第6話
「ヴォルフ先生。X社が提案してきた治療、受けてみたいと思います」
次の診察の日、カイはそう話した。
「そうか、よかった。君が感情を取り戻すことができるとするなら、もうこれ以外に方法がないからね」
「そうですよね。わかっています。だからもしこの治療もダメだった場合、僕は彼女と別れようと思っています。もうこれ以上、迷惑を掛けたくなくて」
「そうか。君が決めたことに私は口を出さんさ」
「はい。ありがとうございます」
「では、早速X社提案の治療プログラムを実施しよう」
今度こそうまくいってほしい。しかしおそらく、今回もいつもと同じようにダメなのだろうとカイは思っていた。そしてその事実にも、やはり感情は乗ってこない。期待も恐れも諦観すらもない。淡々と診察を終え、リナに連れられて家に帰る。
リナは買い物に行ってくると言い、すぐに出ていった。カイは一人、部屋の隅に座っていた。リナが「感情を取り戻すため」と置いてくれた、かつて感情があった頃のカイとリナの写真を見つめながら、今日もまた無感情に自分が置かれた状況を考えていた。
自分は〈無感動〉と呼ばれる存在になった。文字通り、あらゆることに感動できない心になった。辛くはないが、悲しくもない。喜びも幸せもなにも感じない。けれどなにかしら感情の基と呼べるような小さな炎は確かに心のどこかに灯っているような気がする。あるいは痛みのない痛み。この感覚を信じるべきか、疑うべきか。
カイの心は暗い森に迷い込んだようだった。目の前に広がるのは疑念と不安で作られた霧、足元には現実と幻想が絡み合ったねじれた道がある。鬱蒼とした不気味な世界。しかしふとリナが現れ、手を伸ばしてくれる。その瞬間、心の奥底で小さな光が瞬いたかのように感じられた。それはリナから受けた愛情の煌きだ。彼女の愛がカイの心の隙間を照らし、暗闇を少しだけ和らげてくれている。彼女の愛情という確かな温かさが、カイの心を明るく照らし、気づけば彼女を守りたいという小さな炎が揺らぐランプを手にしていた。
これは感情なのだろうか。
それともただの事実か。
過去には確実に手にしていたそれが、今となってはもうわからない。手にしたその光もまた不確かなもので、カイの心は森から海の底へと沈み落ち、暗黒の深海の中をただ漂っているだけだった。
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