夫婦喧嘩

 喧嘩はおよそ感情的なものであるだけに実に不条理である。その最たるものが夫婦喧嘩と言えるかもしれない。犬も食わないという喧嘩を目の当たりにしたのが親戚との寄り合いの席だった。


「おじさん、最近調子はどう?」

 そう声をかけられたのは九十歳に手が届こうかというお爺さん。好々爺を絵に描いたような穏やかな人だ。

「えっ?」

「おじさん、最近調子はどう?」

「ん?」

 訊く方も、ここで引くのもどうにもばつが悪いとあってさらに一段声を張る。

「近頃のね、体の、調子はね、どうですか。」

「なんだって?」

 もうコント。


 そのとき、長く連れ添ったお婆さんがおもむろに口をはさんだ。

「あーダメダメダメダメ。うちのお父さんね、ここんとこめっきり耳が遠くなっちゃってさ、もうほとんど聞こえちゃいないのよ。」

 いくらかあざけるような響きに、それまで仏のようだったお爺さんの形相が突如鬼に変わってこう声を荒げた。

「なに言ってんだ、お前は!」

 和やかな空気は一転張り詰めた。お婆さんの声は取り立てて大きいわけでもないのに、なぜそこだけはっきり聞き取れるのか、それがそもそも不思議でならないのだが、そんな疑問には一切頓着ない。お爺さんの剣幕は続く。

「俺はな、言ってることは全部はっきり聞こえてんだよ。だけどよ、それがどういう意味か分からなくなっちまうんだ。」


 そっちのほうが大ごとじゃない? 相手の言い分を何が何でも否定してしまわなければ気が済まない。夫婦の攻防というものはこうも無益なものかと思い知らされた。

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