2-17 フェイク
凛汰が断定すると、見えざる衝撃が場に走った。美月が梗介に向ける眼差しに、うっすらとした恐れが混じり始める。梗介は、気にした様子もなくヘラヘラ笑った。
「……へーえ? それが、さっき凛汰が言った『違う絵』ってやつなんだ? ははっ、なぁんだ。案外大したことないね。僕が帆乃花を殺して、土に埋めて隠してたことを、記者さんに知られちゃったから、
「お前がさっき自信満々に語った
「そうだっけ? でもさ、記者さんって、ウザったい感じのキャラだったじゃん。積極的に交流したいとは
「どうだかな。性格が個性的な者同士、馬が合ってたんじゃないのか?」
「その見解も、美月ねえの入れ知恵? 僕に揺さぶりを掛けても無駄だよ? いくら凛汰が疑っても、現実に帆乃花が死んだのは今日なんだから。凛汰と美月ねえも、早朝に帆乃花と会ったはずだよ?
「会ってねぇな」
凛汰は、即答してやった。
「俺と美月が、今朝、この神域で会ったのは――梗介。お前だ。あのとき俺たちが見たのは、櫛湊第三中学校のセーラー服を着て、ショートボブのウィッグをかぶって、帆乃花になりすましていた梗介だ。俺たちは今朝、帆乃花に会ってないんだよ」
大柴が、あんぐりと口を開けた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、教え子の顔を凝視している。梗介は、腹を抱えて笑い出した。
「あっははははは! 何それ、
ひとしきり笑った梗介は、一転して真顔になると、口の
「でもさぁ、凛汰は状況を分かってるのかな? 僕は、帆乃花を
「私は、冗談だとは思わないよ」
凛汰に
「今朝、私は……この神域で、
梗介が、初めて目を
「あのときは、そんなふうに感じた私が変なんだって、自分に言い聞かせてた。誰かに話しても、笑われちゃうと思ってた。……でも、たとえ時間が巻き戻っても、私はきっと、あのとき参道を下っていった子のことを、帆乃花ちゃんとは呼ばないと思う。ねえ、やっぱり、私と凛汰が、今朝会ったのは……あなたなんでしょ? 梗介くん……」
――さっき凛汰に耳打ちしたことを、美月はどれほどの勇気を
「帆乃花の死亡推定時刻を、正確に割り出すことが困難でも、帆乃花が今朝よりも前に死亡していたという事実だけなら、確実に証明できるぜ」
帆乃花の遺体を見つけた
「ここで帆乃花の遺体を見つけたときのことを、もう一度思い出せ。美月の検死で判明した真実は、本当の殺害現場が別の場所だったことの他にも、まだあるぜ」
「何があるって言うのさ。そんなもの、怪しい
「いいや。梗介も見たはずだ。俺の指示で、美月が帆乃花の上体を
凛汰の言葉に、美月が反応を示した。
「帆乃花ちゃんの身体は、前側が打撲痕だらけだったけど、後ろ側は違ったよね。背中は、全面が赤紫色で……打撲痕と色は似てたけど、たとえ何かで殴られたとしても、あんな
「ああ。帆乃花の遺体は、
「ちょっと待ってよ、二人とも。そんな
鼻で笑った梗介に、凛汰は「いいや、些細なことなんかじゃない。むしろ、かなり重要だ」と反論して、薄い笑みを返してやった。
「背中の大半に拡がる染みを、岩肌で擦れた痕だと言い張るのは、かなり無理があるぜ。――なあ、梗介。美月から聞いた話だと、昔の
毒づいた言葉尻が、少し震えた。顔に貼りつけた笑みも、きっと
「遺体の検死中に、俺が『帆乃花の背中を、
「え? う、うん……でも、証言できることなんて、何も……だって、帆乃花ちゃんの背中を押しても、何も変わらなかった、よね……?」
「オーケー。じゅうぶんだ。指圧する前と後では、遺体に変化はなかったよな」
梗介が、また笑うのをやめた。無言の
「
「死斑?」
美月が訊き返すと、大柴がここぞとばかりに「あ、知ってるよ。ミステリー小説とドラマで……」と
「死斑は、人間の身体に起きる死後変化のことだ。死後変化には死体現象という別名もあって、さっき俺が話した人体の『
言葉を切った凛汰は、ひたすらに
「首吊り死体の場合なら、死斑は下半身に出るらしいぜ。海棠家に戻ったときに、
浅葱は、
「楚羅の場合は、私が遺体を
「死斑の、流動性……?」
美月が、首を
「死斑は、死後三十分ほどで出現し、初期のものは
「……もっと時間が経過したら、どうなるの……?」
美月が、青ざめた顔で問うてくる。凛汰の話の着地点に、すぐさま理解が
「――死後十二時間もたてば、死斑は転移しなくなる。沈下した血液の
ポケットからスマホを取り出した凛汰は、液晶を確認する。「今は、十三時だな」と時刻を告げてから、改めて梗介と向き合った。
「帆乃花の死亡時刻が、今朝の七時頃から現在の十三時までの間なら、死斑の流動性が保たれていて
スマホを右手に握ったまま、凛汰は結論を宣言した。
「これで、よく分かっただろ。俺と美月は、帆乃花と今朝は会ってないってことが。会えるわけがないってことが」
梗介は、またもや
「そう結論を出すのは、
「じゃあ、俺が納得させてやるよ。お前が、自分の罪を認めるまで」
「あはっ、怖いね。凛汰、将来は絶対に、警察官とか
「捕まるのは、お前のほうだ。殺人罪に加えて、死体
美月が、隣で身を
「帆乃花の遺体には、何かで
「凛汰、ゲスいことを言うね。敵に回したくない〝まれびと〟だなぁ」
「それは残念だったな。お前が殺人を
「僕が、帆乃花を殴る? そんなこと、するわけないじゃん!」
「いいや、お前だ。犯人はお前で、お前が帆乃花を殴ったんだ。お前には、帆乃花を殴りつけなければならない理由があったんだ」
「凛汰……その理由って、まさか」
「帆乃花の全身の打撲痕は、いずれ背中の全域に拡がってしまう死斑を誤魔化すための、フェイクだ。遺体の背中を怪しまれないようにするために、そして死斑から死亡推定時刻を割り出されて、帆乃花が今朝よりもずっと前に死んでいたことを隠すために、お前は帆乃花の全身を
「……何、その推理。ものすごく残酷で、イカレてるじゃん。凛汰、普通じゃないよ。そんなことを思いつくなんてさ」
「それは全部、お前のことだろ?」
「普通の思考をしていても、イカレ野郎の犯罪なんか、一生かかっても
「……梗介くん……」
美月が、くしゃりと顔を
異様な気配を察したのか、美月が振り向き「浅葱さん?」と呼び掛けたが、浅葱は激情を
「美月が、帆乃花の検死を申し出たとき、お前は内心かなり動揺したはずだ。神域に転がされていた帆乃花が、服を着ていなかったことを言い訳にして、俺たちを近寄らせない算段だったんだからな。帆乃花の遺体を調べた美月が、犯人を特定するための『何か』を突き止めることを、本当は恐れていたんだろ? 男の俺たちは遠ざけられても、女である上に〝憑坐さま〟の巫女を
スマホを持っていないほうの左手で、凛汰は梗介の学ランを指さした。
「お前は『梗介』として俺の前に現れるとき、〝
「そんなの、凛汰のこじつけだよ! 僕がサイコパスな知能犯だって疑うよりも、記者さんが
「……お前は、一体どういう気持ちで、そんな台詞を
言い捨てた凛汰は、「そうやって、殺人の罪を他人に着せることも、お前の狙いなんだろ?」と続けて、梗介の主張を
「土に埋めてまで隠そうとした帆乃花の遺体を、神域という目立つ場所に
凛汰の主張を聞いた梗介は、表情を喪失させてから、ひどく皮肉げな笑い方をした。凛汰は、陰鬱な顔に怯むことなく、一歩も引かずに追及する。
「帆乃花が死んだのは、三番目なんかじゃない。教員寮で死んだ三隅さんよりも前に死んでいたことは、遺体の状態によって証明された、絶対に
「……でもさぁ、それでも帆乃花は、今朝から昼前までの間に死んだんだよ? 凛汰と美月ねえだって、まさか忘れたわけじゃないでしょ? 教員寮の二〇一号室で、僕らが記者さんと話してるときに、帆乃花が来てくれたことをさぁ! あのとき僕を呼んだ声が、まだ帆乃花が生きていた証拠だよ!」
意気揚々たる反論を、凛汰は「そうだな」と素直に認めた。
「帆乃花の声は、確かに梗介を呼んでいたな。――声だけは、な」
梗介の目元が、僅かに震える。凛汰は、問いを投げかけた。
「そもそも――あれは、本当に帆乃花の声だったのか?」
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