第八夜 七不思議を辿れ

二〇二三年、夏


 廃校が決まったとはいえ、この四月までは卒業生を送り出した校舎は廃墟というにはまだ早い。きれいなものだ。しかし、自分たちが通っていた二十五年前よりは老朽化している。コンクリートの壁にはヒビが走り、雨水が垂れた跡が黒い染みとなって残っている。


 深夜一時、康司は赤城第二小学校の玄関に立っていた。乗り越えた校門はあんなに低かったのかと驚いた。当時も同級生の中では身長は高い方だったが、今は百八十センチを越える。陽介の失踪事件から心は萎縮して生きてきたが、身体だけは立派に育ったと自分でも感心する。


 真由実と友紀を待っているが、約束の時間をすでに十分は過ぎている。康司はポケットからタバコを取り出し火を点けた。小学校の敷地は禁煙だが、ここはもう廃校だ。背徳的な気分も相まってタバコは妙に美味く感じた。


 彼女たちは来ないかもしれない。校舎が解体される前に七不思議を辿り、踊り場の鏡をもう一度調べたい。あの時、堪えがたい恐怖から陽介を見捨てて逃げたことで人生が変わってしまった。


 調べて何がわかるというものではないかもしれない。しかし、何もせずこのまま校舎が無くなるのを見送るのは、陽介の墓標すら守れないという情けない気分だ。

 康司はずっと罪悪感に苛まれてきた。彼女たちはきっとそこまでではないのだろう。心細いが、このタバコの火が尽きたら一人で探索を開始しよう、そう決意した。


 あの頃からすると考えられないような猛暑だ。陽が落ちてずいぶん経つのにこんなにも空気は蒸し暑い。火はフィルターに到達しようとしていた。康司は小さく舌打ちをしてタバコを割れたアスファルトに投げ捨てる。


「康司君、ここにいたのね」

 真由実の声だ。白のカーディガンにライトグレーのノースリーブシャツ、ジーンズ姿でこちらに向かって歩いてくる。

「真由実、来てくれたんだな」

「ええ、調べるのは今しかないしね」

 真由実は渋々といった感じのようだが、心強い。


「友紀はやっぱり来ないか」

「あの子は怖がりだからね、きっと来ないわ」

 真由実が電子タバコを取り出したとき、場違いな白いワンピース姿の友紀が現われた。

「こんばんは、来たわよ」

 明らかに探索には不向きで異様な姿だが、白は邪悪を払う色だと信じているようだ。月明かりの下で色白な友紀はさらに蒼白に見えて真由実はゾッとする。


「最初は覚えてる?」

「ああ、美術室だ」

 康司は肩掛けリュックからLEDライトを取り出す。当時の懐中電灯よりもずいぶん明るい。しかし、心細いのは陽介がいないからだ。

 南校舎の入り口は施錠されていた。康司リュックからハンマーを取り出し、躊躇いもせずにガラスをブチ割る。


「きゃっ」

 足下にガラスの破片が飛び散り、真由実は悲鳴を上げる。

「解体作業員舐めんなよ」

 康司は割れた窓から手を入れ、鍵を開けた。廊下には埃が体積しており、友紀はけほけほと咳き込んでいる。

 階段を上り、二階の美術室を目指す。段差が低くて普段通り歩くとつまづきそうになる。


 美術室の扉は開いていた。教室内にはまだ机が残されていた。

「黒板のところね」

 真由実はここへ来たときのことを思い出す。七不思議なんてデタラメだと思っていた。男子と一緒に冒険できるのが楽しくて、オカルトになんて興味は無かったのについて行ったのだ。それがあんなことになるなんて。真由実は下らない虚栄心を思い出し、唇を噛む。


「ないぞ、絵が無い」

 康司が壁を見つめて取り乱している。当時、黒板の脇にあった絵が消えている。真由実と友紀も黒板の周辺を探してみるが、女の肖像画は見当たらない。

 教室の壁を懐中電灯で照らしてみると、当時所狭しと壁に掛かっていた絵画は軒並み取り外された跡だった。


「これじゃ七不思議は起こせない」

 真由実は青ざめる。間も無く解体される校舎だ。備品は運び出されてしまったのだろう。

「それなら、音楽室も」

 友紀の言葉に、康司は美術室を飛び出し階段を駆け上がる。真由実と友紀も慌てて康司の後を追う。


 康司は音楽室の扉に手をかけ、乱暴に開け放つ。音楽室からはピアノ演奏は聞こえてこない。教壇脇に置かれていたはずのピアノは撤去されていた。

「そうよね、ピアノはまた別の学校で使えるもの」

 友紀は冷静に呟く。

「じゃあ、どうしろっていうんだよ」

 康司は苛立って机を蹴り飛ばす。

 ガシャン、と大きな音がして真由実と友紀は肩を竦めた。


「これじゃあの日の再現はできない」

 康司は椅子に座り込んで頭を抱える。七不思議を辿り、陽介が飲み込まれた血の鏡を再現しなければ。しかし、一体どうすればいい。康司は頭を掻きむしりながら唸り声を上げる。

 これで諦めがつけばいい、真由実は内心そう思う。もう一度怪異を起こしたとして何も変わるはずがない。もうあの恐ろしい光景が再現されることはないのだ。


「図書館に行ってみましょう」

 友紀の言葉に、康司は眉根を顰める。なぜ図書館なのだ、意味が分からない。

「七不思議の最初は陽介が持っていた死者の書いた本よ」

 友紀の言葉は妙に説得力があった。

「気が済むまでやりましょ、もうここは無くなるんだから」

 このまま帰れる流れを阻害され、真由実は迷惑そうな視線を友紀に向ける。


 図書館の蔵書は大部分が処分されていた。壁一面の棚はがらんとして、残されていた数冊はひどく痛んでリサイクルが難しい本だ。この状態を見ると、死者の書いた本を見つけるのは絶望的だ。

「陽介は司書室で本を見つけたと言っていた」

 康司はカウンターを乗り越え、司書室のドアを開ける。独特の糊と印刷の匂いが鼻をつく。


 司書室の書棚の本もすべて持ち出されていた。

「何もないわ」

 真由実は欠伸をする。明日も仕事だ。こんな時間まで廃校でうろうろするのもバカバカしくなってきた。

 友紀は棚を片っ端から開けはじめた。康司もそれに倣い、引き出しを開けていく。二人の真剣な姿に、真由実も仕方無く家捜しを始めた。


「ここ、開かない」

 友紀がスチール製の棚の一番下を引っ張っている。彼女の非力な細腕ではびくとしない。康司が交代し、両手で取ってを掴んで思い切り引く。

「かなり重い。歪みが出来て開かなくなってるみたいだ」

 康司はさらに力を込める。ガタン、と音がして引っかかっていたものが抜けたのか、引き出しは一気に飛び出した。

 


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