第六夜 最後の七不思議
突然、体育館の扉が開いて真由実と友紀は同時に悲鳴を上げる。
「みんなが窓から入らなくても良いだろ」
体育倉庫を通って内側から扉を開けたのは康司だった。
「そういえばそうかぁ」
真由実は脱力する。
体育館内はシューズのゴムと染み付いた汗がない混ぜになった独特の臭気が漂っている。夏休みの間は基本的に締め切って冷房も無いため、嫌な湿気が肌にまとわりついた。
「この辺にいたはずだ」
人影が彷徨いていた場所にやってきた。バスケゴールの下付近だ。
「また血だ」
康司が床を見つめている。体育館のワックスの効いた床板に黒い染みがべったりと残っている。
「ここにもあるわ」
真由実が指差す先にも複数の染みがへばりついていた。陽介が懐中電灯で床を照らすと、友紀がすぐ足元に血痕を見つけて飛び上がる。
「嫌っ、これまさか」
「髪の毛だ」
康司が唖然として呟く。何かを打ちつけたような血痕に引き抜かれた髪の毛が混じっていた。
友紀は体育館の外に飛び出し、側溝に蹲り嘔吐する。真由実も幽霊の姿を見ずに済んでよかった、と心底思う。
ここにいたのは自分のちぎれた頭をボールにして戯れる生徒だった。
「体育館のボール、クリアだな」
陽介は体育館の外へ出ていく。泣きながら咳き込む友紀の背中をさすってやる。嘔吐物の臭気が鼻をつき、怖がりな友紀をここへ連れてきたことを可哀想に思った。
「もう大丈夫、ごめん」
友紀はふらつきながら立ち上がり、水道でうがいをした。胃の中のものが全部出てしまい、涙は枯れてしまった。気分は妙にスッキリしていた。
「次はどこだっけ」
康司はこうなったら早く終わらせたいと躍起になり始めた。真由実もこうなれば全ての七不思議を見てやろう、という気になった。
陽介は北校舎の鍵を開けた。密封されたムッとした熱気が通り抜けていく。
北校舎の目的地は四階奥の女子トイレだ。
四人は無言で白いリノリウムの階段を登っていく。女子トイレを前にして冗談をいう元気のある者はいなかった。
「俺やってみるわ」
康司が先頭に立った。友紀は鏡に映るげっそりした自分を見て情け無い顔で笑ってみせる。
康司は故障中のトイレの前に立った。
「あれ、なんだか変ね」
真由実は違和感を感じて首を傾げる。この間ここへきた時と何か違う。
「故障中の張り紙がないわ」
友紀も違和感に気づいた。扉に貼ってあった故障中の張り紙が消えていた。
しかし、扉は閉まったままだ。普通、誰も入っていないなら扉は空いているものだ。陽介は確実な手ごたえを感じた。
コン、コン
康司はゆっくりドアをノックする。皆息を殺してドアに注目している。
コン
返事があった。ここに誰か入っているのか。康司は息を呑んで思わず後ずさる。真由実と友紀は互いに腕を組んで震えている。
「誰かいるの」
康司の声は震えている。もし、答えが返ってきたら走って逃げた方が良い。
しかし、先程のノックから反応はない。
陽介がしゃがみ込んで懐中電灯で足元を照らす。トイレのドアは隙間が空いており、誰か入っていたら足が見えるはずだ。
「誰もいない」
陽介は呟いて立ち上がる。康司は陽介の顔をまじまじと見つめる。
コンコン、コンコン
もう一度ノックしてみる。
コン
先程より音が大きくなった気がした。
「入ってますか、いますよね」
康司は半ばヤケクソで叫びながらノックを繰り返す。
ドンっ
扉を揺るがすほどの音がして、康司は飛び退いた。背中に壁がぶつかり、叫び声を上げる。
「もうやだぁ」
友紀がまた泣き始める。真由実も半泣きで友紀の背中をさすってやる。康司と陽介はドアから距離を取る。
「きゃっ」
ドアがゆっくりと開いる。
しばらく見守っていたが、ドアから人の出てくる気配はない。それもそのはず、下からのぞいたときに足など見えなかったのだ。誰もいるはずは無かった。
「のぞきにいく?」
「マジかよ、勘弁しろよ」
ここまできてかなり肚が座っていた康司も怖いようだ。
誰も奥の個室に近づけないでいると、水を流す音が聞こえた。
「故障中だよね」
「それより何で勝手に水が流れるんだよ」
真由実と康司は顔を見合わせる。陽介は懐中電灯を手に個室を覗き込む。
「うわっ」
和式便器の中を流れるのは水ではなく、血だ。ゴボゴボと泡立ちながら止まることなく流れ続けている。
「トイレめちゃくちゃ怖かったな」
「あんなの二度とごめんだよ」
康司は嫌な脂汗をハンカチで乱暴に拭う。陽介もトイレでの体験は流石に怖かったらしく、呼吸が乱れている。
階段を降りて一階廊下を進む。
ザザ、とスピーカーからノイズが流れて四人は身を寄せ合う。
「深夜の校内放送だ」
陽介は耳を澄ませる。ノイズは不協和音のように響く。微かに音楽が混じったり、人の囁き声が混じったり、しかしはっきりと聞き取れない。
「放送部の部員が機材の操作を誤り、感電死した。その時の断末魔が校内中に響き渡ったそうだ」
「ひでぇ放送事故だな」
康司が半笑いでツッコミを入れる。
「笑えないわよ」
真由実が康司の背中を叩く。
「今、向かってるのは放送室よね」
友紀は不気味な放送を耳に入れまいと両手で耳を塞いでいる。
放送室についたとき、スピーカーからパン、と破裂音が聞こえた。
「うごごごごごあががががが」
この世のものと思えない恐ろしい呻き声に、四人は震え上がる。しばらくして声は聞こえなくなり、放送はプツンと途切れた。
陽介はドアノブを握る。今聞いたのは感電事故の再現だったのだろう。
ドアを開け放つと、ツンと何か焦げる匂いが漂っていた。
「嫌な匂いだわ」
真由実はハンカチで鼻を覆う。
「多分、肉や髪の毛が焦げた匂いだ」
狭い放送室には誰もいなかった。焦げてスポンジが飛び出た椅子が転がっているだけだ。機材の電源も落ちている。
「これ見ろよ」
陽介が照らすマイクに血がべっとり付着していた。
最後の七不思議を求めて木造二階建ての旧校舎へやってきた。いつ取り壊しになってもおかしくない、酷く老朽化した建物だ。白蟻が巣食っており、次に地震が来たら倒壊するとも言われている。
ここには広い工作室があり、ここを潰すと変わりの教室に困るので、やむなくそのまま使い続けているというのが実情だった。
旧校舎は施錠されているが、扉を強引にずらせば鍵を外すことができた。陽介は最後の七不思議を前に興奮を隠せないようだ。
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