第4話 クロエの特技(2)

 今月の『礼拝の儀式』当日。

 会場である大礼拝堂にはすでに数え切れんばかりの信徒が集まる一方、書物庫では二人の聖女が対峙し合っていた。

 一人はエリシア。もう一人の聖女は、言わずもがなクロエである。

 やはり今月も、行く行かないで言い争っていた。


「おはようクロエ。さ、早く準備しちゃいましょう」


「や――」


 やだ、と言いかけて口ごもるクロエ。理由はもちろん、言い切れば魔法が発動してしまうからである。

 

「――い、いやですわ? おほ、おほほほほほ……」


 そんなわけで唐突に変な方向へ舵切りした結果、エリシアには呆れた目をされてしまう。


「なぜにお嬢様風? しかもすっごく雑だし……」


「あれ? そんなに下手だった?」


「うん。なんというか、威張り加減が足りないのよね。貴族のお嬢様って、もっとこう……じゃなくて! 早くお風呂に行くわよ!」


「しょうがないなぁ。じゃ、エスコートをよろしく頼むよ」


「あら、今日は意外と素直ね。てっきり床に這いつくばるくらいの抵抗はしてくるかと思ったわ」


「まあ……たまにはね(ていうかボク、そんな風に思われてたんだ)」


 クロエは毎月毎月、無様なほどに抵抗しているのでそう思われて当然だが、それはさておき。

 

 彼女が珍しく素直に従ったのは、闇魔法を試せるいい機会な上に、上手くいけばサボれると思ったからだ。

 

 ――だったら最初から素直に従っておきなさい! というかサボるな!

 

 と、エリシアがこの事情を知ったらそう言うかも知れない。しかし、クロエの『やだ』はもはや口癖となっているのだ。

 

 だから、つい言っちゃった。

 

 

 

 その後、クロエはエリシアと共に大浴場へと向かう。背中を流してもらい、湯に百秒浸かって身体を充分に清めると、今度は一人で大礼拝堂前へと向かった。

 

 チャンスは、ここだ。

 

 周囲に人がいないことを確認したクロエは、隠し持ってきた魔導書を取り出す。目当てのページは、魔導書を一度開いた時点で即見つかった。

 

 

 ――中級幻影術、序列の三十五番〈корёгコペル〉。この術を発現させたくば、対象の影を踏みながら魔の言葉を詠唱せよ。さすればたちまち対象から影が切り離され、鏡写しがごとき精巧なる分身が造られるであろう。なお、術者自身も対象と成り得る。闇は、そなたの味方だ――

 

 

 クロエが目を付けたのは、『術者自身も対象と成り得る』――自分自身の分身も造れるという点だ。聖歌の歌い手として信徒達の前に立つことが避けられないのならば、自分の分身を立たせればいい。そういう魂胆である。

 

「そんじゃ、早速始めよっか。〈корёгコペル〉!」


 クロエは自分の影を踏みながら、魔の言葉コペルを詠唱する。それによって足元から影が切り離されていき、やがてはクロエの姿形そのものとなって本人の前に立つのであった。

 

「おぉー……。すごい。まるでボクに双子の妹ができたみたいだ」


「そりゃそうさ。ボクはキミの幻影だからね」


「――うわ!」


 分身が喋ったことに驚くクロエ。しかも口調だけでなく、声まで自分とそっくりそのままだ。そしてそれは、替え玉にして何の問題もないことを意味していた。

 

 しめしめ――クロエの脳内に、勝利のファンファーレが鳴り響く。今月、いや、来月からも堂々とサボれることになりそうだ。

 

「ところで、ボクは何をすればいいのかな」


 分身が問いかけてくる。

 

「ああ、そうだったね。それじゃあ、ボクの代わりに聖歌を歌ってきてくれる? 歌詞は分かるよね?」


「聖歌の歌詞なら、バッチリ分かってるよ」


「さすがはボクだ! じゃあ歌うのは宜しく頼むよ!」


「――やだ」


「は――?」


 きっぱり断る分身。戸惑う本体。

 

「えっ……今の聞き取れなかったから、もっかい言って?」


「やだ。はい、言ったよ」


「はァ!? な、なんで!?」


「だって、ボクはキミの幻影だからさ。姿も、声も、そして思考も・・・・・・。何もかもが、キミとまったく一緒なのさ」


「そ、そんな……」


「だからさ、キミが行ってきてよ」


「や――」


 クロエ(本体)はハッとなって口を抑える。「やだ」と言いそうになってしまったからだ。どうやら分身は魔法が使えないみたいなので「やだ」と言い放題だが、本体は話が別。

 

 落ちこぼれの自分が魔法を使えるようになったのはいいが、その代償として軽々しく「やだ」と言えなくなってしまった。今は周りに人がいないものの、やはり極力使用は抑えるべきだ。

 

 ――なんでこの魔法だけ普通の言葉と同じなんだろう。

 

 クロエは闇魔法の開発者を恨んだ。

 が、恨んだ所で状況は変わらない。

 圧倒的に優勢な分身が、さらなる追い打ちをかけてきた。

 

「あれ? 断ってこないんだね」


「いや、違――」


「んじゃ、よろしく頼むよ。ボクの本体さん・・・・・・・


「うぅ~~~っ!」


 肩をわなわなと震えさせるクロエ。自分の分身に替え玉をさせるつもりが、逆に分身に替え玉をさせられそうになっている。

 魔法の実験が失敗に終わることも当然考えてはいたものの、さすがにここまで予想を下回るとは考えていなかった。

 

「ほら、早くしないとまずいんじゃないの?」


 と、分身。

 

「そんなの分かってるよ!」


 と、本体。

 

「じゃあ早速実行に移しなよ」

 

「あ~~~もうやだуадぁ~~~っ!!」

 

 クロエは叫んだ。

 その凄まじい拒絶は一発の闇弾を創り出し、分身へと襲いかかっていく。

 

「――ッ!」


 二人の距離は非常に近かった。そのため分身には避ける隙もなく、見事に直撃して黒い霧を散らせた。その後、影は再びクロエの元へと戻ってくる。

 

「あーあ、実験は失敗失敗、大失敗だよ」


 こうしてクロエは、今月もやさぐれた気持ちで聖歌を歌い上げることとなったとさ。

 

 

 

 ところで今回使った闇魔法、〈корёгコペル〉が書かれている魔導書のページには、こんな記述もある。

 

 ――注意せよ。意志の弱き者は、影に身体を乗っ取られる。

 

 闇魔法は、危険な術である。もしかしたら、これでよかったのかもしれない。

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