世界を救えない俺達の幸福論

鴨山兄助

プロローグ:逃げちゃおっか

 世界を救うヒーローになる。

 バスターズという組織に入った時は、誰もがそんな夢を描いていた筈だった。

 短い黒髪の少年、辰巳たつみ健太けんたもその一人であった。


「……なんで、こんな事してるんだろうな」


 都内某所にある、組織の本部に併設されている模擬戦場。

 だたっ広いその空間で、健太は一人無表情で呟く。

 彼の目の前には不恰好な長方形の木箱がある。

 大きさは丁度、人が一人収まるくらいだ。


「ごめんな……全部、兄ちゃんがしなきゃいけないんだ」


 木箱に話しかけると、健太は右手に持っていた銃を構える。

 近未来的なその銃に、スティック状のアイテムを挿入すると、銃口から炎が見え始めた。


りん……ゆっくり休んでくれ」


 健太が銃の引き金を引くと、木箱は炎に包まれた。

 それを光の無い目で見届ける健太。

 木箱の中に入っているのは彼の妹の遺体。故に当然の反応なのかもしれない。


「どうして……だろうな」


 燃え盛る木箱を見つめながら、再び健太は疑問を口にする。

 心が酷く痛んでいた。痛みが強すぎて、もはや何も感じない程であった。

 そんな状態でも健太はぼんやりと脳を動かす。

 何故、自分の妹は死んだのか。

 何故、自分の手で妹を火葬しているのか。

 考えれば考える程に、健太は分からなくなっていた。


 炎が消え、黒い焦げ跡と、人の骨だけが残った。

 持参した金槌で骨を砕き、健太は素手で拾い上げて骨壷に収める。

 その顔に表情はない。

 何かを感じる気力も消え去っているのだ。


 遺骨を全て収め、小さな木箱にしまい、布で包み込む。

 孤独な火葬を終えると、健太は模擬戦場を後にした。


「……」


 出入り口近くの休憩用ベンチに、健太は座る。

 膝の上には妹の遺骨を乗せて、虚無と一体になった。


 ふと顔を上げて、目の前の壁にある鏡を見る。

 そこには光の無い目で、全てに傷ついた健太の姿が写っていた。

 そして健太は理解した。自分の心が既に限界を迎えているという事を。


(……いつから、なんだろうな)


 限界を迎える原因には心当たりがある。

 心当たりが多過ぎて、特定が出来ない程だ。


(大切な人達を失って、拒絶されて、どうして自分はヒーローをしているんだろう)


 世界を救たくて戦って、仲間を助けるために死力を尽くして。

 得られたものは不特定多数からの罵声と侮蔑。

 自分だけの問題ではないとはいえ、心の傷は限界を迎えていた。


「先輩……」


 ふと、健太に話しかける声がする。

 振り向くと、少しウェーブのかかった長い黒髪が特徴的な少女が立っていた。

 水本みなもと香恋かれん。健太の後輩であり、妹の親友だった者だ。


「香恋か」

「それ……鈴ちゃん?」

「……あぁ」


 小さく頷き、肯定する健太。

 香恋はそれ以上何も追求せず、健太の隣に座る。


「先輩は、これからどうするの?」

「分からない……今は、明日の事は考えられない」

「じゃあ、私と同じだ」


 沈黙が場を支配する。

 お互いに何を言えば最適なのか分からなかったのだ。

 だからこそ、考える時間と決意する時間があったのかもしれない。


「ねぇ……先輩」


 恐ろしく長い時間だと錯覚した沈黙。

 香恋は健太の服の袖を掴み、それを破った。


「もう……逃げちゃおっか」


 香恋の言葉に健太は勢いよく振り向く。

 そして彼は深い悲しみを覚えた。

 何故なら香恋の目には……一筋の光も無く、濁っていたのだ。


(あぁ……この子まで、こんな目になってしまった)


 悲しみ、絶望、後悔、罪悪感。

 様々な感情が渦巻く中、健太は香恋の手を取った。


 この日、二人の戦士が全てを捨てて逃げ出した。

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