第8話 visita sorpresa

 マタンサス市内の安ホテル、ヨハンナはシャワーの音を聞きながら入手した物資の数々を選別し、検分していた。あれから数日、方々を巡って入手した武器弾薬は殆どが錆びや腐食が酷く、とても使用に耐える物ではなかった。使い道と言えば分解して部品取りが精々といった所だろう。その品質の悪さたるや、行動初日に入手したスプリングフィールドのボルトアクションや、カービンが高級品に見える程であった。


「空いたよ、ハンナも浴びたら」


 シャワーを上がったサキがラフな格好のまま現れベッドに腰掛け、ヨハンナはそれを目で追う。その透き通る様な白い肌はシャワーを浴びた直後とあって光沢を帯び、しかし湿度の高い気候にあってもその肌はサラサラとした清涼感を保っていた。

 窓から差し込む陽光に照らされる銀髪をタオルで拭い、水滴が首筋から胸元へと伝ってその豊かさを象徴する谷間へと落ちていくのを見届けると、ヨハンナはサキに呆れた様な視線を向けられている事に気付く。だがヨハンナは悪びれもせずに助平な笑みを浮かべると、視線をテーブルに戻して作業を続けた。

 キャミソールの薄い布地の下にある地肌など、その眼で眺めるだけでなく幾度も身体を重ねて肌で感じてきたというのに、よく飽きもせずに思春期の少年の様な視線を向けられる物だ。ヨハンナの視線を浴びる度にサキはそう思った。サキは自身の体型が一般的に魅力的である事は理解はしていたが、それを外に向けてアピールしよう等と思った事は一度も無く、自身に対しその手の欲に満ちた視線と感情を向けて良いのはヨハンナだけだと断ずる程であった。

 サキのヨハンナとの関係は長く、共に連れ添うのが当たり前の事と思い、初々しい、所謂「好意」なる感情は一々意識はしていなかった。しかし、時折自分はどうしてこの女を好いたのか不思議に思う事があった。今回の様に世の理に反し、自らの暴力性にのみ従って行動する、謂わばある種の精神病質者の脇に立ち続けるのか。頭では間違っていると理解していても、どうしてかこの女と共に歩もうという気になってしまう。これが惚れた弱みとでも言うのだろうか。サキは一瞬顔を顰め、ヨハンナの無意識に揺れ動く両耳を目で追った。


「今日の予定は」


「これを見ろ」


 サキの問いにヨハンナは手を止め、携帯電話のタッチパネルを操作して内蔵された立体映像投影装置ホログラムプロジェクターを起動した。マタンサス近郊の地図が宙に映し出され、市街地や近郊の農場や工場など、ゲリラの隠し武器庫や隠れ家などがマークされている。その殆どが印をされ、既にヨハンナ達によって捜索・襲撃済みである事を示していた。

 そしてこの数日間、ヨハンナはサキを伴い武器貯蔵庫を襲撃しただけでなく、国家憲兵隊にゲリラの隠れ家を「匿名」で密告して憲兵隊をけしかけ、その突入の一部始終を影で見張っていた。それは隠れ家に関する情報の真偽を確かめる為で、憲兵隊を利用したのは隠れ家の場所は記されていても内部に詰める詳細な人数や武装状況が把握できていない故で、加えて罠が仕掛けられていた場合、隠れ家ごと吹き飛ばされるような羽目に陥るのを避ける為であった。

 結果から言えば情報は全て正しかった。憲兵隊が突入した六軒の隠れ家には武装したゲリラが四、五人ほどが常駐しており、更には武器弾薬、破壊工作を行う為の資材や通信機器が隠匿されていた。彼らは全員憲兵隊に捕縛されるか射殺されており、マタンサス近郊の反政府勢力は手痛い損害を被った事であろう。そして残された隠れ家に潜むゲリラ達はこの異常事態を警戒し、下手をすれば隠れ家を引き払って雲隠れするであろうが、そうする前にヨハンナは隠れ家に対して強襲を仕掛けるつもりであった。

 標的となった隠れ家は街の南西、セントラル・デ・キューバ高速道のジャンクションにほど近い民家で、車通りが多く人目に付きやすいがアクセスし易く、侵入と離脱が容易で逃走時には行き交う多数の車に紛れる事が可能であるため、手始めに此処を襲撃する事にした。


「プランは簡単で単純だ。車で乗り付け、ドアを蹴破り、掃討して頂くモンを頂いたらさっさと離脱する。簡単だろ」


「言うは易しだよ、警察が動いたら厄介だよ」


「考えてるよ、街の反対方向で幾つかハズレの武器庫があっただろ。あそこを隠れ家って体で密告する。これまでで奴らも交戦は想定してるから、それなりの装備と人数を投入するだろう。それでこっちに割く人数を分散させる」


 数日間の盗人働きと偵察活動で得た情報から、所轄の警察と憲兵隊が隠れ家へ襲撃を仕掛ける際に投入する人数や装備、車両検問の位置に警察車両の車種などは特定済みであり、ヨハンナ達が襲撃を仕掛けても離脱できる程度の時間を稼ぐ手筈は整っていた。

 こちらが襲撃を駆ける際の装備は充分とは言い難いが、最低限必要なものは揃っており整備も可能な限りしてある。装備や機材に関しては欲を出せばキリがなく、あらゆる高品質機材を取り揃え、24時間356日世界中どこにでも配達してくれる魔法の武器商人など居る筈も無い。それ故に現在手元にあるカードで勝負を仕掛けるしかないのだ。


「接近戦になる。武器はサブマシンガンと拳銃でいいだろ」


「それで良いんじゃない。手榴弾とか、爆薬は無し?」


「無しだ。そこまで時間かけられんし、もし弾薬だのに誘爆したら目も当てられないからな。ドアを破るのには大型ハンマーを使う。決行は今夜、陽が落ちてから…と行きたいが、いつゲリラ共が逃げ出すか分からん。シャワー浴びたらすぐに出よう」


 手早くM1カービンのレシーバーグループをストックに嵌め込み、ハンドガードをフロントバンドで固定すると、ヨハンナは軽く伸びをして席を立ち、バスルームへと向かって行った。本人曰く育ちはそれなりに良いとの事だが、着ている物を脱ぎ捨てて行く様を端から見ればとてもそうは思えない。

 筋肉の凹凸で肌に陰影が出来る程度に鍛えられている身体には、銃創や切創など過去の負傷による傷跡が刻まれ、その内の幾つかはつい最近できた物だった。その如何にも荒くれ者の典型と言った見た目から、例え本人の口から上流階級の出であると言われようとも些か疑わしく感じてしまう。しかし流暢なオックスブリッジ・アクセントは上流階級のそれで、英国貴族出身者や、かつては旧英連邦諸国の有力者に気に入られるには大いに役立っていた。


 ヨハンナがシャワーを浴びている内にサキは着替えを済ませ、ダッフルバッグに武器弾薬を詰めて出立準備を完了させる。隠れ家から物資を回収する為に予備のバッグも小さく折りたたんで収納してあり、抜かりは無かった。そこにシャワーを済ませたヨハンナが現れる。


「ちょっと!」


 一糸纏わぬ姿で恥じらいもせず部屋を闊歩し、水のボトルを呷るヨハンナにサキが苦言を呈する。しかし当のヨハンナはどこ吹く風、普段から見ているのだから良いだろうと聞く耳を持たない。主張こそしないが存在感のある筋肉を備えた体躯、鍛え過ぎのそれとは違い輪郭はやや丸みを帯び、ハリのある肌は必要十分な筋肉の上に、健康的な脂肪を備えた証拠であった。そして過剰なまでのボリュームを誇る一部分は凶悪と言うより他にない。逞しさと色気を両立させ、バランス良く纏まっている身体に、サキは呆れつつも思わず見惚れてしまう。


「何見てんだ、支度は出来たのか」


「ハンナが見せつけるから。支度は済んでるよ」


「見せてねえって、サキちゃんは助平だなぁ」


「うるさいよ。早く着替えて、急ぐんじゃないの」


 仁王立ちで裸体を見せつけるよう向き直るヨハンナに、サキは眉間に皺を寄せながら着替えを投げつける。身体は良いのにどうして中身はこうなのか。色気の欠片も無いその振る舞いに、サキは先程までヨハンナの肢体に見惚れていた自分を恥じた。




「大佐」


 少佐の階級章を着けた士官がドロテオのデスクに書類の束を差し出す。内容はここ数日間の国内における憲兵隊や国家警察の無線通信や行動に関する記録であり、その内容には無許可の通信傍受や盗聴など、違法に調査した物も含まれていた。


「マタンサス近郊で憲兵隊がゲリラの隠れ家を強襲、多数の容疑者を検挙しています。どれも『疑いのある者』ではなく、隠れ家に貯蔵されていた武器弾薬類から『当たり』である事が確認されています」


「なるほど?」ドロテオは士官の報告にパソコンのディスプレイに向けていた顔を上げ、士官の方を向く。


「それはまた珍しい。あの憲兵隊が。モンタルボの奴、ハバナ州知事を目指してたが遠のいたな。このままだとバレリオがこっちに返り咲いて奴のポストを奪うぞ」


 ドロテオは鼻を鳴らしてニヤリと笑い、再びディスプレイに向き直りコーヒーを啜る。反体制勢力によるハバナでのテロ前後から憲兵隊は目立った活躍が無かった。寧ろテロ容疑者を取り逃がすなど、醜態ばかりが目立っている程であったが、ここに来て大きな収穫を得ているというのは、指揮を執る長の首を挿げ替えでもしなければ有り得ない事であった。


「匿名の情報提供者による密告との事です」


「我々の知らないアセットを憲兵隊が持ってるのか?それについて調べたか」


「憲兵隊がそういった者を抱えているならば、既に我々の情報網に掛かっています。情報部に通話記録から密告者の発信源を特定させましたが、複数の通信ネットワークを介しての物で、発信源も複数の地点に変更されていて特定が不可能です」


「なんだそれは、軍隊じゃあるまいし」


 想像もしていなかった報告にドロテオは眉を顰める。

 密告者が居る事までは良い。政府は反政府活動全般の情報提供に報奨金を出す事を大々的に喧伝しており、日夜様々な密告が担当窓口に流れ込んでくる。とは言え、それらの殆どが報奨金目当てのでっち上げや信憑性の無い物であり、中には当局を混乱させる為に反政府勢力側が偽情報を通報してくる始末であった。

 そんな中にあって、極めて正確な情報を有し、それも発信源を特定させない密告者が現れるとは。ドロテオは自分の与り知らぬ場所で何かが起きているのではないかと、表情には見せないが不快感を覚え始めていた。自分の職務はあくまで大統領の警護ではあるが、かつて情報を司る機関に籍を置いた身としては座視する事が出来なかった。


「あ、そういえば、あの旅行者二人はバラデロに着いたのかな。一応着いたら一報入れてくれと現地の要員に伝えてた筈だが」


「それが、バラデロに到着していないそうです」


「なに?」


「現地の親衛隊事務所は到着を確認していないと。主要幹線道路などの監視映像をチェックしていましたが、それらしい人物は一切…」


「あんなに目立つのにか」


 ドロテオは肘を突いたまま顎を撫で、顔を顰めて唸る。まさかあの二人か。ドロテオは訝しむが、だとしても此方のオファーを断り、見知らぬ土地で独自行動する理由が見つからない。あまりにもリスクが高いからだ。軍の支配下に居なければテロリスト共からの監視を受けないという利点はあるが、支援も保護も受けられぬデメリットの方が圧倒的に勝る。例の警備会社と同等の優秀な外部協力者だとしても、真っ先に自分の元に何某かの通達がある筈だ。それとも自分が見落とした何かがあったか。

 もしその何かを隠し通し、姿をくらませたとするならば、ホテルのロビーでモンタルボが呟いた「女狐」の評は正しかったと言えるだろう。それも、相当に利口で憎たらしい女狐だ。

 しかし、万が一あの二人が他国が送り込んだ諜報員や工作員であるならば、作戦を担当した者は相当の阿呆か切れ者のどちらかだろう。

 目立つにも程がある金と銀の髪、狐の耳と二対の角。諜報活動の対極に存在する二人の見た目がドロテオの判断に迷いを生んでいた。


「とにかく分かった。ゲリラ共の情報には耳を澄ませておけ。下がってよろしい」


「旅行者はどうします」


「放って置いていい。下手に刺激して狐と鬼に嚙みつかれるのは御免だ。旅行者が途中で行き先を変えるのはよくある事だ。報告義務なんか無いしな」


 少佐は踵を鳴らして敬礼し、踵を返して執務室を後にした。

 それを見送ったドロテオはタッチパネルの無い古いタイプの携帯電話を取り出し、ある番号へダイヤルする。お決まりの留守番電話の音声、その後に数度の「通話中」音が鳴り、それを経てから相手への呼び出しが開始される。


《ドロテオか、どうした》


「セーロフ、情報が欲しい」


《何の情報だ。前のは片手間だからサービスだが、内容次第じゃ今回は料金を取るぞ》


「お前がハバナ港の『うちの区画』でビジネスを出来るのは誰のお陰だ。ヨハンナ・クリーブランドについてもう少し詳しい情報が欲しい。経歴から何から、集められる全部だ」


 ドロテオは肩と耳で携帯電話を挟んで話しながら、キーボードを叩いてメールを送信する。送信先はドロテオの数多い「国外の友人」の一人で、電話で話している相手とはまた別の友人である。

 かつてこの国がキューバであった時代は情報総局に身を置き、その活動で築いた国外とのパイプも多いドロテオだが、閉鎖的でお世辞にも先進国と呼べないこの国に居る以上、所持する情報量や機材、そして情報収集に対するフットワークの軽さでは外部の人間にはどうしても劣ってしまう。


《三割も手数料を取っておいてよく言う。あの女の情報は送っただろ。不足か? 奴絡みで問題発生か》


「まだ知らない情報が有るかもしれない。何かをしでかした訳じゃないが、念の為という所だ」


《少し調べてみる。忠告しておくがディナーに誘おうというならやめて置いた方が良い》


「もう誘った。だがアレは脈無しだ。此方としても顔に傷がある女はあまり好みでは無いからな」


 通話を終了し携帯電話をデスクの引き出しに納めると、目頭を指で押さえて疲れた眼を目蓋の上から揉みほぐす。反体制ゲリラの対処だけで手一杯だというのに、此処に来て厄介事が増えるとは。

 しかし、まだあの旅行者二人が敵と決まった訳ではない。本当にただ行き先を変えただけかも知れない。だが、もし彼女達が某かの意思を持ってこの国に来たのであれば、上手く立ち回りさえすれば彼女等の機嫌を損ねぬ形で協力関係を結べるかもしれない。

 とにもかくにも、今は情報を待つしかない。ドロテオは軽く延びをして、空のカップを持ってコーヒーを淹れに席を立った。




「キューバにもハンバーガーがあるって知ってるか」


 ヨハンナは紙パックの野菜ジュースをストローで飲みながらサキに問い、ハンドルを握ったまま目だけを助手席へ向ける。サキは無言で首を振り、知らないと身振りで示した。

共産政権時代のキューバには当然ながらマクドナルドなどの米国発祥の外食チェーンは存在せず、国内の経済事情を鑑みれば、キューバ発の外食チェーンが生まれる事も無かった。それ故にハンバーガーと言えば誰もが想像する形のハンバーガーは、キューバからバティスタ共和国となり、外食産業が進出しつつある現在も一般に定着していない。

 が、ハンバーガーなる食べ物が完全に存在していない訳では無い。


「hamburguesa《アンブルゲサ》ってな、スペイン語でハンバーガーとかハンバーグって意味だ。これがまた美味ぇんだ。当たり外れはあるがな、だいたい屋台で売ってる。チェーンサプライなんか無いからな。帰りに見たら買ってこうぜ」


 アンブルゲサはキューバにおけるハンバーガーであり、諸外国の物とは違い挽肉を使用したパティではなく、スパイスを揉み込み筋を叩いて伸ばした牛肉を使用する。ハンバーグではなくステーキを挟んだ形だ。

 キューバからバティスタに至る今日まで、こういったファストフードは個人の屋台で提供されており、当然ながら味に関しては毎日食しても飽きない物から、一口で生まれて来た事を後悔する物までピンキリである。サキはとにかく食にはうるさく、外れの屋台を選択しようものなら何を言われるか分かった物ではないので、軽く「買って帰る」と言ったはいいが、屋台選びはヨハンナにとって可愛い連れのご機嫌を取る重要なタスクであった。


「そろそろ着く、マスク被れ」


「これ、私が被る意味ないよね」


 ジャンクションに差し掛かり、ヨハンナとサキは用意した目出し帽を被る。ヨハンナは耳を畳む事が可能だが、サキの角は目出し帽を貫通し、どうしても隠す事が出来ない。髪も顔も隠したはいいが角が突き出ていては意味がない。が、どうする事も出来ず、直接顔を見られるよりマシだろうと無視する事にした。

 高速道から一本逸れて住居が立ち並ぶ道へと入ると、途端に路面状況が悪化し、捲れ上がったアスファルトや地面の穴が生み出す不快な振動が車内のヨハンナ達を揺さぶる。すぐに停車するから良いが、此処より田舎の方ともなると、劣悪な路面状況が続くのだろう。悪路の長時間走行は非常に体力を消耗し、腰や尻を痛める上に褥瘡を発生させて不快感が増す。それはボロのワゴンから、古いが程度はマシなベンツのセダンに変えても同じ事で、ヨハンナは目出し帽の裏で小さく溜息をついた。


 標的の家から数件離れた位置一旦車を止め、周囲の様子を窺いながらゆっくりと接近し、通り過ぎて次の家の前に停車する。二人は車を降りて後部座席よりチェコ製短機関銃を取り出し、グリップに弾倉を叩きこんで射撃準備を整える。


「接近戦なら散弾銃が良かったんじゃ?」


「上下二連だぜ?長くて取り回し悪いし、二発撃ったら用無しだ。逆に向かねえよ」


 大振りのハンマーを肩に担ぎいでヨハンナが言う。ポンプアクションかオートマチックならともかく、屋内接近戦で二連銃を一々装填している暇など無いと、ヨハンナはそう判断して散弾銃は選択肢に入れていなかった。


「しかし見張りも立てんとは、不用心な奴らだ」


 ドアノブに触れてゆっくりと回して施錠を確認すると、ヨハンナはドアのノブ側に回り、サキはその反対側に待機する。お互いに目で合図をするとヨハンナはハンマーを振りかぶり、力いっぱいにドアノブにハンマーを打ち付けた。ヨハンナの放った重い打撃は一撃で施錠を破壊し、木製のドアは僅かに内側に開き、間髪入れずに再度打ち込まれたハンマーによって完全に開け放たれる。

 サキがいの一番に屋内に踏み込み、負い紐を結んだハンマーを背に回したヨハンナが一瞬遅れてそれに続く。玄関と一体のリビングルームでは、四人からが夜逃げの準備に勤しんでおり、ドアへの一撃目で襲撃に気が付いたが、備えるより二人の突入の方が早く、銃に手を掛けた者はいたが、銃口を向けるにまでは至っていなかった。

 リビングに銃声が轟き、二つの銃口から吐き出される7.62×25㎜トカレフ弾が四人のゲリラ達に襲い掛かった。ヨハンナとサキは足を止める事なく、標的が倒れて行動不能になるまで射撃を継続し、部屋の壁に沿ってL字に展開して室内を確保する。

 戸口から見て右奥には開口部があり、寝室と思われる部屋へと続いていた。ヨハンナは銃を左手に構えなおすと、壁に沿ったまま開口部に銃口を指向して警戒を継続し、慎重に、かつ素早く「パイを切る」様に少しずつ奥の部屋へと視線を通す。瞬間、ヨハンナは開口部にその姿を僅かに覗かせるカラシニコフの銃口を視認する。


「うおっ!」


 ヨハンナが咄嗟に身を躱すのと連続した射撃音が轟くのは同時だった。照準もしない無闇矢鱈な射撃は弾丸をばら撒くだけだが、この環境下ではそれ充分で、着弾はヨハンナの身体を捉えこそしなかったが、一瞬前にヨハンナが居た壁に集中していた。更に悪い事に銃を左手から弾き飛ばされ、ライフル弾を受けた銃は破損してしまう。しかし咄嗟にホルスターから拳銃を抜き、銃口を覗かせていた開口部の枠へと射撃を加えると、臆した銃口は引っ込んで射撃が中断される。


「ヤロォー、ぶっ殺してやる。サキ、ドア見張っとけ」


 サキが頷き、ヨハンナの背後を見る。残りの敵の人数は定かではないが、中断した銃撃を引き継ぐ者も無く、話し声もしない。恐らくは残り一人だ。ヨハンナは開口部脇の壁に取りつき、戸棚に置かれた殺虫剤のスプレー缶を掴むと、部屋に放り込んでその缶に拳銃を撃ち込んだ。缶に穴が穿たれ、ガスが噴射されて床を缶が暴れまわる。と同時にその噴射を受けたか、壁一枚挟んだ向こう側から響く男の悲鳴をヨハンナの耳は捉えた。

 素早く部屋に踏み込んだヨハンナは、目を擦りながら片手で銃を向けようとする男の腕にハンマーを振り下ろし、男の手からライフルを叩き落した。間髪入れずにハンマーの頭で顔面を一突きし、鼻頭を強打した男は悶絶して折れた鼻を押さえながら後ずさる。その足を掬う様にヨハンナは脹脛を横合いから殴りつけ、男は横倒しに床に叩きつけられた。


「ま、待っ…」


 男は鼻を押さえながら手を突き出し、制止しようとするが容赦なく男の顔面に渾身の一撃が振り下ろされ、飛沫が散り、床一面に真っ赤な花が咲いた。


「くたばれ、クソったれめ」


 ヨハンナは既に事切れた死体に向けて悪態をつき、顔に散った血飛沫もそのままに部屋を見回す。その部屋には、たった今殴り殺した男が持っていたような数挺のAKライフルや、雑多な銃火器が弾薬と共に保管されていた。大当たりだ。ヨハンナは口笛でサキを呼ぶ。


「終わった?…うわ、ヒドい」


 サキは潰された頭と床一面の血だまりを見て、銃で撃ち殺せばいい物をわざわざハンマーで殴り殺すという、ヨハンナの不必要な攻撃性に心底うんざりした表情をマスクの下に浮かべる。サキ自身、銃器より近接格闘を得意としているが、だからと言ってこの様な惨い殺し方は必要が無ければ避けていた。しかし、済んだ事を一々問い質しても仕方がないうえに、ヨハンナが聞く耳を持たぬことを理解していたので流す事とした。


「今日は当たりだな。あのボロのワゴンから車を変えててよかった。」


「結構派手にやったから、直ぐに運び出そう」


 サキはそう呟き視界を巡らせれば、そこに開いた裏口のドアが目に入る。最初から開いていたのではない、微かに揺れて、今しがた急いで人が出て言った形跡があった。これはまずい、サキの勘が危険を知らせていた。


「ハンナ、一人だけだった?」


「一人だ、他に姿が…あぁ、こりゃマズい」


 ヨハンナも開いた裏口に気が付き眉をひそめた瞬間、何かが窓ガラスを突き破って室内に投げ込まれる。それは床に落下すると同時に爆発的に炎を周囲にばら撒き、二人が火炎瓶だと認識する頃には初期消火するには手遅れな状態となっていた。瓶にガソリンや灯油を混ぜただけの粗製の火炎瓶ではこうも炎は拡がらない。それは今まさに隠れ家から一人脱出したゲリラ特製の火炎瓶であった。


「畜生ヤバいぞ!弾薬に引火する」


「一人逃がすなんてヘマだね、ハンナ」


「言ってる場合か、そこら辺にあるモン引っ掴んで出るぞ!」


 炎は見る見るうちに広がり、壁まで伝って天井へと延び、室内を煙で満たしていく。武器弾薬の回収を諦めヨハンナ達は部屋を出て、リビングの男達が持ち出そうとしていたダッフルバッグを掴むと一目散に破壊された扉から退散する。扉はヨハンナが破壊しており、両脇にバッグを抱えながらの脱出に支障は無かった。


「伏せろ!伏せろ!」


 二人は開いたベンツのトランクにダッフルバッグを放り投げ、口を大きく開いて耳を塞ぎながら車の影に滑り込む。


 隠れ家内部で燃え盛る炎は遂に弾薬クレートへと達し、梱包された薬莢を熱すると耐熱限界に達した発射装薬が弾ける。そこからは連鎖反応的に周囲の弾薬が一斉に弾け、手榴弾や爆薬類も一瞬のうちに誘爆を開始、次の瞬間には屋内に貯蔵されていた全ての弾薬が炸裂し、轟音と共に隣接する家屋を半壊させる凄まじい爆発を引き起こした。

 衝撃波によって周囲の家屋や車両のガラスは粉々に粉砕され、固定の甘い屋根のトタンや外壁は吹き飛び、濛々と粉塵が立ち込める中で天高く舞い上がった大小様々な隠れ家の建材が次々に降り注ぐ。


その中でヨハンナが目を上げると、煙が晴れ視界がクリアになるにつれ、目の前に停まる一台のセダンに気が付いた。衝撃波の範囲からは外れていたか、ガラスは割れていない様子であり、車内には現地人の男達が乗っている。心なしか皆一様に目を細め、ヨハンナ達をじっくりと眺めている様に見て取れ、その細めた目と此方の視線が合うのを感じた。


「畜生、こりゃあマズいぞ」



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