最終話

 咲和子は幼い頃から、手の掛かる子供だった。他人に対して攻撃的なところがある上に、物を盗む癖があった。でも心配して保育園の頃に受けた発達検査では問題なく、むしろ数字では秀でている方だった。親の愛情不足ではと言われて私は勤めていた美容室を辞め、ただひたすらに咲和子に向き合った。それでも、咲和子は少しも変わらなかった。

 小学生の頃には何度となく補導されるようになり、児童精神科に通ってカウンセリングを受け続けた。カウンセラーに「他人への共感能力が著しく欠けている」「悪いことへの心理的ハードルが低い」と言われて、その時も夫婦でできる限りの対応を続けた。夫は転職して、少し給与は下がっても家族と過ごせる時間の多い会社を選んだ。このままだといつか大変なことをしてしまうかもしれないと、そうならない道を夫婦で必死に探った。

 その頃には希和子も産まれていたが、咲和子がそんなだから本当にほったらかしに近かった。話もろくに聞いてやれず、咲和子に比べれば読んでやった絵本の数も半分以下だろう。それでも文句を言わず、寂しさに耐えてくれていた。

 そこまでしても咲和子は変わらず、中学三年の頃、遂に大きな事件を起こした。ホームセンターで万引きして見つかり、近くにあったレンガで店員を何度も殴打して逃げたのだ。

 ほどなくして捕まったが、咲和子は謝罪も反省もせず警官にも暴力を振るった。もう何度となく矯正施設への入所を繰り返していたが何も、少しも変わっていなかった。

 だから私達は、初めての決断をした。これまでは私達が傍で寄り添い更正させると訴えるとともに示談をして、早めに引き取れるよう奔走していた。でもこの時は手を離し、全てを他者に任せることにしたのだ。そして咲和子は、これまでより長く少年院で過ごすことになった。

 ようやく希和子と向き合える時が来たが、その頃には「咲和子の妹」というだけでいじめられるようになっていた。友達の親に「遊んじゃだめ」と言われて、仲間はずれにされることもよくあった。泣きながら家に帰って来た日は一度や二度ではない。それでも咲和子のように荒れることはなく、私達に恨み言をぶつけることもなく育った。成績も優秀で、中学に入る頃には友達にも恵まれ楽しく過ごしていた。

 少年院を出た咲和子はこれまでになく落ち着いていて、美容師になりたいと言った。私達は喜んでその道を受け入れ、本人の望む専門学校へと送り出した。そこでもいろいろあって人より時間は掛かったものの、どうにか卒業して美容師免許も取得した。少年院に入っていたことを知られたくないからと私の店で働きたがった時は戸惑ったが、受け入れた。前向きにがんばる姿に、ようやく私達の愛情が通じたのだと信じていたのに。


 希和子はタブレットの向こうで私達の話を聞き遂げたあと、病衣の襟を整えながら長い息を吐いた。

「私、ほんとはいやだったんだ、お姉ちゃんの移植受けるの。私の中に混じったら私もあんな風になっちゃうんじゃないかって、怖くて」

 切り出された本音に驚き、隣の夫と視線を交わす。そんな素振りは少しも見せなかったから、本当に喜んでいるのだと思っていた。確かにその不安は理解できるが、私達を慮っての強がりではないだろうか。また、この子にばかり我慢をさせてしまう。胸を占める痛みに、少し視線を伏せた。

「だから、別に落ち込んでないよ。非血縁ドナーを探してもらえばいいんだし。それで、もし見つかってうまく行ったら」

 明るい声に視線を上げた先で希和子は目を細め、なんとも言えない薄い笑みを口の端に浮かべた。

「お姉ちゃん、死んだ意味なくなるね」

 冷ややかな嘲笑に、思わず固まる。希和子、と小さく上ずる私の声を、軽やかな笑いが掻き消した。


                             (終)

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ひとでなし 魚崎 依知子 @uosakiichiko

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