夕日

 自分、夕方は嫌いです。

 だって、後は暗くなるだけでしょ。


「みなさ~ん、こんにちは。おにぎりです」


「パスタです」


「二人合わせて、カロリーオーバーです!」


 ……


 この間がきつい。


 お笑い芸人にとって地方への出張はありがたいけど、知名度の低い自分たちにとっては地雷が多い。

 デパートは子どもが多い。

 目の前で子どもが鼻をほじりながら、


「クッソ、つまんねんだよ!」


 とか平気で言ってくる。

 かなり心がえぐられる。

 俺、40歳にもなって、何やってんだろ。


 家族連れが多いなあ。

 あの人、俺と同い年くらいかな。

 美人の奥さん連れて、子どもが二人かあ。

 幸せ……なんだろうな。


「……って、おにぎりく~ん。ねてんか~い」


 やばい、ネタの最中だった。


「ごめん、パスタくん。ちょっとねてたわ~」


 話は繋がったけど、盛り上がりにかけたステージになってしまった。


「おい、オニヅカ。お前、何してんねん!?」


 相方のパスタくんから、軽くど突かれる。


「掴みが失敗してんだから、後半盛り上げていかんと!」


「すまん。タニオカ。疲れてんのかな?」


「頼むで。今日はもう1回あるんやから」


 結局、2回目もたいして盛り上がらなかった。

 手渡された封筒には、1万円札が1枚入っていた。


 今日、見た家族連れのお父さんの年収は2桁ってことはないよな。

 ちなみに俺は昨年46万円だった。

 バイトをしないと生きていけない。

 今日も、居酒屋の仕事が入っている。


 帰りの大型バンの中は、同じ芸人仲間のいびきで眠れなかった。

 みんな疲れているのに、車で5時間の移動だ。


 西に進む車は夕日に向かって進んでいる。

 その金色の部分にたどり着ければ、きっと何かが始まると子どもの頃からずっと思ってた。

 でも、その明るい場所に辿り着く前に、夜の帳が下りてしまう。


 バンを降り、芸人仲間とシェアしている中古住宅に入っていく。

 家賃は4万円のところを、3つのグループでシェアしているので、1万5000円だ。

 残った5000円は、月末の飲み代に使われるのだ。


「じゃあ、バイト、行ってくるわ」


「おいおい、今日もバイトかよ」


 同じ芸人仲間のスズキが、眠そうに答える。

 彼らは、俺よりは売れている。

 声援だって多かった。


「じゃ、行ってくるわ」


 そう言うと、ぼろぼろになったママチャリに乗る。

 錆び付いて妙に重いペダルをギイギイ鳴らしながら、夜の街へと向かう。

 太陽が沈んだというのに、そこはキラキラと明るかった。


「オニヅカくん、これ3番テーブル」


「は~い!」


 身も心も疲れているけれども、笑顔で接客しなければならない。

 店が始まる前の「今日の目標」を叫ぶやつは、今日はきつかった。


「笑顔でお客様に接客し、誰からも愛される店員になります」


「自分は、いつかお客様に笑顔と元気を届けられる店の店長になります」


 そんなの、どうでも良かった。

 だいたい、アルバイトに「夢もて」ってきついやろ。

 今日は、特にその唱和が嫌だった。


「あれあれ~? オニヅカくん。元気、足りないのと違う?」


 フロアマネジャーが目聡く自分の態度を詰めてくる。


「笑顔だよ~。オニヅカくん。すま~いる」


 時給1100円で、そこまで笑えるかよ。

 これから、5時間、正規職員からは罵倒され、客にも絡まれるのだ。

 よい客が来店することを祈るしかない。


 夜の12時。

 ようやくバイトが終わる。

 トイレのゲロ掃除が2件、けんかの仲裁が1件、客に絡まれること2件。

 まあ、良かった方だろう。


「お疲れした」


「ほ~い、お疲れ!」


 この店は誰も俺が芸人であることを知らない。

 自分も言ってない、というより、言えなかった。


 階段を下り、自転車置き場に向かうと、ママチャリは後ろのタイヤがパンクしたのか、ペチャンコだった。


「マジか……」


 もう歩くのさえ辛い。

 それでも、この自転車は芸人仲間で利用している。

 捨てていきたいのをぐっと堪え、夜の道を引いて歩く。


 夜の道は危険が一杯だ。

 いつもは自転車でそれを避けていたというのに……。

 

 そら、少し向こうに女の子が倒れている。

 大丈夫ですか、なんて声を掛けようものなら、茂みの後ろから怖いお兄さんが出てくるってパターン。

 それに2回引っかかっている俺は、もう騙されない。


 横を通るとき、一応『大丈夫ですか?』と儀礼的に話しかけてみる。

 でも、完全に寝てしまっている。

 どうする、俺。


 騙されてもいいやと思った俺は、その子を起こすことにする。

 このままだと、誰かにお持ち帰り一直線だ。


「もしも~し、ここで寝てたら危ないですよ」


 セクハラにならないか心配しながら、肩を叩いて呼び続ける。

 ようやく気付いた女の子が、


「は、はい……。ありがとうございます」


 と言って、立ち上がった。


「どこまで行くの?」


「あの西小山駅の近くです」


「俺、洗足だから途中まで行こうか? 一人で行けるならここでさよならするけど」


 用心しなければならない。

 けれども、その日はそれしかできなかった。


「あの……。一緒に行ってもらっていいですか」


 ああ~危ないな。

 一緒に行くってパターン。

 それでも、自分は前を歩きながら、警戒されないような話題をふる。

 どうでもいい話で、寝たら忘れるやつだ。


 そうして15分くらい歩いたろうか。

 西小山駅が見えてきた。


「気をつけてね」


 そう言って自分は別れようとすると、


「あ、あの、これお礼です」


 と言って、キットカットの小さな袋を1つ、手渡された。


「じゃあ、おやすみなさい」


 そう言って手を振り、駅の中へ行ってしまった。

 そのキットカットの袋を破り、カットしないでチョコを口の中に放り込む。


あめえ~)


 疲れた身体に甘さが嬉しい。

 緊張も同時に解けて、騙されないかなんて考えた自分が恥ずかしくなる。

 

 俺、今日、芸人やめようと思ってたんだよね。

 もう、俺の太陽は昇らないって、本当は分かってた。

 明日は、明日は、って思って、もう20年が過ぎたんですよ。


 もう限界だろう。


 ただ、口の中のチョコが甘い。

 すると、歩いているうちに、すっとネタがわいてきた。

 女の子を助けようとして、美人局に出会うネタ。

 これを、逆にしてみたらどうだろう。


(これは、いける! いけるでえ)


 そう思うと、早くネタ帳に書きたくて小走りになる。

 タイヤのゴムが外れ、ガラガラと夜の街に響く。


(あの女の子、このネタ、見てくれないかな)


 きっと、明日も今日と変わらないのだろう。

 奇跡も起こらないって、もう分かってる。

 でも、このネタだけはやってみたい。


 赤信号で立ち止まると、その上に小さな星が微かに光っていた。

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パンドラの匣 ちくわ天。 @shinnwjp0888

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