第2話
病院の待合室は静かだった。
カイの自殺未遂を受け、リナが彼の手を引いて精神科クリニックへと連れてきたのだ。壁にはX社による『幸福プログラム』の宣伝ポスターが貼られ、人々の笑顔が描かれている。カイにとってその笑顔は、どこか真っ白な地平線、真っ白な空の果てにある、あまりに遠くの世界であるかのようだった。
「カイさん、どうぞ」看護師の声が響き、カイは立ち上がった。リナも彼に付いて行くと、看護師は微笑んで首を振った。「今回はカイさんだけで大丈夫です」
リナの目に不安が浮かんだが、その感情もすぐにプログラムによって支援され、前向きな輝きをその瞳に浮かべる。彼女はカイの手を握り、「大丈夫だよ」と囁いた。カイはわずかに笑みを作ったが、感情のないぎこちないものであることはわかっていた。
診察室は明るく清潔だった。中央には椅子があり、精神科医ヴォルフがそこに座っていた。彼の目は鋭く、知的な輝きを放っていた。
「カイさん、どうぞ座ってください」
ヴォルフの声は冷静で、落ち着いていた。カイが椅子に座ると、彼は事前に提出された問診票に目を落とした。
「なにも感じない、ですか」
「はい。なにも感じないんです」
カイの声は淡々としていた。
カイ自身、この状態が切ないことなのかわからない。知的には問題なく、精神も凪のように平坦で穏やかだ。しかし、痛みを感じないという痛みが、心のどこかに閉じ込められているような気がする。
ヴォルフはカイにいくつか質問をして、その返答を聞き取った。そして、しばらく黙ってカイを観察する。
「これは〈無感動〉という症状ですね」彼はようやく言った。「最近、増えてきています。きっかけはX社の『幸福プログラム』でしょう。脳に間違った刺激が与えられてしまっているのです。そしてその刺激は脳を器質的に変化させてしまうため、たとえプログラムを切っても症状は回復しません。もしあなたが望むのであれば、感情を取り戻すための治療を開始することになりますが、いかがですか。当然、費用はX社に負担させます」
カイはリナのことを考えた。
彼女はこんな自分にもずっと寄り添い、支え続けてくれている。
「お願いします」
カイは頭を下げ、ヴォルフは頷いた。
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