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長編は完結としたが没にした文章が100ページを越えた

 最終章を書いていてあまりに没データが多いので別ファイルに移したら100ページちょい。 
 1ページを1200字(原稿用紙3枚分)にしてあるので没文章だけで原稿用紙300枚=文庫本1冊分であった。

 仕事も家のことも実に忙しい。
 長編を完結させたがどうも喜びも達成感も寂しさもない。
 疲れきっていることと全力を振り絞ったことは確かだ。
 他の方の作品に色々感想を書いたりコメントに返信したいと思いつつなかなか体力と時間がなく、申し訳ない。
 長編は今六ノ巻37話ぐらいだったと思うが六ノ巻49話+末広2話で完結。週一掲載で来年1月末から2月上旬ころ完結。
 それまでに気持ちを切り替えて安倍晴明の話をある程度書いておきたい。

4件のコメント

  •  まず、300枚の投稿作品を書き始められるとのこと。嬉しいです。絶対そっちの方があってると思います。  
     
     価値基準が「異世界転生」のカクヨムは重厚な描写力(私には絶対かけない)が売りの望太郎さんにはあってないです。カクヨムにいつまでもいたら良さが潰されちゃいます。

     でも、ハーメルンではカクヨムよりは受けたんですね。私のホームズさんも結構受けてたので、本当に相性なんだと思う。

     私、カクヨムの推奨する異世界転生は書けないし、書きたくない。書く必要を全く感じない。以下、かなり極論ですが、私の異世界転生への感想メモです。

    *******
     カクヨムの読者は、本買わない人。異世界転生は今すぐ売れて、今すぐ消える(今だけ・金だけ・自分だけ)老害化した子供おじさんの精神的負け組の現実逃避。
    人生の破滅フラグが立ってチート能力が欲しい中年の悲しい願望。

     ベタで平凡。全部どっかで見たことある。無駄に分かり切ったことを長々と書く。テーマの薄さ、骨子の古さ、スローライフに成長はないし、退屈なだけ。悪役令嬢のドロドロにうんざり。たった一人の人間の行動だけで、こんなに世界が都合よく回るもんか。

     ヒロイン=顔だけ・体だけ・身分だけ。馬鹿なほど男に都合がいいお人形さん。
     イケメン=性格、個性、無色透明。ヒロインスキスキして権力を投げ銭する。夢見がちな読者の理想を叶える、女に都合のいいお人形さん。(こんなののどこが良いんだ?)
    *******

     異世界転生を好む、頭が空っぽ、お花畑の「あ・軽い」若さ(無知)とバカさがイコールの「お笑い・ギャグ」。パッパッと、切り替わる速さが必要。出ないと、二倍速の画像に慣れている今の世代には通用しない。
    「落語・ユーモア」の古くて重いテンポでは、太刀打ちできない。
    どれほど書き手がノリノリで楽しくても、それを「売り」にして勝負したら、若さには勝てない。若さ(バカさ)は存在全てが軽いのですから。

     来年一月から書く「扶桑樹の国」を最後に、私は「笑い」から手を引き、「悲劇・誰も書かない歴史もの」にシフトします。
    それならば私にも知識と経験に一日の長があり、「戦いようがある」からです。(アレ、私まだ書くの?)

    【追加の私信】
     2024年は、あまりにもいろんなことがありすぎて、人生の考えの切り換えをせざるを得ない、迷いと困難の年でした。

     でも、カクヨムコンの短編賞応募をきっかけに、2019年・2021年・2024年のSS作品を読み返してみて、初めて自分が昔より表現が上手くなっているのに気付きました。(努力って本当に報われるんだと実感。感動)

     高校生の時、チャイコフスキーのバレエ音楽の授業で、ヨーロッパで日本人初のプリンシパルになった森さん(火の鳥・主演)というバレリーナの話を聞きました。

     子供の頃は病気がちで、体が硬く、足の短い日本人である森さんには、不利な条件しかありませんでした。にもかかわらず、彼女は他の才能有る人たちを押し退けてプリンシパル(主役)に選ばれました。
    彼女の踊りが見る人を感動させたからです。

    「体の柔らかい天性の才能のある人が、スッと高い位置にあげた足を見て、『凄いな』と人は思っても、そこに感動はない。
     体の硬い人が、死に物狂いの努力の果てに、毎日5mm、1cm、と足を上げていく果てに辿り着いたその高さに、初めて『美』と『感動』が生まれるのだ」と。

    「一度でできるということは、恐ろしい。何故なら『そこまで』だからだ。
     できない人間は繰り返しやる。出来る様になるまで、死に物狂いで、何度も何度も。

    その果てに、こちらが要求したものを遥かに超える踊りを踊れる様になるんだ」
                漫画・山岸涼子/アラベスク1971〜75年

     まさか、この言葉が「真実だった」と思える日が来るとは、思いませんでしたよ。


  •  遅くなりましたがコメントありがとうございます。
     次作は未だはかどってはおりません。

     源さんもカクヨム卒業卒業といいつつ続けられておられますが、嬉しいことです。
     得意なジャンル、書きたいジャンルに特化されるとのこと、これも素晴らしいです。

     ですが、「笑い」のジャンルも大事だと思うんです。
     個人的な見解ですが、創作で「一番簡単なのが文学」「最も困難なのがギャグ」だと思っています。

     文学はアホでも書ける。本当にどんなアホでも書ける。「読者の感情がどこかしらの方向へ動けばいいから」です。
     ギャグはそうはいかない。「笑いという一定の方向、狙い通りの方向へ動かさなければいけないから」です。

     「『読者が自分の意志で笑っている、バカにしている』と勘違いさせつつ」「その実、作者の意のままに掌の上で転がす」という、最も傲慢かつ繊細なジャンル。
     ふざけている奴に、ギャグは書けません。

     源さんが手がけようとしている者に関連する、アイヌや北米先住民の文化は私も以前から興味を持っているのですが。アイヌ文化を含む北海道を舞台とした大ヒット漫画『ゴールデンカムイ』の作者は、取材中にアイヌの古老からこう言われたそうです。
    「虐げられたかわいそうなアイヌは何度も描かれてきた。強いアイヌを描いて下さい」
     その言葉どおり、同作のヒロインであるアイヌの少女も、市井のアイヌの人々も根底にたくましさがある(敵はもっとヤバいけど)。

     源さんが悲劇を悲劇を描かれるのはもちろん良いことです。ですが私としては「その先」を書いていただきたい。
     虐げられた者の悲劇、というのは「当たり前の話」。
     甘い卵焼きを作るにしても、塩を入れるからこそ甘さが引き立つ。たとえ悲劇を書くにしても、たとえば強さだとか笑いだとか、別の要素も忘れずにいていただきたい。悲劇を越えるものを見たい。私としてはそう思っています。



  •  悲劇は、弱さを書くもんじゃないです。運命と戦い克服する人間の、強さと尊厳を書くものだと思ってます。

    「弱さ」を克服しようと頑張り、主人公が“ギャン泣き”するシーンをやっと作れて、「ヨシ、書けるぞ」と思ったところです。

     そうやって小さなエピソードを積み上げて10万字にするのが私のやり方なので、時間かかる。

    歳のせいか、題材になれないせいか、エピソードの出方が遅い。その代わり内容に深さが出てきました。

    「小説の書き方」の本はだいぶ読んだので、(スティーブン・キングのが面白かった)前から興味を持ってた「脚本」の記事をネットで見つけて、コピーを取り読んでみた。

     今まで、キャラクターについてちゃんと考えたことがなかったので、感心しきり。

    「主人公に欠点を作る」は知ってたけど、「敵を作る」のは意識したことなかった。

    「扶桑樹の国」では、「指輪物語」出て来る、指輪に取り憑かれて頭がおかしくなり、指輪を追い続ける(名前忘れた)キャラみたいな、しつこい敵を出す予定。

    まだ読み続けてます。プロット時間かかりそう。
  •  頑張っておられるようで何よりです。私の方はまだまだ……
     息抜きにやってる二次創作は調子いいんですが。
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