らは、楚羅さんの無事を確かめるために、みんなで一斉に海棠家まで戻ったんだから、今回はちゃんとアリバイもあるよ! 僕には、帆乃花の遺体を隠す時間なんてなかったっていう、れっきとしたアリバイがね!」

「お前にアリバイがあったとしても、共犯者にはアリバイなんてないだろ?」

 打てば響くように告げた反論が、場の空気を凍りつかせた。大柴が「共犯者っ?」と声を上げると、美月が不安げに周囲を見渡してから、困惑の目を凛汰に向ける。

「梗介くんには、共犯者がいるの? もしかして、私たちの中に……?」

「美月の言葉は、半分外れで、半分当たりってところだろうな」

「半分? どういうこと?」

「蛇ノ目帆乃花殺しに関して言えば、蛇ノ目梗介の共犯者は、海棠浅葱でもなければ大柴誠護せいごでもなく、もちろん俺と美月も違う。梗介が言うように、全員で神域から海棠家に向かった俺たちには、それぞれアリバイがあるからだ。よって、梗介の共犯者は、この場にはいない――と見せかけて、俺たちの近くに潜んでいるのかもしれないぜ?」

「……僕さ、凛汰のそういう勿体もったいつけた態度、嘉嶋かしま先生にそっくりで嫌いだよ? 鬱陶うっとうしいから、さっさと言いなよ。一体誰が、僕の共犯者だって言いたいのさ!」

だろ?」

 殺人犯の望み通りに、凛汰は二人目の犯罪者をあばき立てた。

「帆乃花の遺体発見時に、村人たちの集団の一番端で、つえをついていた女。先代の蛇ノ目家当主の妻であり、お前と帆乃花の母親である女が、十中八九、お前の共犯者だ。十二時間以上前に死んだ家族の不在を、他人ならともかく、母親にまで隠し通せると思うか? 母親は、梗介による帆乃花殺しと、遺体を土に埋めて隠した行為を、と考えるのが自然だ」

「はあぁ? あははははっ、凛汰って馬鹿なの? 凛汰がいま言ったように、僕の母親は足が悪いんだよ? 杖をついてる母さんには、神域に転がっていた帆乃花の遺体を始末するなんて芸当、不可能だよ!」

「本当に、不可能か?」

「もちろんだよ! だって、杖があってもゆっくりしか歩けないし、かがんだときに転ぶことも多いくらいに、足が不自由なんだからさ!」

「まず、美月と浅葱さんに確認するぜ。梗介の母親は、本当に足が悪いのか?」

「うん……歩行はつらそうだよ。あんまり表情を見せない人だし、確かなことは分からないけど、私は演技じゃないと思う」

 そろりと答えた美月は、浅葱をちらと振り向いている。視線を受けた浅葱は、先ほど見せた動揺の残滓ざんしさえも消した顔で、「ああ」と養女に同意した。

千草ちぐさの両足は、梗介と帆乃花が生まれる前から悪かった。村人たちを問い詰めても、私と同じ答えを返すだけだ」

「梗介の母親は、千草って名前なんだな。あんたとは、どういう間柄だ?」

「千草は、私より四つ年下の幼馴染だ。千草が蛇ノ目家にとついでからは、家ぐるみの付き合いが続いている。これで満足か?」

「あのー、凛汰くん。僕には訊かなくていいのかな?」

 大柴が口を挟んできたが、無視した凛汰は「議論に戻るぜ」と短く言って、冷ややかにこちらを見ている梗介と対峙たいじする。

「お前の母親が、足に故障こしょうかかえているのは確かみたいだな」

「だから、さっきからそう言ってるじゃん。帆乃花の遺体を運ぶなんて、母さんには無理に決まってるよ!」

「ああ。短時間では、無理だろうな。でも、じゅうぶんな時間さえあれば、可能だ」

 凛汰は、先ほどの意趣返いしゅがえしのように、崖下に人差し指を突きつけた。

「帆乃花の遺体が傷んでもいいなら、なりふり構わず鎮守の森まで引きっていけばいいし、もう遺体を土に埋め直す気がないなら、崖下に突き落としててればいい。後者のほうが、楽で簡単だろうぜ。俺たちが、楚羅さんの安否あんぴを確かめるために、一斉に海棠家へ向かったすきに、

 左手の人差し指をたたんだ凛汰は、今度は親指を立てて、背後の森を指し示す。――凛汰と美月が通ってきた近道のこずえが、冷風を受けてさんざめく。梗介が、不愉快ふゆかいげに「そんなの、おかしいよ!」と抗議こうぎしてきた。

「あのとき、楚羅さんの安否を真っ先に気にしたのは、凛汰じゃん! 浅葱さんに『楚羅さんは、今、どこにいますか』って訊いてたよねっ? 神域から全員で海棠家に移動したのは、偶然の流れだよ!」

「俺が言わなかったら、お前が言い出す予定だったんだろ? 神域を無人にする言い訳を、適当にでっち上げればいいだけだ。現に、海棠家で楚羅さんの首吊くびつり死体を眺めていた村人たちの中に、お前の母親はいなかった。蛇ノ目千草の足の故障が、演技ではなく本当なら、神域から走って海棠家まで向かった俺たちに、ついて来るのはだ。――梗介にアリバイがあろうがなかろうが、関係ない。この場面でアリバイの有無うむが問われる容疑者は、お前じゃない。蛇ノ目千草だ。そして、足の故障が真実である限り、帆乃花の遺体の在処ありかが森であれ、海であれ、お前の共犯者である蛇ノ目千草は、そう遠くには逃げられない。すなわち、

 左手を下ろした凛汰は、重いよどみを吐き出すように、梗介に言った。

「お前は、被害者の子どもと加害者の子どもの、両方の母親である家族に、双子の姉殺しというテメェの犯罪の尻拭しりぬぐいをさせた、鬼畜きちくだよ」

 美月が、青い顔色で絶句している。少しふらついたのか、足元の砂利じゃりがざらついた音を立てた。凛汰の意識が隣にれたとき、鬱々うつうつとした笑い声が聞こえてきた。

「ははっ……なんで、断定しちゃうかなぁ。仮に僕が、凛汰が言うような殺人犯だとして、人殺しの子どもの母親が、犯罪の片棒かたぼうかつぐなんて、異常だと思うけど?」

「俺には、あの母親が、マトモな神経をしているとは思えない」

 断定すると、梗介の笑みが罅割ひびわれた気がした。御山から響く葉音はおとが、大きくなる。

「帆乃花の遺体を見つけたときに、娘が『蛇ノ目家のつとめを果たせなくなった』ことをびていたような女だ。どんな思想を持っていようが勝手だけどな、今さら良識と常識を振りかざされても、耳を貸すだけ時間の無駄だ。まあ、我が子の犯罪を隠匿いんとくしたいっていう親心くらいなら、百歩譲って認めてやっても構わないけどな。いっそ、本人に訊いてみたらどうだ? 今から議論を中断して、みんなで御山に入っても構わないぜ」

 梗介の目が、わっていく。凛汰は、一言一句いちごんいっくはっきりと言った。

「逃げるなよ、梗介。お前は、そんなに怖いのか? 俺が『帆乃花の声』について、ここで真相を話すのが」

「別に、逃げてないけど? そんなに推理自慢がしたいなら、聞いてあげるよ。凛汰が共犯者って決めつけてる母さんさがしは、そのあとでもいいんじゃない?」

「その提案は、時間かせぎだと受け取られかねないぜ。分かってるんだろうな?」

「そう思いたいなら、勝手に思えば? こういうお喋りも、時間の無駄じゃない?」

 ニタリとわらう梗介に、凛汰が「その通りだな」と応じると、美月が「いいの?」と心細そうに訊いてくる。「構わないぜ。共犯者が逃げたところで、あいつがクロだって事実は揺るがない」と答えた凛汰は、仕切り直しの議論をスタートさせた。

「美月の検死けんしで、帆乃花の背中の死斑しはんが見えたときに、梗介が残した不審ふしんな点の数々が、一本の線につながった。だから、あのときには確信していたぜ。――俺たちが教員寮きょういんりょうで聞いた『帆乃花の声』は録音で、すでに死亡している帆乃花が『まだ生きている』と見せかけたい犯人が、巧妙こうみょうに仕組んだ工作だ、ってことをな」

「あはははっ、録音? 凛汰ってば、さっきの女装発言に続いて、また変なことを言い出したね。あのときの帆乃花の声は肉声にくせいで、録音なんかじゃないよ!」

「感情的に否定すれば、誤魔化せると思ってるのか? ガキの浅知恵あさぢえだな」

「凛汰だって、歳は一つしか違わないじゃん! そもそも、ここは櫛湊村くしみなとむらだよ? この村がどれだけ寂れてるか、凛汰だって見てきたでしょ? 僕たちが暮らす村は、〝憑坐よりましさま〟とハナカイドウの花くらいしか、よその地域にほこれるものなんて、なーんにもない田舎いなかだよ? 便利な録音機器なんて、あるわけないじゃん!」

「……あるよ。梗介くん」

 美月が、小声で言った。顔色は相変わらず悪かったが、瞳にともった意志の光は、まだ失われていなかった。

「さっき凛汰が言ったことを、思い出して。生前の三隅みすみさんが……『奇妙なことを二つ言ってた』って話を。一つ目は、宝探しのこと。もう一つは……」

 言葉を切った美月の台詞を、凛汰は静かに引き取った。

「――『取材道具のボイスレコーダーを紛失ふんしつした』……四月一日の昼下がりに、教員寮の二階で初めて顔を合わせた三隅さんは、俺と美月に、そう言ったぜ」

 梗介は、表情を変えなかった。代わりに、反応を見せたのは大柴だった。「ボイスレコーダー?」と頓狂とんきょうな声を上げて、垂れ目を大きく見開いている。

「なんで、そんな物が村に? 取材は海棠家が許可したけど、音声や映像の記録はNGだって、聞かされてたんだけど……」

「録音機器の使用禁止は、本人も承知していたぜ。『村の取材では使えない持ち物だけど、大事な仕事道具だから、手元にないと困る』って言ってたからな。禁じられた物を村に持ち込んだ理由は、よく使う仕事道具を携帯していただけなのか、それとも秘密裏ひみつりに〝姫依祭ひよりさい〟の音声を録音する魂胆こんたんだったのか、本人がくなった以上、もう確認するすべはないけどな」

「そ、そうなんだ……そのボイスレコーダーの特徴を、凛汰くんは訊いてるかい?」

 大柴が、尻込しりごみした顔で訊いてくる。ただの電子機器を呪物じゅぶつのように気味悪がっている男を、凛汰はしらけた目でながめてから、ぞんざいに言ってやった。

「ボイスレコーダーの特徴は、『録音と再生機能がついた、手のひらサイズの機器』だそうだ。――梗介。お前も知ってるんだろ?」

 凛汰は、ひたと梗介を見る。そして、犯人が仕組んだカラクリを言い当てた。

「三隅さんのボイスレコーダーをぬすんだのは、お前だ。そして、ボイスレコーダーに自分の声を録音して、帆乃花の生存を偽装ぎそうした」

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憑坐さまの仰せのままに 一初ゆずこ @yuzuko

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