みっともない僕の恋物語

福山典雅

みっともない僕の恋物語


 僕は狭いワンルームの部屋で、彼女と食事をする前にテーブルを横にずらした。


 いぶかしむ彼女はクッションに座ったままきょとんと眺める。僕は構わず正座をして居住まいを正してから、おもむろに彼女に土下座をした。


「僕と結婚して下さい、お願いします」


 ムードも何もないワンルームの中でのプロポーズだった。


 僕は26歳で彼女、灯里あかりは25歳。貧乏な僕は颯爽と煌びやかな婚約指輪を準備する事も出来ていなければ、イケメンでもなくお洒落でもない。


 おっちょこちょいでそそっかしいしく、色々やらかして「もう!」ってすぐに彼女に怒られる。


 だから、大切な女の子の生涯を背負って「君を必ず幸福にしてみせる」、なんてセリフが言える程の甲斐性がある男ではない。


 でも、彼女が他の誰かと結婚してしまう未来なんて嫌だ。僕はこの一点において、世界の誰にも負けない我儘な男でもある。


「えっ、えっ?」


 戸惑う彼女に対し僕は頭を起こした。


 唐突過ぎるプロポーズに彼女は顔を赤く染めて、綺麗な瞳がぐるぐると混乱して見えた。


「僕と結婚して欲しいんだ」


 情けない僕ではあるけれど、多分生涯で最も真剣で真面目な表情をし、心から誠実に、そして懸命に、でも言葉少なく彼女に訴えた。


 戸惑ってた彼女の表情は、だんだんと眉根を寄せて口をきゅと結び、問い詰める様な瞳で怒っている時みたいに僕をじっと見つめ返す。あれ? 予想外の反応に僕は少しだけ怯んだ。


「……大切にしてくれますか」


 そう言って彼女は膝の上で拳を堅く握りしめた。


「あなたが考えるより、結婚ってすごく大変な事だと思う。わたしはこれからそんなあなたと一緒に生きていくのなら、幸せにしてくれなくてもいいです」


 そこで彼女は膝をすすめて僕の目の前までやって来た。


「でも、何があっても今の気持ちだけは大切にしてくれますか。それだけ守ってくれるなら、……あの、その、結婚したいです……」


 恥ずかしそうにしているけど、彼女も真剣に僕をじっと見つめる。


 僕に幸せを求めてない事に少なからずショックは受けたけど、彼女は何も変わらない僕の気持ちを求めた。それはすごく彼女らしくて、そして大事な事だと思った。


「うん、わかった。僕は生涯今の気持ちを大切にすると誓う。そうだ!」


 僕はそう言うと立ち上がった。


「えっ?」という彼女の小さな声を無視して、「確かどこかに……」と部屋を物色してから、昔買っていた便箋をみつけ、ボールペンを持って戻ると、僕は隣に避けていたテーブルに座った。


「奏多くん、あの、何を?」


「誓約書を書く」


 いきなりの宣言に彼女は再び驚いたけど、僕は構わずに早速書き始めた。


 


「出来た! 灯里、読んで見て」


 30分ほど待っていた彼女は、すっかり呆れまくっていた。

 

「はい、はい」


 キッチンで料理をしていた彼女が僕の隣に座って、書き上げたばかりの誓約書を見て、小声で「待たせ過ぎです」と可愛く怒りつつ真剣に目を通してくれた。


 これが僕のプロポーズした時の話。


 その誓約書はその後、トマトソースを作り置きする瓶に入れてしっかり蓋を締めた。そして彼女からは、「大事にします」と素敵な笑顔を貰えた。


 こうして僕は灯里と結婚した。






 それからの僕は懸命に働いた。人生とは不思議なもので、灯里と結婚してから急に全てが上手く回り始め、仕事も順調なまま3年の月日が流れた。


 そして、僕はある決断をした。


 僕にはどうしてもやりたい事があった。そこで彼女の妹に頼んで、温めていた計画の実行にかかった。


 それは、結婚式を挙げる事。


 貧乏だった僕も少しはお金が回るようになっている。そこで灯里にウエディングドレスを着せてやりたかった。僕は彼女の妹や友人に協力してもらって、サプライズで式の段取りを進めた。


 無論、僕だけでは灯里の趣味はわからない。妹に頼んで様々な探りを入れ、彼女が望む最良の形をリサーチしてもらった。


 当日の朝、灯里を妹に連れ出して貰い式場に連れて行ってもらった。僕は別行動でサイズ直しがギリギリ間に合った婚約指輪と結婚指輪を取りに行き、式場に向かっていた。


 今日を灯里の人生最良の日にするんだ。


 僕はニコニコしながら車を運転していた。


 ドォーン!


 突然だった。


 僕の車の左の助手席から強烈な衝撃が伝わり、車内の荷物が激しく散乱しながら、乗っていた車が幾度も横に回転し、アスファルトを削り、部品が破壊され、有り得ない痛みに息も出来ないまま吹っ飛んだ。


「……う、嘘だろ……」


 僕はようやく斜めに傾いて止まった車内でもがきながら、血が滲む視界の中で意識を閉ざした。





 三か月の入院生活を終え僕は家に戻れたが、大きな問題を抱えていた。


 事故後に病院で意識を取り戻した僕の目の前で、見ず知らずの女性が泣いていた。


 医師の診断により、僕は後遺症として記憶障害が残った事を告げられた。家族の記憶や友人の記憶は全てしっかりとあるし、仕事の事や、なんだったら今までの人生で失敗した悲しい思い出も全部残っている。


 ただ、目の前にいる僕の妻だと言う女性の記憶だけがない。


 彼女の両親や妹、さらには彼女の友人の事も僕は覚えている。ただ明確に何故この人達と繋がりがあるのかがぼやけていた。


 僕の妻の名は「灯里」と言うらしい。


 控えめな印象だけど、笑顔がすごく癒される優し気な女性だ。


 でも、僕にはとても彼女が妻だという感覚も意識も自覚もなく、どうしょうもない違和感を感じてしまう。


 とても素敵な女性だとは思うけど、初対面と同じだ。だからなんだか申し訳なくて、つい距離をとり、寄り添おうとする彼女を拒絶してしまう。


 僕は彼女に対し「灯里さんですか?」と言ってしまい、酷く傷つけたみたいだった。



 退院後に僕らは共同生活を始めた。


 僕は普通に仕事をこなして、マンションの部屋に帰り、灯里さんと食事をして寝て、起きてまた仕事に行く。休日は二人で出かけた場所を回り、灯里さんから色々説明されるが、まるで何も感じない。


 医師からは「環境を戻せば何かのきっかけで少しづつ思い出すだろう、焦らない事だ」と言われている。僕は居心地の悪さをひたすら誤魔化して、灯里さんに気を遣った生活を送った。


 だがそれは意味のない日常だった。


 3か月経ってもまるで何も思い出せない僕は、灯里さんの苦悩を考えてある提案をする事にした。


「暫く離れて暮らしませんか?」


 僕のその言葉対しソファの対面に座っていた彼女は驚いて、そして苦渋に満ちた複雑な表情を浮かべた。


 僕はこの三か月を過ごしてみて、実は彼女に好意を抱いている。でもそれは本来の想いとは違うと思う。今の僕では駄目なんだ。


 だから僕は彼女を好きになればなる程、どんどんよそよそしくなっていく。


 そんな僕を見て、彼女はどんどん傷ついてゆく。


 これはあまりに不毛で、間違った関係でしかない。


 だから僕は彼女との共同生活を解消しようと思った。現状では絶対に記憶が戻る事は無く、お互いにただ精神的に疲弊してゆくばかりだ。僕は少なくともこの穏やかで健気な女性が、これ以上辛そうにしている姿を見る事には耐えられない。


「……そ、それが奏多くんの結論ですか?」


 彼女は涙を懸命に堪える様にして、かすれた声で僕にそう言った。


「うん、そうすべきだと思う」


 僕は少しの寂しさを感じながらも、はっきりと告げた。


「……そう」


 彼女はぽつりと呟くと、奥の部屋に行き、すぐにとある瓶を抱えて戻って来た。


「これは奏多くんがプロポーズしてくれた時に書いた誓約書です。私の宝物です。とっても、とっても、大事で、生涯忘れられない大切な夜の思い出です。いままでこれを今の奏多くんに何度も見せようと思ったけど、怖くて見せる事が出来ませんでした。もし、この大切な宝物を見ても、何も思い出せない奏多くんの姿を見るのが怖かったの、ごめんね。でも、もう離れて暮らすなら、奏多くんがこれを持っていて下さい。そして記憶を思い出せたら、わたしの所に持って来て下さい。いつまでも待ってます」


 そう言って灯里さんは僕の目の前にそっと瓶を置いた。


 その中には便箋が丸められて入っていた。誓約書というのなら、記憶を失う前の僕が彼女との結婚生活にあたり書き記したものなのだろう。


 今の僕が見て良い物なのか大いに疑問が浮かぶ。


 彼女の最後の希望だ。彼女の言う様に僕がこれを見て何も思い出せなければ、どんな深い失望を与えてしまうのか、想像するだけで怖かった。


「わかった、大切にする」


 僕はそれだけ言うと立ち上がり、瓶を持ってリビングを出た。


 ドアが閉まった瞬間、声を殺した彼女のすすり泣きが聞えた。僕は心臓を掴まれたみたいに激しく動揺した。


 彼女のすすり泣く声はもはや感情を止める事が出来ず、今まで堪えていたものが一気に噴き出す様に、激しい嗚咽へと変わり、彼女の悲し気な慟哭が僕の胸を貫く様に響いて来た。


 いたたまれなくなった僕はどうしょうもない現実を前に、ただ部屋に戻るしかなかった。




 ベッドに座った僕は少しだけ躊躇したが、手に持つ瓶の蓋を外した。


 例え何も思い出せなくても、僕はこれを読むべきだと思った。


 少し震えつつ、瓶の中から便箋を取り出し広げた。




 誓約書


 灯里へ、いや愛する灯里へ、いやいや、世界で1番最高に愛し、何ものにも代えられない、僕の生涯を全て捧げてもいい、そんな大切で大事で大好きな灯里へ



 君が「今の気持ちを大切にして欲しい」と言った。


 だから僕はこの気持ちを誓約書に書いている。


 僕が君をどれだけ愛しているか、それはこの誓約書だけでは到底書き切れない。これは大袈裟じゃない。もう一生かけて書き続けてもいいくらいだ。うん、すこし大袈裟に書いた。ちょ、怒らないで、ごめんね。


 えー、2年前、君に初めて声をかけた時、僕は緊張のあまり、どこから出しているのか自分でもわからない素っ頓狂な声をかけて、ドン引きさせた。


 初めてメールを送った夜、気持ちが昂って先走りし過ぎてしまい、スクロールしまくる物凄い大長編メールを送ってしまった。


 初めてデートをする時、一睡も出来ないくらい嬉しいと思った僕は、少し夜更かししてから爆睡し、めっちゃ寝坊して遅刻をし怒られた。


 初めて誕生日プレゼントを贈る時、何をプレゼントすればいいのか迷いに迷って、本好きの僕は図書券を大量に送ってしまい、悲し気な顔をされ一切喜んで貰えなかった。


 うん、少し落ち着こう、書いていてなんだか落ち込んでしまいそうだ。


 でも、そんな僕でもこれから君と一緒に暮らせる。


 こんなに嬉しい事はない。


 僕はね、君がいる未来が欲しい。


 君が側にいる生活が欲しい、


 君が笑ってる毎日が欲しい。


 僕はこんな調子だからきっと君を怒らせてしまう事が多いと思う。でも怒らせてしまったなら、その分以上に君を楽しませようと努力する。これは絶対だ。僕は僕なりに君を必ず幸福にしてみせる(キリッ!)って書いたけど、本当は自信がない。


 僕は割と情けない。ご存知かもしれないけど。


 そんな僕が君と結婚出来るなら、もう全てを注いで愛すると誓う。多分一般的な愛が重い人と違って僕は抜けているから、これくらいで丁度普通くらいになれるのだと思う。


 だから、僕は生涯を賭けて君を想い続ける。


 一生懸命、必死になって、君との人生を素敵にする。


 具体的には? なんてツッコまないで、これは心意気だからね。


 大好きだよ、灯里。


 君がいるおかげで僕はやっと一人前の人間になれるんだろうね。


 だから最後の言葉はこうだ!


 僕を捨てないでね(切にお願い)。


 決してふざけてるのではなくて、これが今の僕の真剣な気持ちです。


                             奏多




 僕はこの誓約書を読んで、記憶のある時の僕の阿保ぶりに呆れてしまった。


 でもこの男の気持ちはすごく伝わった。なんでだろう、僕はどうしょうもなく涙が流れて来て、どうしょうもなく胸が苦しくなって、ぼろぼろに泣きじゃくってしまった。


 僕だ、これはまごう事なき僕なんだ。


 周囲のみんなからずっと言われていた、なんだか性格が変わったって。


 そうだろう、決まっている、僕にはその理由がわかる。


 僕は灯里がいて僕なんだ。


 ぽっかり失くした記憶の中に、灯里だけじゃなくて失くしてしまった僕がいた。


 全部思い出した。


 僕はね、灯里が大好きなんだ。


 辛く酷い思いをさせてしまった。


 僕は僕自身を、そして愛する灯里を思い出した。


 大変だ、急いで彼女の所に向かわなければ。


 もう絶対に泣かせない。


 でも、まずは土下座しよう、全力で謝ろう。そしてこう言うんだ。


「君ともう一度恋をさせて下さい」って。




                             FIN


















































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