中篇(下)
領民が沿道を埋め尽くす。テュリンゲン伯爵の葬列は見送りの涙の中をゆっくりと進んだ。領主に別れを告げたいと希う領民は後から後からやって来て、街道の果てまで続いて途切れなかった。遠回りをして近くの町を一巡したのだが、棺の上に投げかけられる愛惜の花は街路を白く埋め尽くし、箒に乗って空から見ると、そこだけが降雪しているように見えたと、上空警護の者たちが後に云ったそうだ。
雪の中を歩いているようだった。
息子や嫁や孫息子たちがわたしを気遣う。夫の亡骸をはこぶ馬車に沿って歩くこと選んだわたしが途中で疲れないか心配なのだ。
遺体を納めた硝子の棺は葬儀用の無蓋馬車に乗せられ、馬車を曳く沢山の箒によって粛々と運ばれていった。
老領主を敬愛してきたカルムシュタットの領民は馬車が通るたびに泣き崩れた。
出逢った当初から老成していたレオンハルトは、そのままきれいに老いてゆき、棺の中でも白い古木のように美しいままだった。最初は大人と子どものように感じられた年の差も、年月が経つにつれて差がほぼ無くなり、夫がしだいに近くなってくるような気がしたものだ。
無蓋馬車は町を過ぎ、彼が生まれ育った城にも別れを告げた。
誰の眼から見ても晩年のわたしたちは、長年連れ添った夫婦だったことだろう。
テュリンゲン家の霊廟は森の中にある。レオンハルトが建てた。それまでは、森と湖の向こうにあるザヴィエン家の霊廟に合葬されていたのだ。テュリンゲン家は、もとはザヴィエン侯爵家に生まれた双子の片割れが興した家だ。永らく霊廟も本家と共有していたのだが、「一族の近くの方が良いだろう」とレオンハルトの代でそれを変えた。
「テュリンゲン家の墓所を造ることにした。皇帝と本家にも、既に許可は得てある」
十年前、一族の霊廟を建てると告げられた時、わたしはレオンハルトが自らの死を近いものとして見ていることを知った。強いて反対する理由も見当たらなかった。その霊廟にはレオンハルトと、そしていずれはわたしも眠るのだ。
両家の城同士がそうであるように、テュリンゲン家の霊廟は本家ザヴィエン家の霊廟を模して、やや小型にしたものが、城からほど近い森の中に建てられた。寂しい場所のように想えたが、周囲を整地して完成してみると、樹々から翡翠色の陽光がこぼれ、花が咲き、川から引き込んだせせらぎが流れて、憩いの場としても申し分のないものとなった。そこからは青い森を通して城も見えるのだ。
「ばばあが死んだら、俺が、ここの墓守をやってやろうか」
昼食をつまみ食いした罰として命じられた墓所の草むしりをやりながら、ペーテルがそんなことを云い出した。
「その時は頼むかも知れないわ」と応えておいた。
霊廟の前では、チェザーレ・フォン・テュリンゲンが父親の棺の到着を待っていた。遠目から見ると姿かたちがレオンハルトに本当によく似ている。
歳月はチェザーレとわたしを十六歳の少年少女から、青年にし、そして大人にはこんで、成熟した秋へと変えた。継ぐはずだったテュリンゲン家の家督をわたしの息子に譲った後、チェザーレは飛び地の領地をもらい受け、平生はそちらで暮らしている。
わたしたちは手を携えて、棺を霊廟の中に運んで行った。納棺をもって、妻としての務めが終わろうとしている。硝子の棺に封印がされ、紋章をあしらわれた覆いごと石棺の中に納められてしまえば、その重たい蓋は二度と開くことはない。
「クリスティアナ」
重たい音が響く。石棺が閉ざされる音だ。チェザーレがわたしを支える。わたしはチェザーレの手を握り返した。高い丸天井から差し込む光の筋の中、最後まで、背筋を伸ばしてちゃんとわたしは立っていられた。
わたしの名はクリスティアナ。名の前に『偉大な』がつく。
偉大な魔女クリスティアナ。
わたしは『偉大な魔女』ではない。だから、その呼び名は分不相応だ。だがカルムシュタットに降りかかる災難をその都度懸命に振り払っているうちに、いつの間にか、敬意を込めて領民からそう呼ばれるようになっていたのだ。偉大な奥方さまと。
おハネちゃん。
レオンハルトは、わたしをそう呼んだ。
女の子にしか見えなかったよ。白い馬車から庭園に降りて来たのを見た時にはね。
十六歳で大貴族に嫁いできた花嫁。
妻を喪った魔法使いに嫁ぐ。そのことは、わたしを微妙な立場においていた。しかし後妻となったわたしは諸々のあらゆることを傍観者的に甘受した。レオンハルトの亡妻についても、その想い出ごと、この城の歴史として大切にしてきたつもりだ。
わたしが城に入った時には既に片づけられて、塔の屋根裏に納められていた故人の遺品。
「手を付けてもいいよ」
そう云ったのは、レオンハルトではなく、チェザーレだ。
「母上が亡くなってから半世紀以上も経っているのだ。父上とても母上のことはもう遠い昔のことだろう。父上がご存命の間に整理しておいた方がいい」
これも城主の妻の務めだ。床に臥したレオンハルトの先が永くないと分かった頃、わたしは塔の屋根裏に行って、その荷をあらためた。何か、病人を元気づけられるような品でもないかと想ったのだ。彼の眼から光が消える前に、過ぎし日々を懐かしんで欲しかった。誇り高き彼の生涯の航路を今一度、彼自身の私的な感情で振り返ってもらえたら。
何かないだろうか、何か。
長年連れ添った妻として夫から尊重されながらも、どこかでわたしは常に、死んだ前妻からレオンハルトをお借りしているような、そんな心持ちでいた。そう想えるのも、若くして死んでしまった魔女に対して深い同情を寄せていたからだ。レオンハルトの幼馴染。故人の何倍もの歳をとった今となっては猶更のこと、孫娘のことでも想うようにして、わたしは亡きひとのことを心から悼むことが出来る。
「レオン」
半日、埃まみれになりながら探しものをした。塔から降りてきたわたしは、
「このようなものを見つけました。レオン」
レオンハルトの痩せた掌の上に、手紙のようなそれを差し出した。
「塔の屋根裏で見つけました。亡くなられた方がずっと大切にされていたものです」
葬儀は終わった。荘厳な霊廟は静かだった。此処に入るのはレオンハルトが最初ではない。本家の霊廟にも移さずに、テュリンゲン城の礼拝堂に安置されたままだった最初の妻の石棺を数年前にこちらに改葬していた。霊廟が完成に近づいた頃、レオンハルトが云い出す前に、わたしからそれを提案したのだ。一族の墓なのだから当然のことだ。
名が刻まれ、霊廟の中に鎮座した領主の墓。わたしの夫、わたしの魔法使い。空中庭園に降り立ったあの日から長い歳月を共にした伴侶。
蓋が覆われるその直前、棺の花のあいだに或るものをわたしは滑り込ませた。傍にいたチェザーレだけがそれに気が付いた。二つ折りの薄い紙片。
その日はきっと晴れていただろう。木登りをしていた樹から少年は降り立った。仲良しの少女が
記憶されるべき幸福の日。
近くの野花を摘んで片膝をつくと、少年は大樹の下で少女に結婚を申し込んだ。
少女はその花を押し花にして薄い紙に閉じ、結婚後もずっと大切に持っていた。
テュリンゲン家の奥方。魔法界と領民を救い、皇帝の覚えもめでたい偉大な魔女クリスティアナ。
わたしは皇帝の前に伺候する時も、貴族たちと付き合う時も、特別な奥方として遇された。夫もわたしを妻である以上に、一定の敬意と共に重んじて扱ってくれた。家臣たちもそれに倣った。だからわたしの生涯は傍目には倖せなものだったと云える。
「クリスティアナ」
葬儀の後、城の広間でお悔やみの挨拶を受けていたわたしの隣りにチェザーレがやって来て囁いた。
「気が付いたかい。ヴァランティノワ公爵が来ていた」
わたしは頷いた。ええ。
「おしのびで参列されていたから、こちらも気が付かないふりをしたわ」
公爵家の方が位が上だ。もし公爵が葬儀に参列するとなるとこちらもその用意をしなくてはならない。その労を省いてくれたのだ。
当代のヴァランティノワ公爵はまだ若い。彼の高祖父とレオンハルトの間には大昔、或る魔女を巡ってちょっとした確執があったのだ。半世紀以上前のその禍根は既に流れ去っており、息子や孫は好青年のヴァランティノワ公爵と親しく付き合い、その逸話を笑い話にしている。
ヴァランティノワ公爵にとっては、テュリンゲン伯爵の死をもって、彼が生まれる前に既に死んでいた高祖父の過去が完全に終わったことを意味していたのだ。若者たちにとって古い時代の人々が去っていくことは、古ぼけた書物の最後の頁をようやく読み終えるようなものなのだろう。
》後篇
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