見上げず山

めへ

見上げず山

滋賀県には「見上げず山」という山岳地帯があるという。はっきりとした地名までは分からないが、東部の野洲川上流にあるのだとか。


そこでは、たまに遭難死体が見つかるのだが、皆総じて木にもたれかかり、上を向いた体勢で死んでいる。

そして死の間際と思われるその顔は、とても恐ろしいものを見てしまった、とでも言わんばかりに歪んだ表情をしているのだ。


きっと上を見た時、ショック死する程の恐ろしいものを見たに違いない。だからそこでは決して、上を見てはいけないとされおり、それで「見上げず山」と呼ばれているのだ。


しかし、正確な地名や場所も分からないのに「上を見てはいけない」という禁忌だけ知っていても、身を守る事はできないのではないか。

「見上げず山」で検索したのだが、正確な場所・地名はヒットしない。


判明しているのは、滋賀県東部、野洲川上流にある山岳地帯という事のみ。

地図を見るとちょうど上流の辺りに鎌ヶ岳、雨乞岳という二つの山岳地帯があり、どうも怪しいのはこの2つだ。


まずは雨乞岳へ行く事にした。登山などは初めてだが、登山用シューズに服装はズボンとシャツで構わないだろう。リュックに飲み物を詰めて、駐車場からすぐ近くにある登山口へと向かう。


天気が良く、休日にも関わらず、登山客は私一人の様だった。

登山口から中に入ると、種類は分からないが背の高い木々が並び、森の中の鬱蒼とした雰囲気を漂わせている。

立て看板や道らしい道も見当たらず、これは下手すりゃ遭難するかもしれないな、と思った。


とりあえず、上を見上げたのだが緑色の葉や青空しか見えず、顔を歪めるような恐ろしいものなど見えやしない。

半ば落胆、半ば安堵しつつ、目を正面に戻した。すると数メートル程先に、いつの間にか他の登山客が佇んでいる。


登山客…?登山客にしては、妙な格好である。着物、それも遠目にもボロの着物を纏っている。ガリガリに痩せこけ、あばら骨の浮いて見える体が、はだけた着物から見えており、土気色のこけた頬を、落ちくぼんだ目を、枯れ枝の様な腕を空に向けている。


どう見ても、登山客ではない。頭のおかしな者が迷い込んだのだろうか?


次の瞬間、目の前の景色が一瞬歪み、周囲はセピア色と化した。

自分の体を見ると、腕は枯れ枝の様であり、ボロの着物を纏っている。どうやら、先ほど目にした謎の男になってしまったようだった。


男は、いや私はこの雨乞岳を登っている。自分だけでなく、同じような成りの男が数名共に登っているのだが、痩せ細った体で飲み水も無い状況の中、多くが野垂れ死にした。

仲間がいなくなっても、私は枯れた草木に、岩を掴み、息も絶えに登り続けたのだ。登らないわけにはいかなかった、登る他に選択肢が思いつかない。


雨が降らなくなって、もう数週間。川や井戸は干上がり、作物は枯れ果てた。雨乞いのため、この山の頂上で祈祷や生贄が捧げられたが、雨は降らなかった。

それでも村人達は次々とこの山を登り、自らの命を捧げて雨乞いをしたのだ。そしていつしかこの山は、雨乞岳と呼ばれるようになった。


目の前に広がる山々、セピア色でなければ青く見えたであろう、雲一つ無い空。

私は山の頂上らしき場所に立っている。

登頂にある大峠の沢には一滴も水が無くひび割れ、大きな穴ぼこがあいているようにしか見えない。

私は膝をつき、空に向かって祈りを捧げると、自ら足を踏み外し真っ逆さまに落ちていった。



びくりと体を震わせ、気が付くと周囲は色を取り戻しており、手足や服装を見ると枯れ枝の様な手足やボロの着物ではなく、元に戻っている。


私は周囲を見渡してあのボロを纏った男を探す事もせず、慌てて出口へ、駐車場へ走り去った。


落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせて車を走らせ、どれくらいかかったのか分からないが、アグリパーク竜王という道の駅に車を停めて、ようやく一息ついた。

そこで調べたのだが、雨乞岳はかつて水不足に苦しむ人々が、雨乞いのために訪れた事から名付けられたという。

あの白昼夢のような幻影が見せたものと同じ情報である。


雨乞岳で見たあの男は、雨乞いに訪れた人々の執念の様なものであろうか。


そして「見上げず山」というのも、あの山に違いない。

雨乞いに訪れた人々の執念が見せた幻影、その中では登頂にたどり着けず野垂れ死ぬ者が多かった。彼らは皆、それでも天の神に訴えるように上を向き、倒れそうな体を支えるために木にもたれた形で亡くなっていた。その顔はいづれも苦悶に歪んでいる。


おそらく、この夥しい死体の光景を目にした話が、時が流れると共に遭難者の奇妙な死体という話へ姿を変えたのだろう。


私は雨乞岳の方角に向かって、そっと手を合わせた。






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