第3話

 戦争が終わって平和だか日常だかが戻ったことになって、俺は貴重な生存者で証言者になった。たまに、学校の先生に言われたガキどもや何かしらの記者が訪ねてくることもある。強制収容所KZをどう生き延びたか、知りたいんだとさ。


 期待通りの話を聞かせてやるさ。飢えと寒さ、殴打と苦痛。恐怖と屈辱。そして、仲間との友情と助け合い。地獄みたいな状況で生き抜くのは、ひとりじゃできないよなって。どいつもこいつも、感動的なお話があると疑ってない。そりゃあ、あったさ。食料や煙草を融通したり、具合の悪い奴を庇ったり。家族や恋人の話で励まし合ったりさ。死んだ奴に託された遺品や遺言のエピソードにもこと欠かない。ノートも記事も簡単に埋まっただろうさ。


 だから──ヨハンのことは、言わなくても良いだろう。俺の命を繋いだのがほかならぬ気持ち悪いホモ野郎だってこと。俺は、自分が告発した相手に救われたってこと。誰も他人を気に懸ける余裕なんてないあの地獄で、こっそり始末するのも簡単なことだっただろうに。

 あいつは俺の命の恩人だ。分かってる。なのに、感謝なんてできない。今になってもあいつのことを考えると怖気おぞけが走る。聞こえの良いきれいごとを並べるたびに、あいつの笑みが、最期に効いた声が言葉が、頭を過ぎって吐きそうになる。


『俺は気持ち悪いホモ野郎だ。でも、あんたはそれ以下の屑になるだろう。命を懸けて助けてやるよ。一生忘れられないように』


 あの陶然とした声。睦言めいた呪詛。あの野郎、いつまで俺を呪う気だ。いつまで俺の頭に居座る気だ。


 寝ても覚めても、食っても飲んでも。何をしても何をしなくても。今の俺があるのはあいつのお陰。息をすることさえ。瞬きするたび、心臓が鼓動を打つたびに思い出させられて思い知らされる。恩人に嫌悪しか抱かない俺は最低の屑野郎だってこと。でも、だって、気持ち悪いのはしかたないじゃないか。


 気持ち悪いホモ野郎。いい加減に俺を自由にしてくれよ。

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生き延びた屑 悠井すみれ @Veilchen

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