第2話
では、実際に行成さんの日記を読み解いていくことにします。
長徳四年(九九八年) 七月二日 ( 旧暦表記なので、今なら八月頃 )
この日は、内大臣の藤原
「決め事があっても、休みを取っていて、人がそろわず困っている」
と、奏上します。
また、既に
『見舞いに来ないように……! 』
と、釘を刺されます。
もう、その頃には世間でも病気が盛んになっていたようで、
道長が、『
とも、書かれています。
赦免(この場合は
そこで早速、
これは、つまりのところ、現場は
まぁ、どちらにせよ、当時は科学的な事は何もできず、御経を盛大にあげたり、疫神を追い出す為に、お祓いをするのがせいぜいだったようですが。
そうしている間にも、次々に重職の貴族が病に倒れ、亡くなる人まで出始めます。
そして、あまりに出勤(
七月十一日
この日は暁方から
そして、重鎮・源
七月十二日
いよいよ、行成も病気になってきました。
朝から体調が悪かったのに、無理して内裏に行き、天皇からの伝言を伝える為に道長(左大臣)の家へ行くと、道長も体調が悪いので、お見舞いし、また返事を持ち帰った。
行き来の間、身体が暑くて、どんどんボォーっとしてきたので苦しんだが、何回も天皇からお仕事を賜ったので、内裏から帰れなかった。
そこで、辛かったので、
……そして、その日は内裏で宿直しています。
(もういいから、家でゆっくり休んでちょうだい。……と、突っ込みたくなる! )
また、この日、行成の
(ウーン! 強力なサポーターというところでしょうか? )
七月十三日
いよいよ帰宅の時に、惟弘に、
それでも、この日のスケジュール調整に気を配らなければならないようで、
……書類を書く者達が出勤しないので、仕事がはかどらない。
……改元(あまりに不吉なことが続くと、縁起が悪いので年号をかえること)や改銭、そして大赦が進まないこと。
……女房や侍臣が、つまり通常帝の身の回りの世話をしている者達が病気を理由に、天皇のところに参入しない。……
と、日記に書いています。
(だんだん行成さんもヒートアップして怒り出しました! )
他にも、進まない裁判の案件や、……あれやこれやと心配しています。
(おーい! もう、いい加減に休まんと倒れるよ……) と叫びたいとこですが、
七月十四日
とうとう、行成さんはブチ切れます。
右兵衛佐・時方が来て、『内裏には今、来ているものがいません』 と言うので、左大臣・道長に相談し、急ではあるが、然るべき人物を昇殿させ、仕事をしてもらうことになりました。
とにかく、
そして、体調が悪かったとは思えないぐらいに、ガンガンと新人事案を出しました。
その中には、あの清少納言の元夫・
行成さんにとっても、気心が知れた人物だったのかもしれませんね。
「六位であっても、事情を知らない人よりは良い……」
そう言って、身分のあまり高くない則隆も引き上げてもらったようです。
(やはり、非常時にはいろんな事が起こるようですね。……たまに、ラッキーな人もいるようでGOOD! です)
七月十五日
とうとう、どうにも耐え難くなり、行成さんは"官職を辞する"と、道長に手紙を書きますが、当然、拒否されます。
この時は、道長自身もピンチで、『生き永らえるかな……』と、心配されていた程でした。
七月十六日
行成さん、いよいよダウンしました。
家で、惟弘一人に看病してもらっていますが、惟弘も体調が悪いようです。
それでも、惟弘を引き寄せて、
(? ? ? ? ?……随分と、サービスの良いサポーターだ! ビックリしたぜ!!! )
そして、夢の中で何者かに腸を引きずり出され、悶絶します。しかし、そこで年少の時より信仰していた不動尊を念じ、事なきを得ます。
(これは、本当に 『権記』の中の話ですから……、決して、ネタではありません。それにしても、日記って怖いですね、個人情報が後々まで残るのですから……、結構、親近感が湧いて面白いけど! )
そして、この日から、病気が完治するまでの約一ヶ月間、行成さんはやっと仕事を休むのでした。
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