第8話
リナが姿を消したらしい。
それを聞いたジャクスは強烈な怒りを感じていた。
X社の『感情介入』だ。
間違いない。
M社の分析班によると、連中はカイの〈無感動〉をどうにかするために、彼を最も身近で支えていた人物の感情に強制介入した可能性が指摘されていた。それが事実なら、あまりに非道な所業だった。『感情介入』が治療のためカイ自身に直接実行されるのであれば、ジャクスにとってそれはどうでもいいことだ。カイなどいっそ精神崩壊してしまえばいい。そうすればリナは自分を頼って近づいてきてくれるかもしれない。……そんな安易で幼稚な期待すらあった。
しかしそれは間違いだった。
『感情介入』は彼女のすべてを破壊した。彼女は今もどこかで生きているのだろう。けれどもはやそれはX社に穢された彼女だ。脆弱な人の心を弄んでいる。決して許されることではない。
「壊してやる。こんなもの、すべて」
ヴォルフの診察が終わると、ジャクスは拳を握りしめながら言った。
「ヴォルフ先生。例の計画を始動させます。もうこれ以上、人々の心がX社によって翻弄されるのを見過ごせない」
ヴォルフは少しの沈黙の後で答える。
「分かった、ジャクス。その計画で、人々が本当の自由を取り戻せるなら、なにもかもをかけてでもやる価値がある」
二人の誓いが交錯すると、その計画は静かに始動した。
〈感情オーバードーズ計画〉。
成功すればX社の『幸福プログラム』は崩壊し、人々は自らの感情を取り戻すことができる。
M社に戻ったジャクスは怒りと決意が混ざり合った熱い感情を握り締めながら、自分のデスクでいくつかのプログラムを起動させた。これがM社の武器、そしてジャクス自身の武器だった。インフルエンサー、他のメディア企業、さらには政治家まで。ジャクスは連絡先を一つ一つ開き、短いメッセージを送る。
「今夜、重要なことが起きる。君たちの力が必要だ」
次いで彼はM社の広告代理店に指示を出した。「これから共有するマニュアルに沿って刺激的なビデオとニュース記事を作成し、それを全国のメディアに広めるように」と。
「これで始まる」
ジャクスはその言葉をつぶやきながら、コンピュータの画面を閉じた。たった一人のたったこれだけの行動でなにが変わるのか、いざ実行してみるとジャクス自身疑問を抱きかけたが、しかし、これまで虎視眈々と準備に取り組み、ずっとその発動の機会を伺っていたのだ。いざ引き金を引いてみると実感はほとんど得られなかったが、今後、人や社会がどのように反応を示すか楽しみだった。あとはその変容を見守るだけだ。人々がX社の『幸福プログラム』による支配を望んだ世界が、ようやく、変わりはじめるのだ。
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