母の手料理

小烏 つむぎ

母の手料理


 ノートパソコンのふたをパタンと閉じて、私はうーんと伸びをした。背骨がパキパキと鳴った。


 マンションの11階から見えるのは小高い皿山さらやまの向こうに広がる霞んだ瀬戸内海。右手遠くには呉も見える。


 ベランダの窓で切り取られたような空に夕暮れの気配がにじむ。傾き始めた日差しの中、たなびく雲の下を1羽の鳥が横切っていった。


 そういえば明日は私の52回目の誕生日だ。きっと家族からお祝いのラインが届くんだろうなと、カレンダーを眺めながら口元が緩んだ。


 さて、そろそろ晩御飯の準備でもするかと、台所に灯りをつけ冷蔵庫の扉を開けて中を見る。すうっと冷気がほほを撫でていった。それがとても気持ち良かった。作り置きで簡単にと思うが、肉じゃがが少し残っているだけだ。


 昨日作った空芯菜くうしんさいの炒め物はどこにいったろう。あ、そうそう。今朝食べてしまったんだった。冷蔵庫にあるのは豆腐、ヨーグルト、納豆。豆腐にヨーグルトでもかけて食べようか。それもちょっとねとすぐに却下きゃっかする。


 どうせ一人なんだしと料理するのがだんだん面倒めんどうになってきて、のぞいていた冷蔵庫の扉をパタンと閉めた。


 私の夫は単身赴任たんしんふにん7年目で今は山口市にいる。窓から見える呉のもっと向こうだ。二人の娘たちはそれぞれ進学で岡山と香川だ。私は仕事があるので広島に残った。


 長女が幼稚園に通い始めて始まったお弁当作りは、去年次女の進学とともに卒業した。おかしなものでそれまで私は料理好きなんだと思っていたのだけれど、終わってみると肩の荷が降りたように思える。今は気ままな一人暮らし、面倒めんどうな時は総菜そうざいで充分だ。


 ならばコンビニにでも行こうかと財布と部屋のかぎを手にした時、スマホが鳥のさえずりで次女の綾音あやねからラインがきたと教えてくれた。


『明日帰る 駅18時45分着 お迎え、よろしく』


 誕生日に娘が帰ってくるのが嬉しくて、私はさっそく返事を打ちこんだ。


『帰れるの? 了解 気をつけてね』

『カボチャのスープ 飲みたい』

『わかった 作っとく』

『感謝』


 さて、コンビニからスーパーへ行先変更だ。私はなんだか気持ちが浮き上がるのを感じて、車の鍵に手を伸ばした。


  ◇ ◇ ◇


 翌日、私はヤル気満々で台所に立っていた。


 買って来たラグビーボールのような形のカボチャに、エイッと包丁を突き立てる。湿った鈍い音をたてて、カボチャが二つに割れた。濃い緑の皮が隠していた綺麗なオレンジ色の実が現れた。タネを取り、皮を剥ぎ、適当な大きさにズサッズサッと切っていく。


 鍋にバターを溶かすと、湯気ととにもふくよかな香りが漂った。玉ねぎ、にんじんを加えると、しばらくして炒めた玉ねぎとニンジンの香りが混じる。


 うーん、いい香り。


 綾音あやねが食べたいと言ったカボチャのスープは、子ども番組で「シンデレラのスープ」という歌を聞いて、せがまれて作った日から娘たちの好物だ。


 あの頃ニンジンが嫌いだった娘たちに、小さくして混ぜてみたらとアドバイスをくれたのは母の幸恵ゆきえだった。実は母のこのやり方で私もピーマンを克服こくふくしていた。「シンデレラのスープ」の歌には材料はカボチャしか出てこないが、我が家の「シンデレラのスープ」には以来ニンジンは欠かせない材料だ。いまだに子どもたちには内緒だけど。


 いい香りの炒めた野菜にコンソメスープを注いで、味噌みそこしにトマト一個を切って入れる。そうそうローリエの葉も入れないと。


「トマトはあれ、出汁だしが出るけんね」

そう教えてくれたのは義母ぎぼ容子ようこさんだ。農家出の義母ぎぼには野菜の使い方をいろいろ教えてもらった。豆ご飯にはさやも一緒にむと香りが強くなるって教わったなと、連想ゲームのように思い出した。


 コトコト、コトコト。ほんわり湯気のたつ鍋が鳴っている。味噌みそこしの中のトマトが色と旨味をスープに明け渡して、煮崩にくずれていった。


 トマトとローリエを取り出して、鍋にクリームチーズを落とす。これは私の工夫くふうだ。食が細くてたくさん食べられなかった長女のために、一品に出来るだけ栄養を詰め込もうと画策かくさくした結果だ。ま、母心ははごころってやつよねと、私は自分をめた。


 オレンジ色のカボチャとニンジンのスープに浮く乳白色のクリームチーズが夕焼けの海に浮かぶ雪原せつげんのようで、毎回綺麗だなと思う。

 

 ブレンダーをセットして鍋に突っ込むと、大げさな音がして形を保っていた野菜たちが崩れていった。残るのはぽってりと鮮やかなオレンジ色のスープだ。ここに生クリームが我が家流。ちょっと贅沢だけど初めて生クリームを入れたスープを口にしたときの夫の目の輝やきが忘れられないから、これはゆずれないんだな。


 さて、スープは出来た。メインはとりのソテーとかどうかしら。冷凍室のトマトソースと絡めたら、イタリアンな感じになるんじゃないかと思い付いた。あとはサラダでも用意しようかな。


 鶏肉に塩を揉み込んでいたら、テーブルの上のスマホが鳴った。急いで手を洗って電話に出る。長女の紗音さやねからだった。


『あ、お母さん? 私、サヤ。

あや、今日帰るんだって? 』

『そう、綾音あやねから聞いたの? 』

『うん、あのさ、私も帰る。時間合わせるから、迎え頼むね』

『わかった。楽しみにしてるよ』


 娘たちが揃うのは久しぶりだ。私は舞い上がるような気持ちで料理の続きに戻った。


 トマトと白ワインを煮込んだソースはたっぷりあるから人数が増えても心配ない。鶏肉は大急ぎでもうひとつ準備した。フライパンで焼くつもりだったけどオーブンに任せよう。オリーブオイルを塗って天板に乗せる。そうそう、周りで野菜も焼こうと、ジャガイモとニンジンも並べてみた。オーブンのスイッチを入れる。帰って来た頃には美味しく焼けて、いい香りが部屋に漂っているだろう。


 テーブルに人数分のカトラリーとグラスを出しておく。子どもたちの箸や食器が食卓に並ぶのも久しぶりだ。料理がなくても食器だけで賑やかだ。ここに夫の物も並べたいなと思った。


 さあ、そろそろ迎えの時間だ。


 私は台所の灯りを消して、玄関に向かった。


 ◇ ◇ ◇


 駅の駐車スペースは混み合っていた。しばらく周囲をグルグルまわり、出ていく車と入れ違いに駐車する。


 「着いた」と娘たちにラインを送るとしばらくして駅から子どもたちが現れた。


 なんと夫の姿もあった。娘たちが声をかけてくれたらしい。夫は小さな花束を、娘たちは駅に入っている有名なケーキ屋の箱を抱えていた。


 あぁ、何て最高な誕生日だろう!


 車の中と私の心は家族の声で満たされた。

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