無感動オーバードーズ

丸山弌

第1話

 二一〇四年、夏。

 空には銀色の雲が浮かび、街は幸福に満ち溢れていた。

 社会奉仕の理念を掲げるX社が『幸福プログラム』の提供を開始したのだ。それは生体端末を経由して脳にささやかな電気刺激を与えることで、希望者の心に秩序を生み、不満や悲しみ、怒りを制御することができる画期的な技術だった。SNS上の有識者やX社自身の厳しい登録者予測に反し、その数はあっという間に総国民数に迫り、だれもが『幸福プログラム』の支援を受け、完璧な感情を手に入れていた。

 しかし、この日もカイはなにも感じていなかった。『幸福プログラム』は確かに起動しているはずなのに、心から感情の色が失われ、冷たい灰色の霧が漂っていた。周囲の人々が笑顔で話す中、カイはただ静かに座って過ごしていた。

 リナがカイの隣に座り、彼の手を握った。彼女の温かさがカイの心に少し触れるが、それもすぐに消えていく。

「大丈夫?」

 完璧な感情支援を受けたリナの声がやさしく響く。カイはゆっくりと頷いた。

「感じないんだ、リナ。なにも」

 リナはカイの顔を見つめ、なにかを言おうとしたが、言葉は出なかった。彼女にも、カイの心を照らす光を見つけることができずにいた。

 ある日、カイはビルの屋上に向かって階段を昇り、手すりを跨いで、無感情にそこから一歩を踏み出そうとした。その身体が落ちる寸前、追いかけてきたリナが抱きしめていなければ、彼の自殺は成功していただろう。

 カイはなにも感じず、ただリナの温もりの中にいた。

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