第3話

 さてさて、やっと一仕事終えて休みが取れるようになった行成さんですが、治療法はと言うと、やっぱり高名な御坊様にお経を唱えてもらうとか、沐浴もくよくするとか……ほぼほぼ、自然治癒に任せる感じでした。

 それでも、少しずつ体力を取り戻し、やっと仕事に復帰します。

 その後も、道長とは突貫とっかん人事のことでいろいろあったみたいですが、

 ……まぁ、とりあえず、道長も復活を遂げ、行成さんも引続き朝廷を支えたようです。


 結局、その二年後の長保二年にも疫病が流行し、さすがの行成さんも嫌気がさしたのか、……思わず愚痴を日記に書き込んでいます。


 世間の人は、『時代が末法まっぽうだから、災厄があっても当然だ』

 ……などと言うが、私が思うには、悪人を罰せず、善人に(善人を大切にしない政治が行われる? という意味か )なら、災い事は災害をはらんでどこかに表れるのではないだろうか。


 ……と、そのようなことを大真面目に書いています。

 とは、仏の教えが廃れ信心するものが減った仏教的には! ……そんな イメージでしょうか、ちょうど平安のこの頃は、そういう時代だと信じられていたようで、何か大きな災害が起こると、それが原因だと思われていたようです。

 しかし、行成はその考え方を逆手にとって、政治を行っている人の心の方が堕落していると、その結果として、天災や事件が起こるのではないのか? と、として真面目に思いを吐露とろしているのです。


 この言葉、当時の人の災害や病気の流行に対する思いが凝縮されている。……そんな感じではないでしょうか。


 まぁ、現代でもコロナが流行すると、いろいろと世の中がギクシャクしましたし、今も昔も変わらないのでは? と思います。

 いずれにしろ、地震、水害等で、いつも苦労している私達と、昔の人のはあまり変わっていないような気がするのは不思議なことです。


 とにかく、これからもいろいろと起こるのかもしれませんが、

『何とかなるゾィ……!!! 』

 と、腹を括って頑張るしかないのでしょうね。

 ……皆さんも、ストレスを溜めないように、ボチボチやりましょう。


=====================================================


 この話は、コロナが酷くなる前のの春に書いたものです。

 当時は、コロナがこれほど長引くとは思わず、もっと気軽に書いていたと思いますが、今回、改めて読み直し、もう一度、考察してみました。

 現代の私達も、外出制限をしたり、リモートに仕事を切り替えたりしながら何とか凌いできたぐらいなので、当時の人達は、もっと大変だったでしょう。

 いや、純粋に"免疫力と病"との戦いだったのではないでしょうか?

 そんなことを思うと、何だか現代の私たちが元気で生きていることが奇跡のように思えてくるのです。

 これからも、地球沸騰時代に負けないように進化するしかないのでしょうね。




--- END ---



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

藤原行成は見た! 平安京・疫病大流行 クワノフ・クワノビッチ @lefkuwanofkuwanowich2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ