第3話

「ヨハンナ・クリーブランド、またお前か」


 バティスタ国家憲兵隊大佐、ヘナロ・モンタルボは包帯とパッチまみれのヨハンナに対し、心底ウンザリした表情を投げかける。昨日今日とでテロ未遂が八件、実行された大きなテロが二件、そしてその二つにこの旅行者が絡んでいて、しかも解決までしてしまっているのだから、国家憲兵隊の面目丸潰れ。ウンザリした顔になるのも致し方ないという物ではある。が、それ以上に気が滅入っているのはヨハンナの方であった。バカンスに来たというのに、二日連続でテロの被害にあっているのだから無理からぬ話である。


「好きでこんな目に遭ってる訳じゃあ無いよ。アンタらがもうちっとシッカリしてりゃ済んだ話じゃないか?」


 恰幅の良いモンタルボの顔に目も向けずにヨハンナは言い放つ。政府高官とバティスタを支援する企業役員の会談の為にホテル周辺の警備は通常の三倍だったが、それでもテロリストは警備をすり抜けてホテルのエントランスで車爆弾を起爆させた。そのうえ数十人の武装した人員での襲撃までやってのけたのだから、警備体制の不備を疑うヨハンナの指摘も尤もではあった。しかしそれを認めてしまうのは、国家憲兵が外国人観光客一人に劣っていると認める様なもので、モンタルボにとって、国家憲兵という組織そのものにとって認め難い物であった。とは言え、この瓦礫と死体にまみれたエントランスを見渡せば、テロリスト達の最終目的の達成は失敗しているが、テロ攻撃そのものは成功しており、市民百数名の死傷者を出し、バティスタ政府にとって特別重要な政府高官と企業役員を危険に曝した責任を警備責任者の誰かが問われるのは間違いない事である。そしてそれは救急隊の手当てを受けている、金髪狐耳の異邦人に擦り付けられる物でない事もまた、確かであった。


「くそっ」


 モンタルボはヨハンナの指摘――若しくは嫌味――を無視して小さく罵り、ヨハンナ達がテロリストの一員で、裏で何か示し合わせていたのではないか。等とあらぬ勘繰りを口にしそうになったが、当然その証拠も根拠も無く、最も楽な答えに逃避しようとする自身の願望である事を悟り、再び小さく悪態をついた。


「モンタルボ大佐!」


 そこにスーツ姿の男が近寄ってくる。仕立ては良いがテロに巻き込まれたとあってスーツは酷く草臥れていたが、モンタルボはその男の顔を見るなり電気に打たれたように背筋を伸ばし、男の名を呼んで敬礼をした。男の名前はアルフォンソ・バレンシア。バティスタ共和国の内務次官で、ホテルには今日の午後十八時に開催される予定であった晩餐会の為に訪れていた。しかしそこをテロリストに襲われ、危うく「革命の為に」殺される所であったのだ。


「バレンシア内務次官殿、お怪我などはありませんでしたか」


「私の事は良い、君は仕事があるだろう。それを片付けたまえ。私は彼女達に用があるんだ」


 この女に用だと。モンタルボはヨハンナを一瞥し、この女はもう次官に取り入ったのかなどと勘繰りつつ、バレンシアに促された通り自身の仕事を片付ける為その場を後にした。ヨハンナの耳は去り際に小さく「女狐め」とモンタルボが呟くのを聞き逃さず、口には出さなかったが「その通りだ」と立ち去る背に投げ掛けた。


「嫌な奴だろう。アレで憲兵隊長としては優秀なのだからタチが悪い」


「まったく。ああいう手合いは慣れちゃいるが、だからって相手してて気持ちいい物じゃない」


 バレンシアはヨハンナの言に苦笑し、肯定した。


「君の要望は通したよ。少し強引だが、なに、二度もテロを鎮圧した人民の英雄なら誰だって文句は言うまい」


 ヨハンナが次官に出した要望とは、まず煩わしい事情聴取を含む身柄の拘束の免除が第一。第二にテロを受け、ハバナ一帯の主要幹線道路は反政府勢力一掃の為に封鎖される為、封鎖区域外への通行の許可だった。これらの要望は欧米などの先進諸国では余程の事でもない限り通る筈も無いのだが、それが政府高官の一声で通ってしまう。それがバティスタの政治権力という物の在り方を如実に表していた。

 ヨハンナはもうハバナに居るつもりは無かった。ハバナ・ヒルトンはこの有様では宿泊できず、反政府勢力狩りで市内は満足に行き来できず、下手をすればそれに巻き込まれかねない。そうなると最早バカンスなどと言っていられず――普通の神経ならこの時点で帰国しようと思うが――ならば当初の目的地であるバラデロに向かい、ハバナの出来事はさっぱり忘れてしまおうと考えていた。

 ヨハンナも流石に自分の見通しが甘かったと反省していた。バティスタで反政府勢力が度々武力闘争に興じているという事は耳にしていたが、渡航禁止令が出るほどでは無かったので大した事では無かろうと侮り、ハワイやグアムを差し置いて今回のバカンスの目的地に選んだ訳であるが、まさかここまで苛烈であったとは思いもしなかったのだ。


「通行許可証と、その他手続きは急ぎで進めさせるよう釘は刺したが、早くて明日の朝だろう。それまで待ってもらうが、それは仕方ないと思ってくれ」


「それは仕方ない、お役所ってのは何処も変わらんからな。アメリカだって今日中とはいかんだろう」


 ヨハンナは血の滲む包帯を痒そうに弄りながら鼻を鳴らす。どれだけ位の高い者からの最優先の指示であったとしても、お役所仕事である以上は書類の用意や手続きが存在し、それらの担当部署へと盥回しにされ、各部署の長のサインやハンコを頂いてようやく承認を得る事になるのだ。寧ろ翌日に用意できるのならばそれはかなり迅速な部類に該当する。

 しかし困ったのは今夜の宿である。ハバナ・ヒルトンに宿泊が出来ないのは先述の通りであるし、準ずる格式の高級ホテルは他にもあるにはあるが、時刻は午後二時を回り、諸々終えて部屋を探す頃には夜間外出禁止令が発令されてホテルも戸締りをしてしまうだろう。だからといってそんな中でも門戸を開けて営業している様な安宿に泊まろう物なら、反政府勢力狩りに躍起になった憲兵やら警備員やらが、ろくに確認もせずに扉を蹴破って来ないとも限らない。そうなるとバティスタ旅行三度目の厄介事に、ヨハンナは特大の癇癪を起こし、憲兵や警備員相手に血と硝煙塗れの大立ち回りを演じてしまうだろう事は想像に難くない。ヨハンナ自身、今の状況ではそれをしないと言い切る自身が無かった。

 ふと気づくとバレンシアは去っており、何もかもが面倒くさいといった具合の仏頂面をするヨハンナの前に見覚えのある影が立っていた。クリームがかった白色に赤色の徽章の軍服、甘いマスクと聴く者に好印象を与える声。大統領親衛隊のドロテオ・アバスガル大佐だった。


「やぁ、散々だったね」


「本当だよ、どうなってるんだこの国は」


「ここまで大規模なのが頻発するのは初めてだ。何か大きな動きが有るかもしれない。来る時期が悪かったとしか」


「ああもう、自分でも運が悪いと思ってたがここまでとは」


 思い返せばことバカンスや休暇、楽な仕事であっても必ず面倒事が舞い込んで結果的に大事に発展する。ただの三下テロ屋狩りかと思えば世界を揺るがす大規模テロの発端だったり、雇われ相手の簡単な襲撃かと思えば正規軍が大挙して出張って来たりと散々な目にしか遭っていない。とは言え死に繋がる致命的な事態にまで至った事はこれまで一度しかなく、冬のホッカイドーで左眼と右腕を失った程度であった。その時も右腕を失った代わりにサキ・イライアスという「右腕」を得る事が出来た訳で、悪運だけは良かった事も自覚している。不幸中の幸いという言葉があるが、不幸の中の僅かな幸を拾うだけではいつまで経っても本当の幸運を得る事が出来ないではないか。ましてこうも不幸が頻発していたら猶更である。好き好んで傭兵等と言う阿漕な商売をしているのだから、その報いと言われれば納得のしようもあるのだが、いったい何処の誰が裁きを下すというのだろうか。もし全能なる神が裁きを下すというのならば、そんな下らない野郎は眉間に鉛弾をプレゼントしてやる。ヨハンナは常々そう思っていた。

 しかし実在するかもわからぬ神に対して文句を垂れた所で、今晩の寝床が用意される訳でも無く、夢想に浸っていても宿無しの現実は変わらない。現実世界を支配し、この世の神羅万象を司る物というのは結局の所自らの行いと、それらに付随する複数の事象から生ずる結果でしかないのだ。人の幸や不幸を司る神や悪魔が本当に居るとするのなら、文句を投げたり殴り倒して鬱憤を晴らす相手がいる分、そちらの方が物事はより単純だっただろう。

 ヨハンナは神を信じていない。勿論、自身より高位の存在を見出し、自己研鑽の為の一種の指標として設定する事を批判などしないし、宗教の教えに準じて日々の生活に幸福を見出すのも良いだろう。だが、互いに同じ神の名を騙り殺し合い、神の教えを説きながら神の教えに背く所業を繰り返す者共が跋扈し、救いなど何処にも存在しない神無き大地を渡り歩いたヨハンナとしては、神だとか悪魔であるとか、そういった類の物など所詮は夢想家の戯言に過ぎないのだと、そう思ってしまうのだ。もし神が存在し、この世に介在できる力を有すのならば、人類が神という物に縋り始めてから数千年、一度ぐらいは神の恵みがあっても良いものだが、そうと記される物は歴史書の何処を引いても存在しない。力を有しながら試練を与えるだけ与えて高みの見物決め込むだけの存在ならば、趣味が悪いにも程がある。


「それで、アンタは何で此処に?」


「午前中に約束があっただろう?本当は部下をやろうと思ったんだけど、この有様だから、現場も見たいし、直接私が来たという訳だ」


「で、あわよくばまた勧誘しようって?」


「まさか。残念だけどそれは許されなくなってね。調書を取るのも横槍が入ってお流れさ」


「見えないな、それなら此処に来る理由も無いだろ。テロの現場を見たいだけで、仕事をほったらかしにするのは良くないんじゃないのか」


 ドロテオは暫し考えるふりをして周囲を見回し、ヨハンナに向き直って笑みを浮かべる。


「君が、君達が今夜の宿に困ってないかと、そう思ってね」


 予想外の答えだった。つまりドロテオはヨハンナ達の為に今晩の寝床を用意してくれるというのだ。このホテルを手配した時と言い、此処までの気の使い様は寧ろ不気味ですらある。そもそも今夜の宿に困っているなどと一度も口にしてはいないのだ。置かれている立場や状況からある程度は察する事は出来るが、それでも心の内を見透かされている様でどうにも気持ちが悪い。

 しかし安宿泊まりか下手をすれば野宿という状況を打開出来る良い知らせが舞い込んできたのだから、素直にご高配に預かるのが正解だろう。そこまで考えた所でヨハンナの勘が何かを告げる。泊まれるホテルも無いのにいったい何処に泊めようというのか。


「なんだ、別の宿を取ってくれるってか。ありがたい話だが、何処のホテルに?」


「残念だがホテルじゃないんだ。真っ当なホテルは既に内務省が抑えててチェックイン前と新規の客はシャットアウト、旧市街や下町の安宿は今晩中に国家憲兵と例の警備会社の手入れが入る。その点は軍も了承済みでね、私の権限でもねじ込めなかった。それに昨日の今日ではね」


 ヨハンナの背筋に嫌な汗が伝う。ホテルでは無いならいったい何処だというのだ。よもやまた汗と垢の沁み込んだ窮屈な監房に押し込まれ、そこで一晩過ごせと言うのではなかろうか。いかに軽傷とは言え全身を満遍なく負傷した身をそんな不衛生な環境に置いてしまっては、治る物も治らないという物で、下手をすれば悪化してしまう。なにより精神衛生上の影響が非常に悪い。それを避ける為に内務次官に無理を言わせたのだが、別の方向から檻に入れられる話を振られてはどうしようもない。軍と内務省を統べるのは大統領であるのは同じだが、横の繋がりは無に等しく、互いに便宜を図り合ったりするような組織では無かった。ヨハンナはあの気の良い内務次官に宿の手配も頼むのを失念しており、それを今更ながら反省した。


「じゃ何処に、まさか檻の中で一晩なんて言うんじゃなかろうな」


「ハハ、大丈夫だ、安心すると良い。君達の今晩の宿はなんと、要塞だ」


「…ハァ?」




 ハバナ港へと繋がる運河を挟んだ旧市街の対岸、カバーニャ要塞の傍に今晩の宿はあった。バティスタ陸軍カバーニャ基地、軍事博物館も併設されているこの基地は、以前は革命軍省直轄の特殊部隊駐屯地であったが、現在は大統領親衛隊本部が置かれ、革命軍特殊部隊が担っていた任務を引き継いだ精強なる部隊が屯していた。さらにその敷地の一部は例の警備会社の部隊駐屯地として貸し出されていた。

 カバーニャ要塞とは16世紀中期から18世紀中期までに建造されたハバナ防衛用の要塞群の一つで、運河沿いに合計で四つ建造されている。それらはかのイギリスのヘンリー・モーガン率いる私掠船団すら跳ね除けた輝かしき歴史を持ち、その歴史的価値から要塞群は世界遺産に登録され、内部は博物館として運営されている。そんな由緒正しい要塞の傍に居を構える大統領親衛隊は、まさしくハバナ、ひいてはバティスタ共和国大統領の守護者として最適な居城を得ていた。基地はよく整備された高速道路沿いにあり、海底トンネルを通りハバナ旧市街へと即時に展開可能で、国軍の中でもよく訓練され質の良い装備も優先的に配備される彼らは、堀と石垣ではなく、屈強な肉体と精神力で武装されたハバナ第五の要塞と言って良いだろう。

 今晩の宿はそんな国防の要たる精鋭たちの膝元、と言うより腹の中であり、此処にさえいれば安心安全だというのは確かに納得は出来る。しかし屈強な軍人の巣ともなれば、些か汗と男の匂いが強すぎるのではないかとヨハンナは思案する。確かに拘置所の檻の中よりは幾分かマシではあっても熟睡するには難儀しそうであった。ベッドも良くは無いだろうし、気の利いたルームサービスが供される事も無いだろう。

 軍人の男女比率は年々拮抗しつつあるとはいえ、こと実戦部隊、中でも精鋭たる特殊部隊ともなれば男性隊員が大半を占めるのは当然の事である。これに関しては男女差別であるとかジェンダーだとか、そういった問題ではなく、単純に生物学的な性差による筋肉量や体力の違いが原因で、こればっかりは覆しようが無い。大統領親衛隊にも女性兵士は存在するが、数は少なく、男性兵士と隊舎は共通であるから、体臭に気を付け制汗剤の匂いで満たされた、多少過ごし易い部屋を期待するのは無駄という物だった。

 アメリカや欧州の様な先進国であれば特殊部隊などには強化歩兵装備が支給され、女性兵士であっても男性兵士と同等のパフォーマンスを発揮する事は可能であるので、そうした先進国軍の男女比率はほぼ拮抗しており、女性兵士のプライベートに配慮した隊舎はもはや常識である。しかし残念な事に此処はカリブ海に浮かぶ島国で、それも20年は時代に後れを取っている国であるから、そのようなを配慮がなされる事はまず無いと言って良かった。


「夕食は兵卒メニューか、将校メニューのどっちかな。昼も抜きだったから腹は減ってるが、量だけじゃあね」


 ヨハンナは車窓からカリブの海に沈みゆく太陽を見ながら呟いた。海底トンネルに下っていくと、太陽よりも早く自分達の視界の方が地面の下、もとい水平線より下へと沈んだ。正直なところヨハンナは食えるのならば何でも良かったが、サキは食事にうるさいので其方を気にしていた。それに折角のバカンス中だというのに、仕事中に食すような食事ではただでさえ落ち込んでいる気分が恐ろしい速度で下降してしまう。ヨハンナは今は傭兵である事を忘れ観光客に徹し、バカンス気分を少しでも味わおうと必死であった。


「勿論君達は客分だから、将校メニューだ。味は私が保証するよ」


 ルームミラーでヨハンナとサキの顔を見ながらドロテオが答える。ヨハンナもルームミラー越しにドロテオの上機嫌な顔を捉えるが、反面、この軍用車を運転する運転手の眉がやや吊り上がるのを見た。運転手は下士官でそれなりに長い軍隊生活を送ってはいるが、その中で将校メニューを口にした事は一度も無かった。それを唯の観光客にこうも簡単に供するのだから、食用可能な最低限度の味の兵卒メニューを長年食し続け、軍と国家に奉公を続けている身になってみれば、このヨハンナ達の待遇が不興を買うのは無理からぬ話ではある。

 それがどうした、私達は内務次官殿をお救いした英雄であるぞ。運転手の不機嫌な顔もどこ吹く風、さも当然といった風にヨハンナは鼻を鳴らした。


 車が海底トンネルを抜け、強烈な夕陽を浴びてヨハンナは思わず目を細める。バティスタに来てからというもの上等な酒を片手に葉巻を燻らせ、優雅な気分で夕陽を浴びた例がない。このバカンスの不満点は挙げれば数え切れぬ程だが、それが一番の不満点であった。何と言っても旅の目的の3割を占めているのが夕日を浴びてのディナーなのだから、未だに達成できていないのが酷く不愉快で仕方なかったのだ。

 明日になれば、バラデロのビーチに行けばそんな不愉快さも消え、当初の予定通りに優雅なバカンスを楽しめるのか。またトラブルに巻き込まれるのではないか。思考の片隅に一抹の不安を抱えるヨハンナを乗せた車は基地のゲートをくぐり、衛兵詰め所前で一時停止した。衛兵が駆け寄って窓をノックし身分証の提示を求めると、助手席のドロテオは人懐っこい笑みを浮かべて衛兵を労いながら身分証を差し出す。衛兵はそれを一瞥すると後部座席の見慣れぬ亜人種の女二人に視線を向けるが、ドロテオはそれを手で制し、気にしないように身振りで示した。

 なるほど、ドロテオはこの城の王か。衛兵に対する所作と衛兵が返す反応からヨハンナはドロテオが単純に階級や職分ではない、それらとは違う、規則を多少逸脱できる程度の権力を握っている事を悟った。


「随分とチェックが緩いな」


「ここは私の城だからな、多少は私の勝手が利くんだ。勿論、国家に不利益をもたらさない程度だがね」


 精鋭の巣とあって警備は厳しく、空港で見た様なヨレヨレの作業服の兵とは違い、アイロンがけのされた迷彩服と各種装具類に身を包み、比較的新しい火器で武装した兵が歩き回っている。そんな基地を私物化できるのであるからその権力たるや相当な物だ。車は司令部前に停まり、正面扉前で待機していた兵たちがまるで一級ホテルのドアマンの様にドアを開けて出迎えた。ドロテオが普段どのような待遇で仕事をしているのかは知らないが、この様子を見るに本当に王侯か貴族、そうでなくとも武将のような生活を送っているに違いない。従卒を従え、執務室には美人の秘書が何人もついて、顎で示すだけで熱いコーヒーかブランデーが出てくるのだろう。ヨハンナは一瞬羨ましく思うが、優雅な暮らしと引き換えにデスクに縛り付けられるような退屈は御免被りたかった。

 荷物は出迎えの兵たちが運び出すのでヨハンナとサキは手持無沙汰であった。この兵たちも他と同様軍服に身を包んではいるが、実質ドロテオの私兵か従卒なのかもしれない。ヨハンナは好奇心が強く刺激され、ついこの兵士かドロテオに直接聞いてみたくなるが、好奇心猫を殺すとか、藪を突いて蛇を出すという言葉もある。要らぬトラブルを増やすのはやめておこうと、普段見慣れない軍隊の基地をおのぼりの観光客よろしく周囲を見回すに留めた。

 そのとき、ヨハンナ達の横を複数台のMRAPとSUVが通り抜ける。ダークグレーに塗装された車両は国軍のそれとは違い、車体に小さくプリントされたエンブレムが自身を警備会社であると主張している。その特徴的な翼を広げた猛禽の紋章はイタリア・ミラノに本社を置くS.S.G社――スパルヴィエロ・セキュリティ・グループ――の物だった。地中海沿岸とカリブ海沿岸地域を主な活動範囲とするその企業はカリブ海に浮かぶバティスタ共和国との契約を取り付け、風体は違えどもイタリアと同じ古き良き町並みを残すこの街でも活動していた。

 警備会社とは言うが実際には建前のそれで、実態は民間軍事会社、PMCsという物で、平たく言えば法人化された傭兵派遣業者である。以前は法的な締め付けが強固で、警備会社としての性質が強かった業界であるが、大戦終結以降の軍縮と地域紛争の激化により手軽な戦力の需要は激増。結果として直接戦闘介入を行う旧来の民間軍事会社が息を吹き返すに至った。

 最後尾のSUVが通り過ぎる際、後部座席に座る男とヨハンナの目が合う。グレーの瞳、髭を蓄えたその男の顔は昨日市街で見た物と同じだった。昨日より近くであった事もあり、通り過ぎるその一瞬であったが男の表情がよく見え、男はじっとヨハンナを訝しむ様に睨んでいた。


「私は何か、アイツらに悪い事をしたかな」


「何が」


 遠くに見える要塞を眺めていたサキはヨハンナの問い掛けに車列を一瞥し、興味無さそうに視線を要塞へと戻す。陽は半分沈み、要塞の石壁を真っ赤に染め上げている。


「いや、あの警備員連中の一人に睨まれたもんだから」


「軍隊の基地にどう見たって一般人の女二人。おかしいと思わない筈がない。それに…」


 勝手を許されるドロテオが贔屓にする女か。確かにそうだ、昨日と同じ時間帯に車に同乗していた所を見れば何かあらぬ事を勘ぐるのは納得のいく話だ。見る者が見ればある種の「サービス業」とでも思うかもしれない。ヨハンナもサキも他人を誘惑する様な艶めかしい恰好などしていないつもりではあったが、相手が何を思おうが勝手であり、例えスーツを着込んでいようがそう解釈しようと思えばそうなる訳で、どうしようもない話だ。


「それより夕食だよ。私お腹が空いてて」


「私もだ、入ろう。明日ブツが来るまで要塞見学でもしようか」


 走り去る車列を見送り、ヨハンナとサキはドロテオに続いて司令部建屋に入っていった。




「司令部前に居た、アレがそうですか」


 SUVの後部座席で野球帽を被ったPMCオペレーターが灰色の瞳の男に聞く。男は窓の外を眺めたまま呻き、それを肯定として返す。


「何者なんですかね、親衛隊大佐大統領の腰巾着と一緒で。ホテルの事件を始末したそうじゃないですか。聞けば昨日のハイジャック事件もアレが解決したそうですよ」


「知ってることを一々言わなくていい。アレが誰だろうと知った事じゃない。それより任務だ。ストリクスより各員、ラジオチェック」


《こちらイーグル、感度良好》

《ホーク、感度よし》


 イヤーピースが他の車両に分乗した仲間の声を届け、髭を撫でながら男は胸元の通話スイッチを押した。


「よし、もう一度確認だ。俺達の目的は旧市街に潜伏していると思われる反政府勢力の捜索と掃討だ。旧市街外縁は国軍が抑えてる。各自作戦区域の割り当てを確認しておけ」


「国軍が網を張って、俺達は狩りに専念って訳だ。奴らがヘマをしなきゃあ一網打尽だな」


 野球帽のオペレーターが気楽そうに呟いてカラカラと笑い、抱えたカービンのスリングを調整する。


「武装し抵抗する者は排除。非武装でも此方の指示に従わない、抵抗する者も同様だ。作戦計画書は大統領閣下のサイン入り、お墨付きだ。自由射撃許可オールウェポンズフリーだ、派手にやるぞ」 


 車列は海底トンネルを抜け、国軍の検問を素通りして旧市街へと侵入した。陽は水平線の向こうへと沈み、夜の闇が街を包み始めていた。


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