引きこもり聖女は闇魔法を極める

山本エヌ

第1話 闇魔法はじめました

 ロージア大聖堂の聖女シスター・クロエは、実に自堕落な日々を送っていた。太陽が高く昇った頃に書物庫で目を覚まし、夜遅くまで本を読んだら書物庫で眠りにつく。

 

 そう、クロエは書物庫に一日中引きこもっているのだ。

 

 太陽の光には殆ど当たらないので肌は白く、瞳はどことなく気だるげで眠たそうな青紫色。

 髪は背中が余裕で隠れるくらいの長さで、若干ウェーブのかかった銀色をしている。

 

 年齢は15歳、服装は一応聖女らしく濃紺色の法衣を着ているが、小柄ゆえに手が完全に袖から出ていない。

 

 そんな彼女の夢は、書物庫にあるすべての本を読破すること。ただ、最近は刺激的な本に出会えずヤキモキしていた。

 

「……ん? なんだこりゃ?」


 そんな時に見つけた、タイトルのない奇妙な一冊の本。それは本というにはあまりに禍々しい見た目をしていた。

 普通の人ならば気味悪がって触れさえしない所だが、引きこもり生活の長いクロエは別だった。

 むしろ刺激的な出会いの予感に、嬉々として一ページ目を開く始末である。

 

 しかし、肝心の内容は意味不明な文字が羅列されるばかりで、とても読める代物ではなかった。

 にも関わらずクロエはひたすらに読み進める。次のページ、次のページへと……ふと我に返ったのは、最後のページまで読み終えた後のことだった。

 

 クロエ自身も、どうしてここまで夢中になったかは分からない。だが、読み進めていくごとに自分の中の何かが目覚めていっているような気がしていた。

 

 久しぶりに満足感を得たクロエは、したり顔で本を閉じる。部屋の隅にある柱時計に目を送ると、ちょうど食事が運ばれてくる時間になっていた。

 

「ご飯を持ってきましたよ」


 時計の時報音と共にやってきた、齢にして五十歳ほどのふくよかな女性。彼女はこのロージア大聖堂の聖女たちの長……つまり大聖女である。決して引きこもっている娘の世話をする母ちゃんなどではない。

 

「待ってました~」


 行儀よく食事のトレイを受け取るクロエ。今日のメニューはいつもと同じく、味のないパンとクズ野菜のスープ。引きこもってばかりで消費エネルギーの少ないクロエには、一日の食事はこの一食だけで充分だった。

 

「いただきま~す」


 そう言ってクロエはパンを一口かじろうとする。

 

「……ところでシスター・クロエ。世の中にはこんな言葉があります」


「うん?」


「働かざる者、食うべからず」


「…………」


 手に持ったパンを、スープの中に落としてしまうクロエ。さらにそのパンは、すでに一口食べられた後であった。

 

「さあクロエ、私達と一緒に働きましょう!」


「横暴だ! こんなの絶対おかしいよ!」


「とにかく最初は外を歩くだけでもいいですから!」


「やだやだ! ボクは外になんて出たくない!」


 と、その時だった。

 突如クロエの手の平から二発の紫色をした球状の塊が放出され、大聖女のたるんだお腹に直撃してしまったのだ。

 大聖女はそのまま、声を上げることなく床に倒れる。

 

「……え?」


 この状況を引き起こしたのが自分だと理解し、顔面蒼白となるクロエ。だが同時に、今起きた現象への心当たりもあった。そう、さっきまで読んでいた怪しい本だ。

 

 早速クロエは例の本を手に取り、一ページ目を開く。すると依然として意味不明な文字が羅列されているのにも関わらず、なぜかスラスラと意味を理解しながら読むことができていた。

 

「初歩的攻撃術、序列の一番〈уадヤダ〉。対象への拒絶心が充分に高まった時に、この術を詠唱せよ。さすれば術者の身体から瘴気の珠が発せられ、直ちに対象を排除するであろう。闇は、そなたの味方だ――って、これ!」


 思わずクロエは本をバンッと閉じてしまう。すると表紙にはタイトルとも言うべき文字が浮かび上がっていた。

 

 その名は『гримойреグリモワール』。

 先ほど読んだ内容とも相まって、クロエはこの本の正体への確信を得る。

 それは禁忌の術にして旧き時代に滅びたはずの術――闇魔法の魔導書だったのだ。

 

「そっか……ボクの手の平から変なのが出たのって、この本が原因だったんだ。しかもヤダって二回言っちゃったから、出てきた変なのも二個……」


 たった今、そして本の内容を読み上げている時にも『ヤダ』と口にしているのにも関わらず、魔法が発動していないのは対象への拒絶心がない状態だったからである。

 それに気づいたクロエは、「なるほどなるほど」と適当に相槌を打って納得した。

 だが、そんな呑気にしている場合ではないことを、側に倒れている大聖女の姿を再び目にして悟る。

 

「あぁ、そうだった! 大聖女様をどうにかしないと……」


 大聖女を運んでソファに寝かせる……のは体重的に無理だったので、床に寝かせたままできる限りの処置を尽くした。

 

 

 

 それから十数分後。

 

「……あら? 私は何を……」


 大聖女は目を覚まし、ゆっくりと身体を起こした。辺りをキョロキョロ見回す様子から、どうも気絶する直前までの記憶を失っているらしい。クロエが闇魔法の力を使ったことも覚えていないようだった。

 

「あー、えーとね、急に倒れちゃってさ。ボクが介抱したんだよ」


 これ幸いとばかりに、クロエはその場しのぎの誤魔化しを言う。

 

「おやクロエ、貴女が私を助けてくれたのですか。ありがとうございます」


「れ、礼には及ばないよ」


「謙遜する必要はありませんよ。やはり貴女は優しい心の持ち主です」


「そうかなぁ。えへへっ……」


「そうですよ。だからその優しい心を活かして、聖女の努めを果たすべきです」


「…………」


 笑顔がスッと消えるクロエ。どうやら大聖女は闇魔法のことは忘れようとも、クロエを外に連れ出そうとしていることは忘れていないようだった。

 

「……ところで大聖女様。世の中にはこんな言葉があります」


「あら、何かしら?」


「働きすぎると死ぬ」


「おやおや、読書家のクロエならもっと上手いことを言ってくれると思ったのですが」


「確かに今のは下手だったけど、実際に大聖女様は倒れちゃったじゃないか」


「私の心配は要りませ……あいたたたた!」


 突然、お腹をさすり始める大聖女。

 

「ほら言わんこっちゃない!」


「今のは返す言葉がありませんね。いいでしょう、今日はこれで勘弁しておきます」


「やった!」


「ですが、いつかは絶対連れ出しますからね。肝に銘じておくことです、クロエ」


「はいはーい、分かってるよ~」


 大聖女は呆れながら書物庫を出ていく。その背中を見つめるクロエの瞳には、かつてないほどやる気に満ちた炎が盛っていた。

 

 その理由はもちろん、生まれて初めて魔法を使えたからだ。彼女はこのロージア大聖堂で生を受けた正真正銘の聖女でありながら、簡単な治癒魔法すらも使えない落ちこぼれだったのだ。

 

 けれど、そんな冴えない自分とも今日でさよなら。

 

「と言っても闇魔法だから、あまり大っぴらには使えないけどね。まあでも、魔法は魔法だから全然いいかな~!」


 この日を境に、クロエは闇魔法の研究を始めるのであった。

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