後篇


『そして結婚した領主夫妻はいつまでもお城で倖せに暮らしました』


 童話のようにこの一行で終わることが出来ればよいが、現実は平坦ではない。選帝侯の同族としても皇帝の側近としても、敵の多いテュリンゲン家には幾度となく、嵐が吹き荒れた。


 強い力を持つ黒金くろがねの魔法使いに対抗する、白銀しろがねの魔法使いの増殖。この急務に基づき、わたしは皇帝の命令でテュリンゲン家に無理やり嫁がされてきた。

 七人の子をわたしは産んだ。全員、『白銀しろがねの魔法使い』だ。彼らは伴侶を得てそれぞれに子をもうけ、孫やひ孫を含め、向こう数十年は安泰であろうと想えるほどには白銀の可能性を裾野広く授かっている。その為に花嫁として選ばれたわたしは、その役割を充分に果たしたといえるだろう。


 十六歳で嫁いだわたしは長子と次男を年子で産んだ。事件が起こったのはその直後のことだ。

 七人の子どものうち、一組の双子を含む三番目から五番目。二十代半ばで産んだその三人の父親はレオンハルトではない。チェザーレだ。つまりわたしは夫レオンハルトと、レオンハルトと先妻との間の一人息子、この双方との間に子どもを持ったことになる。

 何故そうなったのか。その説明すると長くなるのでここでは割愛するが、これはテュリンゲン家全体としても、「止む無し」と判断された上でのことだった。レオンハルトとの間に生まれた幼いわたしの長男と次男が、奪い去られ、数年という長きに渡って行方知れずになったからだ。幼子を人質に取られた後、レオンハルトも姿を消した。

 この誘拐は外部には極秘にされた。

 最初のうち、表向きは領主が健在であるかのように振舞いながら、わたしとチェザーレは彼らを必死で捜し回った。幼子の二人については健康上の理由で海辺に療養に出したということにした。

 皇帝の力をもってしても、レオンハルトと二人の子どもは見つからなかった。生死すら何の確証も得られなかった。

 結果的にわたしたちは彼らを取り戻し、夫と二人の息子はカルムシュタットに戻って来たのだが、たとえ領主を亡き者にしても変わりなく白銀の魔法使いは存続し続けるのだということを敵方に見せつけるためにも、領主不在のその間、わたしとチェザーレは苦渋の決断を強いられたのだ。


「クリスティアナと結婚しろだと。莫迦なことを云うな。父上は生きておられる」


 その話がもたらされた時、チェザーレは激怒した。若い怒りに満たされた彼はその場から箒に乗って魔都へと飛んで行った。皇帝に抗議するためだ。

 戻って来たチェザーレは皇帝を連れていた。たとえ非公式の訪問であっても皇帝が下向する際には事前に入念な打ち合わせをするものだ。皇帝は従者に化け、下民のように単身で箒に乗ってやって来た。本当に愕いた。

「陛下が直々に君を説得したいと仰せだ」

 わたしにそう伝えたチェザーレの沈痛な顔色を見て、わたしも悟った。薄々わたしにも分かっていた。白銀の魔法使いを継承出来ないのであれば、テュリンゲン家の存続もない。家が断絶したとして、我々はそれでよくとも、伯爵家が取り潰されてしまえば家臣や領民は露頭に迷う。

 顔を見合わせたわたしとチェザーレはその時、既に半分、覚悟を決めていた。


 皇帝とチェザーレとわたし、そして本家ザヴィエン家からは、まだ幼年の侯爵の代理人として領主代行を務めていた傅役がテュリンゲンの城に集まった。皇帝のご臨席を賜り夜明けまで討議したこの日のことは、『カルムシュタットの四席会議』として歴史に永く記憶されることになった。

 皇帝の命令だったとはいえ領主の留守中、夫以外の男、しかも義理の息子チェザーレとの間に子どもをもうけたことになるのだが、不貞を咎める者は誰もいない。生還して戻って来たレオンハルトも、息子と妻の間に生まれた子どもを我が子として登記し、他の子どもたちと変わりなく可愛がってくれた。むしろ、領主とまだ幼い世継ぎが攫われるという激震の起こったこの間、本家ザヴィエン家の協力を仰いで領地の護りを固め、白銀の魔法使いの数を増やすことに躊躇わず、さらには自ら家族を取り戻すために大空を馳せて探索に乗り出したうら若きテュリンゲン伯爵夫人の勇名は、後に感動をもって鳴り響き、批難されるどころかわたしの評判がますます高くなったことを付け加えておきたい。



 歳若くして後妻に入ったわたしの立場とは、レオンハルト・フォン・テュリンゲン伯爵という名の魔法使いの、その生涯の見届け役のようなものだった。わたしはレオンを、レオンの辿った歴史ごと俯瞰して眺め、無銘の書記のように常に傍らにいて、彼の人生を胸に刻んできた。

 それゆえに夫が行方不明のあいだにチェザーレとの間にあったことも、後悔などせずに回想できる。わたしとチェザーレは仲が良かったし、差し迫った非常時だったとはいえ、憎からず想う若い二人が一時期、対等の恋人同士になることを経験できて、本当に良かったのだ。強くそう想う理由としては、どうしても歳の離れたレオンハルトとは保護者と被保護者のような関係であった為に、あのまま暮らしていたらいつかどこかで、口説いてくる魔都の伊達貴族か、または城の中の誰かを相手に、魔が差していたとも限らないからだ。

 魔女であるわたしの愛は個人には向かわなかった。城に降りた最初の日からこの特殊な一族を護り、等しく愛するように努める方向に流れていた。レオンハルトやチェザーレを愛するということは、テュリンゲン一族とカルムシュタットを愛するということだった。

 棺に入れたものが何かを問われたわたしは、チェザーレにそれを教えた。

「少年の時分に母上に求婚した時の花だと、父上は、お分かりになったのかな」

「それが、分からなかったの」

 寝台のレオンハルトは手にした押し花を穏やかな眼で見詰めているだけだった。

「憶えていなかったみたい。それでなくとも色褪せていたし、殿方は花なんかに興味はないわよね」

「それはどうかな」

 チェザーレの意見は違うようだ。

「父上のことだ、いざとなれば鉄皮面を装える方だ。内心と表情がかけ離れていることがあったからな」

「もう死にかけてたんだから、頭もボケて、夢の中だったんだろ」

 車つきの台に乗せてペーテルが茶道具を運んで来た。

「相変わらずだなペーテル」

「ばばあが蜂蜜、あんたは甘味を入れないで酒を垂らす」

 器用で覚えのいい少年は、その場でさっさと茶を作り、わたしとチェザーレに茶器を差し出した。

「そのうち、あんたたちも死ぬだろ。死んだら霊廟の前に花を植えてやるからさ、好きな花はどれなのか俺に教えておけよ」

「呆れた奴だ。その無礼が直るまでは狩りに連れて行くのは中止だ、ペーテル」

 十六歳で城に来た頃のわたしが今のわたしを見たら、いったい何と云うだろう。今のわたしは領民からも家臣からも慕われる領主夫人として一族の頂点に座し、郷里にいた頃の何倍もの時間をカルムシュタットで過ごしている。カルムシュタットがわたしの故郷となっている。



 おハネちゃん。シャテル・シャリオンを含むこの地方の方言で『お転婆さん』という意味だ。十代の頃のわたしは、確かにハネ跳んでいた。最初の子がお胎にいる時も箒に乗って気楽に外へと出かけて行くので、随分と心配されたほどだった。

 初めてレオンハルトからおハネちゃんと呼ばれた時は、なんだそれはと想っていたが、歳を取ってから若い魔女たちの元気な姿を眺めていると、確かにそうとしか云いようがない。

 主がこの世を去った領主の寝所。

 未亡人となったわたしは窓辺に立った。弔旗が掲げられている夕映えの塔。洗顔用の水盤と水差しには今日はもう水がなく、死者に手向けられる花が魔法使いの不在を示すように寝台の中央に飾られて影をつけている。

「レオンハルト、そこから見えるかしら」

 わたしは振り返った。レオンハルトはまだ寝ていた。

 箒を乗り回し、柄の先で玉を打って若い魔女たちが城の外で玉遊びをしている。領主が病床にあっても城に仕える者たちにはいつものように運動をさせるようにとレオンハルトが望んだからだ。さすがに騒ぎが病人に響かないように城壁から離れた外の野原で遊んでいるが、窓からその様子を眺めれば、蝶のようなおハネちゃんが沢山いる。

「レオン。お伝えしたいことがあります」

 水差しを持って寝所に入って来たわたしは、香草入りの水を水盤に移し、布を浸した。絞った布でわたしはレオンハルトの顔や手や首筋を拭き、髪に櫛を入れる。これは毎朝わたしがやると決めていた。レオンは眼を閉じている。まだ眠りの中なのだ。

 死期が迫っていることをレオンハルトはよく分かっていた。動ける間にすべてのことを取り決めて、身の回りを片付けていた。あとは死ぬだけだよと夫はわたしに向かって微笑んだ。この次に臥したらもう立ち上がることはないだろうからね、と。その通りになった。

 だからレオン、今だからこそ貴方に伝えることがあるの。

「本当はもう一人、子どもがいるの。貴方との子」

 水に入れた草の移り香が室内に漂う。涼し気な森の香りだ。

「貴方が二人の子どもと共に行方知れずになった時、わたしのお胎には三番目の子がいたのです。その子は流産したと貴方には伝えたわね」

 レオンハルトが聴いているのかどうかは分からない。でも今、告白しようとわたしは決めていた。レオンハルトがまだこの世にいるうちに。

「本当は違うの。早産だったけど赤子は生まれていたの。養子に出して存在を隠してしまうことに決めました。このことを知っているのはチェザーレと、他にはザヴィエン家の当時の傅役だけです。後からでも打ち明ければ、貴方は理解して下さったと想うわ。でも同時に、貴方はその子を手許に取り戻そうとしたでしょう。だから云えなかったのです。レオンハルト、貴方が不在の間に生まれたわたしたちの子は、魔法使いではありませんでした。魔女だったのです」

 男児しか生まれない。

 そう云われていた特殊な婚姻の中で生まれた唯一の魔女。

 その重みが分からぬレオンハルトではないだろう。だからわたしの決断も、きっと赦してくれるはずだ。

 わたしはレオンハルトの枕元で囁いた。魔女だったのです。生まれた女児は、テュリンゲン家の赤子であることを隠した上で、ザヴィエン家の伝手をたどり、貴族の養女に出しました。わたしたちの魔女は養父母を実の両親と信じてその屋敷で健やかに育ち、倖せな結婚して、もう孫までいます。

「白銀の魔法使いであるあなたと、わたしとの間に生まれたあの娘こそが、『偉大な魔女』。でもあの時代にそれを公言することは出来なかったの。テュリンゲン家に『偉大な魔女』が誕生したと知れたら、赤子を奪おうとする者たちが一斉蜂起して城に襲い掛かって来たわ。そうなれば、貴方がご不在の間、この領地を護り切れる自信はありませんでした。貴方と子どもを探しに行くことも出来ず、娘にとってもきっと不幸なことになったでしょう。だから死産したことにして、全てを伏せ、娘を外の世界に逃したの。そうするしかなかったの。赦して下さいね、レオンハルト」

「ティアナ」

 びくりとした。病人は薄く眼を開けていた。レオンハルトはクリスティアナと呼んだのだ。終わりの部分しか聴こえなかった。故郷の邑でわたしのことをそう呼んでいた魔法使いが遠い遠い昔にいたのだ。

「クリスティアナ……」

「ここにおります」

 わたしはレオンハルトの顔を覗き込んだ。夫が今の話を聴いていたのかどうかは分からない。その湖水のような眸からは何も窺えなかった。だがチェザーレが云うように、彼のことだ、もしかしたら既に何もかも承知だったかも知れない。

「レオン。少し水を呑みますか」

「クリスティアナ。皆は」

「みんなおります。広間に昔のように。呼びましょう」

「いいのだ。昨晩この室で挨拶を済ませた。幼子の笑い声が聴こえる」

「ひ孫たちです。今朝から中庭で海賊ごっこを。わたしが許可を出したのです。領主の塔には近づかないようにと伝えたのですが、子どもの声は響きますね」

「貴女と子どもたちも昔、同じように遊んでいた」

「レオン、チェザーレとお逢いになりますか」

「いいや」

 医師を呼ぶまでもない。迫っていた刻限が今なのだ。わたしにもそれが分かった。白銀の魔法使いの命の火が消えてゆく。

「レオンハルト」

 偲ぶのにはまだ早く、哀しみに暮れるには想いの方が強すぎた。わたしは半身を寝台に乗せてレオンハルトの肩に軽く顔を埋め、風に揺れる羽根を引き止めるように彼を腕の中に抱いた。最初の子を懐妊した時のことを想い出す。いつもと変わりなく箒に乗って散歩に出かけているわたしを見てレオンハルトの方がうろたえてしまい、彼はわたしに云いきかせた。毎晩同じことを。身体を大事にしなさい、クリスティアナ。大事に。

 海賊になりきった子どもたちの歓声が外から聴こえてくる。

 のどかな田舎を流れていた小川が大河に呑まれるようにして、わたしはこの城にやって来た。想いもよらない出来事に翻弄されながら晩節に辿り着き、そして片方の流れが静かにいま終わろうとしている。

 しばらくの間、夫の胸は微かに上下していた。耀く月夜を見上げながら幾夜もこうして彼の心臓の音を聴いていたものだ。

「レオンハルト」

「クリスティアナ」

「はい」

「いい生涯だった。貴女のお蔭です。ありがとう」

「レオン」

 もう一度、おハネちゃんと呼んで。

 レオンハルトにはもう言葉を発する力はなかった。彼はわたしの頭の上に手をおいた。

 テュリンゲン老伯爵はそのまま微笑みをもって安らかに眼を閉じ、この世に遺される者たちがまだ知らない何処かへと旅立っていった。

 


[了]

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或る伯爵夫人の回想 朝吹 @asabuki

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