第11話 血染の月(1)

 災厄。

 

 と聞いて思い浮かべるものは何だろうか。

 地震、雷、火事、大山風おやじ――様々あるが、ことロージア大聖堂周辺地域においては『血染ちぞめの月』が挙げられる。

 

 発生するのは数年に一度、鮮血の如く真っ赤な満月が昇る日の晩。

 紅き月光が地上に降り注ぐ時、死者がゾンビとなって蘇ると言われている。

 

 ちなみにこのゾンビというのはアンデッドに分類される魔物の中では最弱で、朝が来れば勝手に灰となって散るのだが、とにかく膨大な数が発生するので危険度は高い。

 そのため武力を持たない一般市民は避難が推奨されており、ロージア大聖堂は最有力の避難場所に指定されていた。

 

 そして今日この日は、『血染の月』が昇る日でもあった。

 

 大礼拝堂には『礼拝の儀式』を余裕で超える人数が避難のために集まっているが、意外にも人々の顔に不安は見られない。

 なぜならここが最強の安全地帯と言っても過言ではないからだ。

 

 夜のとばりが下りた空にはすでに真っ赤な満月が昇り、街はすでにゾンビが蔓延る死の街と化しているはずだが、大聖堂周辺はゾンビのゾの字もない状況にある。

 大聖堂の放つ神聖なるオーラが、ゾンビどもを寄せ付けないのだ。

 

 さらに聖女たちも万全を期して準備を怠っておらず、外でゾンビを見張る防衛班、中で避難者の誘導や心身のケアをする支援班に分かれ任務にあたっていた。

 

 そうした中でエリシアやユノは後者、支援班を任されており、二人一緒になって大礼拝堂で負傷者がいないか確認して回っている。

 

「思ったより怪我してる人が少なくてよかったですね」


 ユノはエリシアの後を付いていきながら、安堵したような声を漏らす。

 

「そうね。今回は死者も出ずに済みそうだわ」


 前を向いたままエリシアがそう言う。

 

「これも神様の御加護のおかげですね!」


「ふふっ、そうかも知れないわね」


「ところでクロエ様は今どちらに――」


「あ、ちょっと待って」


 その時、エリシアは魔力の気配を感知した。


(これは……伝言魔法? 外の防衛班からだわ)


 伝言魔法とは、その名の通り特定の人物に対してメッセージを発信できる魔法のことだ。

 今回の場合、発信者は防衛班の聖女、受信者は他の聖女達。

 ただ、発信するにも受信するにもある程度の魔力が必要なので、エリシアは受信できてもユノには受信できていなかった。

 

「――えっ?」


「ど、どうしたんですか!」


 ユノが聞き返すと、エリシアは顔を近づけて小声でささやいてきた。

 

「実はね……取り逃がしたゾンビが一匹、大聖堂の敷地に入ったらしいの」


「ええ!? 建物の中のどこかにいるかも知れないじゃないですか!」


「しーっ、声が大きい」


「あ、も、申し訳有りません……」


「すでに捜索は始まってるらしいわ。だから、私達は普通にしていましょう」


「そうですね。わたし達が不安になってたら、街の皆さんも不安になってしまいます」


 二人は互いに頷き合い、決して市民に不安を与えないよう誓った。

 

 

 

 

 同じ頃、クロエは書物庫でいつものように本を読み漁っていた。

 同室の天窓――日光を入れるための、高所に取り付けられた小さな窓――には『血染の月』がスッポリと見事に写り込んでいて、まさに一枚の絵画のようになっている。

 当然、クロエもその光景を目にしていた。しかし、いや、やはりと言うべきか彼女は引きこもったままだった。

 

「だってェ、ボクが行った所で何か役に立つわけじゃないし~」


 まるで誰かに言い訳をするかのような独り言を放つクロエ。

 一冊の本を読み終え、次の本に手を伸ばそうとした、その瞬間。

 

 ――ドスンッ。

 

 鈍い物音。

 それは遠くの方、しかし明らかに書物庫内で鳴った音だった。

 

 クロエは警戒する。

 手を止め、感覚を研ぎ澄ませて聞き耳を立てる。

 

 ……ヒタ……。

 

 …………ヒタ……。

 

 ヒタ……。

 

 わずかにだが、そんな音が聞こえる。

 ――足音?

 いや、足音にしてはリズムが不規則で不気味だ。

 クロエはさらに警戒心を高め、ゆっくりと音の方へ向かった。

 そして、本棚の列を五つほど過ぎた辺りにて。

 

「うわああっ! ちょっとキミどこから入ってきたのー!?」


 クロエは三歩ほど後退しながら叫ぶ。

 そこでクロエは、見るもおぞましい薄緑色の肌をした人型ゾンビの姿を見たのだ。


「……!」


 大声を出したことで、ゾンビもクロエの存在に気づいてしまう。

 首だけを横に向けると、そのままの体勢で距離を縮めてくる。

 幸いゾンビの足は遅く、クロエでも余裕を持って逃げられた。

 本棚の陰に身を隠しながら、ふと考える。

 

 ――あのゾンビは本当にどこから?

 

 するとその時、クロエは上から吹いてくる冷風を肌で感じた。

 見ると、天窓が割られており、風はそこから入ってきたものだと推測できる。

 そして天窓を割った犯人――それはやはりゾンビだろう。

 最初に聞いた鈍い物音は、ゾンビが落ちてきた時の音だったのだ。

 

 ――ということは、ゾンビは屋根を上がって入ってきたの!?

 

 そうとしか考えられなかった。

 だが、侵入経路が判明した所で本質的な問題は解決していない。

 書物庫を徘徊するゾンビをどうするべきか……まさか、朝まで追いかけっこを?

 いやいや、それはキツすぎる。

 となると残る手段は……。

 

「……倒す?」


 クロエは自分の手の平を見つめた。

 今、自分にはゾンビを倒せるだけの力がある。

 だが、見つめる手の平は焦点が合わない視界のごとくぼやけていた。

 震えていたのだ。

 

「ん? ちょっと待てよ……今って、心置きなく攻撃魔法を試せるチャンスなのでは?」

 

 周りに人の目はない。

 攻撃魔法をぶつけるのに丁度いい相手サンドバッグ

 

 ――最高じゃないか!

 

 その瞬間、手の平の震えが収まった。

 さらにその瞬間、クロエの心積もりも決まった。

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