プロフェッショナル

 今回はいつもと色合いのちがう話にお付き合いください。

 

 太平洋を臨む海岸まで歩いて2分。絶好のロケーションにその合宿研修施設は立っていた。そこへ中3生を連れていって一泊二日の勉強合宿を行うのが夏の恒例だった。そして毎回その料理番を引き受けた。ほぼ40人の胃袋を一度に満すにはカレーだ。


 はじめ本当に料理ができるのかと疑っていた生徒からの評判も上々。調子に乗って日頃からあれこれ研究しだしたが、のめり込めば込むほど時間という壁にぶつかった。


 (一晩、寝かせたい。)

 

 そしてある年、前日に一人前乗りして50人分のカレーを作ることにした。仕事を片付け、施設に到着したときにはすでに午前零時を回っていた。すぐさま調理に取り掛かり、終わってようやく横になったのが3時。いつも狭苦しいところに寝ているから、キッチンと隣り合う20畳ほどの広間の真ん中に布団を敷いた。クタクタだったが、どうにも寝つけない。


 すると、そのとき部屋の外で奇妙な音がした。玄関あたりだ。何かの重みで床がきしむ音。聞き違いかと思ったが、また聞こえた。それが玄関からキッチンへと続く廊下をゆっくりと移動していく。


 (誰か忍び込んだか。いや、そんなことは絶対にない。施錠は抜かりなくした。)


 あれこれ考えている間も例の音は片時も休まない。極めてゆっくりではあるが、一定の間隔を刻んで鳴る。何かを警戒したり、物色したり、そういう気配を一切感じさせることなく、まっすぐにこっちを目指してくるような気さえした。そしてついに部屋の中へ入り込んできた。


 部屋に通じる二つのドアは冷房の効果を高めるためにきっちりと閉めた。ところが、ドアをすり抜けてその音は中に入ってきた。オレンジ色の常夜灯に室内はぼんやりと照らされていたが、もう怖くて目を開けられない。寝ているふりを通すしかなかった。


 床がきしむ音は自分にさらに迫ってきて、足の先で一旦ぴたりと止まった。目はつむっているが、全身に見られているような強い視線を感じた。


 (お願いだから、もうどこかへ行ってくれ。)


 心の中で願っていたが、それもむなしかった。反時計回りに仰向けに寝ていた自分の周りを廻り始めた。


 ミシッ…… ミシッ…… ミシッ…… ミシッ…… ミシッ……


 急に頭の横で音はまた止んだ。どうやらそこにしゃがみこんで上から自分の顔を覗き込んでいるようだった。これ以上の恐怖はない。ところが、そこでふっと意識が途絶え、再び目をけたときにはもう朝を迎えていた。



 十年が経ったころ、あの合宿所の近くに暮らしている人と偶然話す機会があった。とても気さくな人で話が弾んだ。それであの夜の出来事を冗談交じりに話してみた。大概の場合、まともに取り合ってはくれないのだが、彼は顔色一つ変えなかった。


「そういうことがあっても何の不思議もないですよ。」

 

 かえって自分が不審な顔を向けると、


「知らないんですか、昔あそこが何だったか。」


「ええ。」




「結核の療養所だったんです。」


 そのとき急に合点がいった。あれは亡くなってなお職務を果たそうとする看護師さんではなかったかと。



 

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