天王山

 ゲームでもスポーツでも勝負事には、天王山と呼ばれるような重要な局面が必ずある。それを取りこぼすのはまさに勝利の女神に背を向けられるのと同義。しかし、なかには勝負所を誤ってしまう人もいるようで……。


 突然、背後からドンっと衝撃を受けた。


 ドライブ・レコーダ―が一般に出回る前のことだ。見晴らしのいい交差点で信号待ちをしていた。時刻は午前零時を少し回っている。すぐ後ろに大型のバンが一台停車していることを除けば、辺りに人影はない。信号は思いのほか長く変わらなかった。ふと視線を逸らした瞬間のことだった。


 翌朝、首の付け根に鈍い痛みを感じるようになったものの、このとき特に体に異変は感じられなかった。すぐに相手のドライバーが謝罪に来るものと思っていたが、いくら待っても現れない。体をよじって後ろを振り返ると、自分と同年代くらい男が一人、何事もなかったかのように運転席に座っていた。それで雨がそぼ降る中、いよいよ文句を言いに出ていった。すぐにエンジンを切って窓を下ろさせた。


「あなたがぶつけてきたんだから、まず『すみません』の一言くらいあってしかるべきなんじゃないですか。」


 ところが、男は悪びれるでもなければ、逆ギレするでもない。また突然のことに動転しているようでもない。ただどんよりした顔をこちらに向けて黙っている。


「悪いと思っていないんですか。」


 しびれを切らしてそう切り出したが、やはり口をつぐんだままだった。


 警察が到着するまでの間、うす暗い街灯の下で互いの言い分を話したが、これがまたまるで噛み合わない。男は信号が青で、前を走っていた車が急ブレーキをかけたからやむなく衝突したと言い出す。謝りもしなければ、目撃者もいないと思ってありもしないことを平然と口にする。何度か反論したが、それでもハンでついたように嘘を重ね続けた。腹が立ってきた。だが、取り澄ましてこう言った。


「あなたとどんなに話しても平行線だろう。泥仕合になるだけだから、ここであなたと議論するつもりはありません。」

 

 そうやって一方的に話を打ち切ると、警察が来るまで自分の車で待つことにした。すると、男もおとなしく自分の車へと引き上げていった。

 


 さて、実況見分は翌日の昼に執り行われた。死者が出るような重大事故ではないため、当夜の捜査は現場の状況や被害の程度を確認し、当事者それぞれの言い分を聞き取るにとどまった。いよいよ車の往来を規制して事故を再現する。そのうえで原因を特定し、それぞれの過失の割合を警察が判断する。その場には自分だけでなく、もちろんあの男も立ち会っていた。


(俺に過失などない!)


 ところが、一通り検証が終わりかけたとき、それを取り仕切っていた交通課の警察官がこう訊いてきた。


「こちらの運転手さんがね、事故の原因はあなたが急ブレーキを踏んだことにあるって話しているんですが、そうですか。」


 完全に事実が歪んでいる。


「それはまるでちがいます。赤信号で停車中にあの人が追突してきたんです。走行中にぶつかったならバンパーのへこみがこの程度で済むわけがない。交通鑑識のプロなら、分かりますよね。」


 きっぱりと否定し、冷静にこちらの主張を繰り返した。それを受けて警官は男のほうを向き返って言った。


「こちらの方がそうおっしゃっていますけど、いかがですか。」


 男の言葉を聞いて頭のなかに?が飛び交った。間に入った警官も眉間にしわを寄せて一瞬黙り込んだ。


「あなたとどんなに話しても平行線だろう。泥仕合になるだけだから、ここであなたと議論するつもりはありません。」


 しかもその口調は昨夜の自分を真似たかのようだった。よっぽど気に入ったものと見える。しかし、そうじゃないだろ。


 警官は我に返って、念のためもう一度訊き返した。

 

「そうなると、この事故の原因はこちらの言う通り、赤信号で停車中の車にあなたが誤って追突したということになりますが、それでいいんですね。」


「あなたとどんなに話しても平行線……。」


 んー、なんかモヤモヤする。

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