第4話

 ジャクスが診察室に入ると、おそらく患者には見せないだろう疲れ切った姿の白衣の中年男性の姿があった。

「こんにちわ。ヴォルフ先生」

「ジャクス君か。どうした、そんな物憂げな顔をして」

「失恋したばかりなので」

「そうか。『幸福プログラム』の利用をお勧めするよ」

「鋭利な皮肉ですね」

「どちらかというと自虐だな」

 スーツ姿の若者がお互い嫌な立場ですねと苦笑する。

「それで」と、ヴォルフは彼に本題を促した。「なにがはじまろうとしているんだ?」

「すでにはじまっています」ジャクスが急に真面目な表情になり、紙の資料を手渡す。「X社による『感情介入』。それを暴き人々を救うことができるのは我々M社だけです。力を貸してください」

 ヴォルフは黙って資料に目を落とした。

 M社の調べによると、『感情介入』とはX社が『幸福プログラム』によって〈無感動〉を生み出している状況に鑑み、感情を強制的に引き出そうとする秘密のプログラムのようだった。X社はそれによって増加中の〈無感動〉に歯止めをかけ、社会からの批判を避けようとしているらしい。

「愚策だな。このことが世間に知れ渡れば逆に『幸福プログラム』は崩壊する」

「そうでしょうか。『幸福プログラム』自体、すぐに崩壊すると思われていたプログラムです。しかし現在ではX社自身の予測にすら反し、圧倒的なシェアを獲得しています。思った以上に世の中は狂っていたのです。そんな世の中が『感情介入』に対しどのように反応するか、もはや予測できません」

「人は導きを求めている」ヴォルフはため息を吐くようにして言う。「それは親だったり、教師だったり、先輩だったり、友人だったり。時に法律だったり、世間体だったり、信念だったり、神だったりする。人は自身が認めた圧倒的ななにかに服従したいという本能があるんだ。しかし近年は人との繋がりが薄れ、親は力を失い、法整備は時代に追い付かず、世間は薄情で信念は砕け、神を信じられない人ばかりの世の中だ。その結果が『幸福プログラム』への依存に繋がったのだろう。我々が思った以上にこの世界は終わっていた。そう見えなかったのは単に、一人一人がギリギリのところで踏ん張っていただけなのかもしれない」

 そして改めて、ヴォルフはジャクスから受け取った資料に目を落とした。

「だとしたら真実を知る我々が人々を導く必要がある。M社の計画に協力しよう」

「ありがとうございます。一緒に人々の本当の感情を取り戻しましょう」

 二人は堅い握手を交わした。

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