Ⅶ  花に水を


 二人は木を切りました、彼女が埋もれていると思われる、その幹の半ばまで。墓地の管理小屋から持ち出したのこと斧で。

 けれど、彼女の胴の厚みを越えるほどに切っても、どこを切っても。彼女はいませんでした。



 やがて、彼は言います。とうに日は落ち、さらに時が過ぎた黒い空の下、木くずにまみれたままの顔で。

「オレは行く」


 土に汚れたままの顔で、わたしは目を瞬かせます。


 彼は言いました。

「彼女はいない。神を騙った以上、信仰の道には戻れない。オレが殺した……彼女も、神も」


 わたしは首を横に振ろうとしました、否定の言葉を言おうとしました。けれど体は重く、そうはできませんでした。


 彼は荷物を取り――彼女の分は置き、自分の荷物を――、肩に担ぎます。

「ここが天国、ここが地獄。ならば……生きるさ。彼女もきっと、同じ場所にいる」


 何も言えずにいるわたしを抱き締め、彼女の化した木を抱き締め。離した後も、じっ、とその木を見つめた後。

 彼は歩き出しました。星の光るその下の道を。





 どれほどの間でしたでしょうか。わたしは、そこにいました。そのままで、ずっと。ほうけたように。

 でも、そうか。彼女はそうだ、そこにいる。

 そう思い、彼女の木に目をやり。そちらへ歩み、幹へ手を触れようとしたそのとき。


 昇りました、朝の日が。雲を、夜を裂くように。

 その光が触れたとき。ひび割れるような音がしました。彼女の木から、砕けるような。

 果たして、それは割れていました。光に当たる端から端から、朽ちていくように。割れ、砕け、粉々に分かたれ。自らの重みに耐えかねるように。


 そして。風が吹きました、全てをさらうかのような。

 飛んでゆきました、散り落ちた木の葉は。咲いていた花は、茂っていた草は。粉々に砕けた木の欠片は。

 彼の歩み去った方へ。空へ、追うように、わたしには手を触れもさせず。光の中を。


 ――神よ。





 …………わたくしに語れることは、これだけでございます。審定官しんていかんの皆様方。


 どうか、どうか伏してお願いいたします、彼の罪、彼女の罪は決して問われませんよう。罪などございません、彼らには。この世の誰よりも。


 わたくしでございますか? わたくしは……罪深き者です。望んでしまいました、神の道を行くことよりも、彼の、彼女の幸福よりも。わたくしの、幸せを。


 そのことを神に告白し、悔い改め。せめて信仰の道の端を、再び歩んでゆければと思います。許されるなら彼女の代わりに、墓守などさせていただいて。そうして、彼女と共に暮らしてゆければ、と。



 え? 彼女はもういない、そう言ったではないか、と? 


 いえ。彼女はそこにいます。ほら。

 彼女の残した奇蹟の花が。枯れない、朽ちることのない花が。いくつもいくつも植えました、私の手で。


 え? これは造花ではないか、葬儀用の造花ではないか、と? 


 ご冗談を。彼女の花です、私のために残してくれた。さ、そろそろ水をやらねば。


 父には……伯父には、どうぞよろしくお伝え下さい。

 私は彼女と生きてゆきます。どんなに荒んだ日々であっても、せめて丁寧に。一歩一歩、共に。

 ここが天国なのだから。そして、地獄なのだから。





 ――彼女こそは奇蹟きせきの人、疑いようもなき聖女でございました。

 愛されておりました、心から。偽りの神とはいえ、二人もの神から。――



(了)


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奇蹟の花、偽りの神 木下望太郎 @bt-k

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