第2話
――本当にありがとう、おねえちゃん。
タブレット画面の向こうで、痩せた希和子は何度も咲和子に礼を言った。
希和子の症状は当初医師の説明にあった一般的な経過を頼らず、今もクリーンルームから出られない。でも移植がうまくいけばまた健康になって、学校にも復帰できるし明るい未来を目指せるはずだ。希和子は、これまでたくさん我慢をしてきた。このまま終わらせるわけにはいかない。幸せにならなければいけないのに。
「咲和子、寝てるの? 起きたら、すぐに連絡をしてちょうだい」
病院ロビーの隅で、何度目か分からない留守電に伝言を残す。昨日念押しするように伝えたのに、咲和子は約束の時刻を過ぎても姿を現さなかったのだ。
「……もし怖くなって、したくなくなったのならそれでいいの。あなたに無理強いしていいことじゃない。でもそれでも、とにかく連絡だけはちょうだい」
本当はして欲しくてたまらないが、今は咲和子の意志を尊重する必要がある。怖くてしたくないのなら、怖さを和らげられるよう医師やカウンセラーとの時間を持てばいい。不要だと言ったから頼まなかったが、やはり最初に受けておくべきだった。
「お願いね、咲和子」
祈るように言い添えて通話を終え、長い息を吐く。
もしこのまま、移植を断られたらどうしよう。やっと、ようやく見つかった方法なのに。
ドナー適合の知らせを聞いた日とは違う理由で震える手に、奥歯を噛み締める。思いたくないことが胸を占め始めた時、汗ばむ手の中で携帯が揺れた。表示された夫の名前に、慌てて通話ボタンを押す。夫は咲和子が寝坊しているのかもと、アパートの部屋を訪ねたのだ。
「もしもし、どう?」
切羽詰まった声で尋ねた私に、気配のある無音が応える。
「……どうしたの?」
不安でひそめた声に、長い溜め息が音を荒らした。何があったのだ。いやな予感に、背筋に冷たいものが走る。まさか、また。
「落ち着いて、聞いてくれ。咲和子は……もう、生きてない」
掠れながら告げる声に、目を見開く。薄暗いロビーの景色が、揺れながら色を沈めていく。咲和子が、死んだ?
「今、警察を呼んでる。俺はこちらのことをしてから戻るから、そっちの連絡と……希和子を、頼む」
絞り出すような声で続けた夫に、ゆっくりと目を閉じる。分かった、と答えた声はか細く掠れていた。
咲和子は、昨晩の内に死んでいた。大量の風邪薬を酒で飲み、風呂で溺死していたのだ。自殺だった。小さな座卓の上には一通、私達にあてた遺書が置かれていた。
『私を愛さなかった人達へ
あなた達は昔から希和子のことばかりかわいがって、私のことは少しも大事にしてくれなかった。いつも希和子のことばかり褒めて、私のことは叱るばかりで、最後には見捨てた。もし私が希和子だったら今頃はちゃんと高校を出て、違う仕事について楽しく暮らしてた。あなた達のせいで私の人生は台なしになったし、めちゃくちゃです。今更かわいがっているフリをしたって、なんの意味もない。
私が美容師になったのはお母さんにふくしゅうするためだったけど、この方がもっとふくしゅうになるから、死にます。お父さんもお母さんも希和子も、ずっと大きらいだった。誰が希和子なんか助けるか、バーカ。私が死ねば、少しくらい反省するでしょう。
ひとでなし。大きらい。』
憎しみと恨みのこもる文面に呆然として、すぐには声が出なかった。ゆっくりと視線を向けた先で、沈痛の表情を浮かべた夫が緩く頭を横に振る。
「……どっちが」
呟くように漏らした私を夫は抱き締め、苦しげな息を吐いた。
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