第15話 Tormentas pasando

 地平線が紅く色付き、眠りから目覚めた鳥たちの声が遠く疎らに響く中、キャンプの外周で椅子に座り煙草をふかしている歩哨は襲い来る睡魔と分の悪い戦いを強いられていた。未だ昇らぬ太陽を待ちながら、動く物の一つも無い真っ暗なジャングルで、鬱蒼とした樹木と草を眺め続けるのは退屈極まりなく、そして眠気を誘発するには十分すぎた。

 ふと、背後から聞こえる草を踏む音に落ちかけた瞼が持ち上がる。まさか侵入者か。しかし歩哨は一瞬でも気を張った自分自身に呆れながら、銃に伸びかけた手を咥えた煙草に戻す。こんな場所に侵入者など来るものか。交代に決まっている、やっと眠りにつける。そう眠たい頭で願望まみれの結論を出すと、左腕の時計に目を落とし、顔を顰めた。


 おかしい、交代の時刻まであと1時間はあるではないか。では後ろの足音はなんだ。


 そう疑問を覚えた直後、歩哨は口を手で塞がれると同時に後方へと引き倒され、左の鳩尾に鋭い衝撃が走るのを感じ、それが彼の生涯感じた最後の感覚となった。

 肋骨の隙間をハンティングナイフで一突き、心臓を貫かれ物言わぬ死体となった歩哨を草の上に寝かせた深緑の影。その姿は頭頂からネットを被り更に草や葉で覆われ、夜明け前の暗闇の中では輪郭がはっきりとしていない。しかし僅かに見える腕と脚が、それが人間である事を物語っている。


《歩哨を始末した。キャンプに侵入する。5分後に自由に始めろ》


 深緑の影――ヨハンナは、身を屈めながらゆっくりと、しかし可能な限り素早く歩みを進め、キャンプの反対側に陣取ったサキに無言で指示を送る。理想は物資集積所に取りついてからサキが射撃を開始し、混乱の最中に燃料や弾薬を爆破して状況を攪乱、更に太陽を背に戦うことで有利に戦いを進める事だが、全てが上手く行くなどとはヨハンナも思ってはいない。不確定要素だらけのこの状況では、何がどう運ぶのかなど分かりはしない。あくまで理想は理想に過ぎないのだ。

 夜明け前とあってキャンプ内に人影は少なく、警備の為に最低限度の人間が起きているだけだった。警備の者達もいい加減眠気が限界に達しつつあり、目を擦り欠伸をしてあからさまに警戒が疎かであった。それに加えて空からの発見を避ける為に明かりも無い為、ヨハンナは難なくキャンプへの侵入を果たす事が出来た。此処まではよし、後は事が始まった後にどうなるかだ。


 だがキャンプに潜入できたからと言って事が始まるまで待つだけとはいかない。ヨハンナは椅子に座って舟を漕ぐ見張りを手早く仕留め、物資集積所へ侵入すると、移動に備えて山積みにされた物資を一瞥し、新しい玩具を手に入れたイタズラ小僧の様な笑みを浮かべた。

 そこには大量の爆薬と信管、燃料が満タンの携行缶に、規格化された火炎瓶が集積されている。これらをそのままにして置くのは勿体ない。ヨハンナは耳を立て、巡回の歩く音や手を出さずにやり過ごした見張りなど、周囲の音に気を張りながら手近な工具箱からペンチを取り出し、眼前の宝の山に手を伸ばした。



「いい加減眠いよな」


「あぁ、まったくだ。こんな警戒しなくたって良いだろ。誰も来ねえって」


 ヨハンナが侵入した物資集積所の反対側、司令部施設方向のキャンプ外縁では二人の歩哨が煙草に火を付けながら愚痴を言い合っていた。本来夜間にタバコなどご法度だが、キャンプは生い茂る木々の間にロープを渡し、カモフラージュネットを張って葉を幾重にも重ねる事で完全な偽装を施しており、そのお陰で喫煙をしたとして、タバコの火が生み出す光で空から見つかる事は無かった。しかし当然地上からその光は丸見えであり、司令官であるクラウディオも夜間の喫煙は光が漏れないテント内以外では禁止の通達を出していたが、彼が寝ている間にその言いつけを守る物はごく僅かであった。


「移動先はエスカンブレーだったか。あそこはコーヒーが旨いからな。なんも無い此処よりずっと良い」


「麓のシエンフエゴスは煙草の輸出港だったな。おこぼれに預かれるかもしれないな」


 小さく笑いながら片割れが深く煙草を吸い込み、その穂先が赤熱した瞬間、彼方から飛来した弾丸が煙草を咥えた顎ごと顔の左半分を弾けさせた。

 砕け散った顎と頬の赤い飛沫、バラバラに弾け飛んだ歯と骨とが混ざり合いながらぶちまけられる様に歩哨は目を見開いて驚愕し、そして銃声が僅かに遅れてジャングルに響き渡る。その残響が消えやらぬ内に残された片割れにも弾丸が撃ち込まれ、その衝撃に手に持っていた煙草を取り落としもんどりを打って倒れ伏す。しかし彼に撃ち込まれたのは頭ではなく脇腹だった。胸骨よりやや下方、浅い角度で突入した.30-06弾は肝臓をずたずたに引き裂き、更に腎臓を貫いて体外へと飛び出した。これだけで大量出血で死亡する事は確定、しかし当然それだけでは即死に至らない。歩哨の男は倒れたまま腹部に走る激痛に身もだえながら、ライフルの発砲音を掻き消す絶叫を日が昇らぬジャングルに木霊させた。

 

「銃声!」

「敵襲か!?」


 絶叫と銃声を聞いた仲間達がその方向へと駆け出し、外縁で倒れ伏し悲痛な叫びをあげる男を見て絶句する。地面に広がる夥しい量の血は池の様で、身悶える度に患部から血が溢れ出して止まらぬ様子はその男がもはや助からない事を示していた。駆け付けた仲間は無駄だとは分かっていながらも手当てせずにはいられず、一人が倒れた男の下で屈み出血部位を手で押さえ、残った者が更なる狙撃に備え周囲の警戒を始めた。

 しかし空が白み始め、夜明けは間近だが今だ暗いジャングルでは、銃弾を送り込んできた者を見付けるのは容易ではない。無防備に身を晒すゲリラ達に狙撃手――サキは、スプリングフィールドの照準を重ね引き金を絞った。


「ウッ!」


 警戒に当たっていたゲリラの胸をフルサイズのライフル弾が貫き、容易く人体に飛び込んだ弾丸は胸骨をへし折り肺に風穴を穿つ。強烈なパンチを喰らったかのような衝撃に仰向けに倒れ、息を整えようとするが、瞬時に肺を血で満たされた彼は自身の血で溺れ、口から血を噴き出しながらゴボゴボと不快な呻きを上げて窒息した。


「畜生! また一人やられた!」

「おい、敵は何処だ!」

「西だ、西から撃ってきてる!」


 その様子を真横で見ていた仲間は、更に駆け付けた他の仲間に射撃方向を伝え、叫びながら血で濡れた手で射撃方向を示す。射手も発砲炎も見えず、過密なジャングルでは音が反響して正確な射撃位置は不明。だが被弾した者が倒れ込んだ方向や、散った血飛沫で凡その方向だけは判別できる。

 直後、ライフルや軽機関銃を構えたゲリラの戦闘員たちは鬱蒼とした木々に向けて制圧射撃――ほとんど無駄撃ちに近い――を開始、数分前まで静寂に包まれていたジャングルに戦場と変わらぬ大音響が響き渡った。発砲炎が瞬き周囲を照らし、吐き出される弾丸が木の幹や葉に穴を穿ち、細い木々は幹を抉られいとも容易く薙ぎ倒され葉を散らしながら地面に倒れていく。

 だが、その弾丸の向かう先にサキは居ない。三発目を撃った後、直ぐに移動を開始したサキは次の射点へと向かい、手頃な木陰を見付けて座り込むと、膝を抱えるような姿勢で腕を支えにしてライフルを構える。木々と葉の僅かな隙間から見える小さな陰に照準を重ねると、サキはゆっくりと息を吐き出し、引き金を絞った。




「何事だ!」

「襲撃です! キャンプの外、西側から狙撃です!」


 マタンサス州で活動するゲリラ達の司令官にしてキャンプの主、クラウディオが鳴り響く銃声に飛び起きたのと、副官がテントに飛び込んできたのはほぼ同時であった。撤収作業も順調に進み、陽動も十二分に効果を発揮している様子に満足し、ようやくまとまった睡眠時間を取れたクラウディオにとって寝耳に水、青天の霹靂とはまさにこの事だった。

 無線封止をしてこのキャンプの位置は悟らせないようにしていた。最初に陽動作戦を発令した際も、複数の電波発信源から同時に発信し、位置を特定されぬ様にもした。であるのに何故襲撃を受けたのだ。皆目見当がつかぬが、とにかく状況を把握するのが先決だ。クラウディオは折り畳みベッドの下から自身のガンベルトを取り出し、腰に巻き付けながら副官を伴いテントの外へと飛び出した。


 二人がテントの外へと出たと同時に、地平から顔を出した太陽がシエナガ・デ・サパタの密林を赤く照らし、東から注ぐ陽光は木々やカモフラージュネットの隙間からでも眩く突き刺さった。クラウディオと副官は思わず眩しさに目を細め、顔を手で覆った瞬間、陽光とは別の赤と橙の混じった閃光が二人の網膜に焼き付いた。

 銃声を掻き消さんばかりの轟音、吹き付ける熱風と衝撃が木々やネットの葉を吹き飛ばし、折れた小枝や木片がバラバラと飛び散っては周囲に落着する。クラウディオと副官は周囲のゲリラ達同様に、衝撃と音響に暫し見当識を喪失し、何が起きたか理解するのに時間を要してしまった。耳鳴りと眩暈が収まる頃には、燃料の焼ける不快な臭いが周囲を満たし、朝焼けの空に濛々と黒煙が立ち上っているのが見て取れる。

 クラウディオは爆発と火災が起きたのは物資集積場だと即座に判断すると同時に、自分達が想像しうる最悪の状況に放り込まれたと理解し、苦虫を噛み潰した表情を浮かべて忌々しそうに唾を吐いた。


「くそ、いったい何が起きたんだ」


「おいエンリケ、お前は『アレ』を使って敵を迎撃しろ。俺は機密情報を処分する。時間を稼いでくれ」


「しかし、アレをここで使ったらキャンプに被害が」


「周りを見ろ! もう被害は出ているだろう。此処は棄てる。だが敵は道連れにしてでも始末してやるんだ」


 有無をも言わさぬ気迫に気圧されつつも、命令に従い駆けだした副官の背を見送ったクラウディオは、司令部テントへと向かい情報の破棄に取り掛かる。マタンサス州全体に配置された物資や拠点、部隊規模や、今後の作戦計画、敵情を偵察し収集した情報の数々、どれも多大な労力をかけて入手した情報だ。無傷ではなく、数多くの同志達がその血と命を糧にして手に入れた情報だ。破棄してしまうにはあまりに惜しい。しかし、これを敵の手に渡す訳にはいかぬのだ。これが敵の手に渡れば、クラウディオの指揮する部隊とは比較のできない数の仲間達が窮地に立たされてしまう。

 クラウディオは断腸の思いで引き出しやファイルをひっくり返し、口を切ったペール缶の中に詰め込んで火を放つ。値千金の紙束が灰になっていく様子に胸を締め付けられながら、次々に書類や地図、ディスクドライブなどの記憶媒体も火にかける。


「くそ! くそ! なぜこんな事に、いったい俺は何を間違った!」


 集積された弾薬・爆薬が一斉に誘爆した衝撃は凄まじく、直ぐ傍に建てられていた当直のテントや物資管理当番のテントは跡形もなく吹き飛んでいた。雨季の水分を多く含んだ地面や草木、高い湿度の空気は炎が一気に広がるのを防いではいたが、それでも大量の燃料に引火した火災の勢いは相当なもので、燃え盛る炎の赤々とした様子は昇りつつある太陽のそれを凌駕していた。


 凄まじい炸裂音で叩き起こされたゲリラの戦闘員はテントから飛び出して唖然とした。濛々と立ち込める煙と燃え盛る炎。昨日の夜半、眠りにつく頃には想像だにしなかった光景が眼前に広がり、唯々呆然と立ち尽くす。

 どさり、と何かが落ちる音を聞き、視線を下に向けるとそこにはキャンバス生地のショルダーバッグ。朝露に濡れた草地の上に落ちたキャンバスバッグは、小さく音を立てながら煙を噴き出していた。一瞬訝しんだ後、それが何かを理解した時には既に手遅れであった。

 バッグの内に詰め込まれたブロック状の爆薬は挿入されていた信管が炸裂すると同時に、一瞬の内に熱と衝撃に転化、効果範囲内のあらゆる物に破壊的な圧力と暴風で襲い掛かった。所謂工兵資材である梱包爆薬の炸裂には榴弾の様な破片効果こそ無いが、15㎏の爆薬には数棟のテントを容易く吹き飛ばす威力は存在し、中に居た数十名のゲリラ達は凄まじい爆風と衝撃波に曝され、無防備な肉体を引き千切られ、内蔵を滅茶苦茶に損傷させられる。


「ワアアァァァッ!!」


 支柱をへし折られ、崩壊したテントの内外で負傷したゲリラ達の叫び声が木霊する。ある者はあらぬ方向へと折れ曲がった腕や脚をばたつかせてもがき苦しみ、またある者は破れた腹からはらわたを溢れさせて呻き声を上げながら這いずっている。

 爆発の衝撃に半壊しながらも、致命的な損害を免れたテントからは半ばパニックに陥ったゲリラ達が飛び出し、武器も持たずに燃え盛る集積場と爆発の中心地から遠ざかる様に走り出した。苦痛に呻き、助けを求める同志達を気に掛ける者は殆どいない。遁走するその背中に追い打ちをかける様に連続した銃声と共に銃弾が撃ち込まれ、それを受けたゲリラ達は次々に地面に倒れ、梱包爆薬によって倒された者達と同様に死傷者リストの仲間入りを果たす。

 始末した歩哨から奪い取ったRPD軽機関銃を携え、弾薬箱いっぱいの7.62㎜弾を逃げ惑うゲリラに浴びせたヨハンナは、弾切れになった軽機関銃を放って無線の送信スイッチを切り替え、ゴヨとアデラに指示を飛ばす。


「そっちに行ったぞ。射界に入り次第片端から始末しろ」


 命からがら銃撃と爆発から逃れる事が出来たゲリラ達だが、更なる脅威が手薬煉引いて待ち構えているなど知る由も無い。ゲリラ達の中には元軍人や、熱烈な革命思想に燃える所謂「戦士」もいるが、大半は若気の至りやその場の勢いなどで流さたり、手っ取り早く政府批判をしたかった者など、生命のやり取りに対して耐性のある者は少なく、そういった素人連中はほんの少し衝撃を与えてやればいとも容易く潰走してしまう。早暁を狙った奇襲、巨大な爆発、背後からの銃撃。彼らの戦闘意思を挫くには充分であった。


 だが、中には銃を手に取り反撃に出る者達も居ない訳では無い。ヨハンナが見立てたより多くゲリラ達は醜態を見せていたが、その中にあって一部の「戦士」が衝撃から立ち直り、決死の反撃に打って出始めた。負傷者と死体の山の中から奇襲を辛くも生き延びたゲリラが拳銃を手繰り寄せ、燃え盛る炎を背景に一人立つヨハンナに銃口を指向する。が、反撃の仕草など既にお見通しのヨハンナは迷わずカービンの引き金を引き、三発頭に銃弾を撃ち込んで無力化する。


「ハーイ、ご機嫌如何かな?」


「よせ、チクショー!」


 這いずり銃を探すゲリラの背中に引き金を引く。.30カービン弾の小気味よい銃声が悲鳴に混じり、一人また一人と斃されていく。先程まで深い緑と暗闇に閉ざされていた密林は、夜明けの陽光よりも赤い炎に照らされ、苦痛に喘ぐ呻き声と怒号が飛び交い、銃声と爆音鳴り響く様はあたかも地獄が現世に顕現したかのようであった。

 その中に在ってヨハンナは鼻歌交じりに地獄と化したキャンプを練り歩き、生き残り達を一人も逃すまいと殺して回る。悲鳴と怒号、銃声鳴り響く場所。ヨハンナは居るべき場所に戻って来たと言う充足感に満足げに笑みを浮かべる。バカンスで羽を伸ばすのは大事だが、休息とは無縁な戦いの場に居るのはどうしようもなく楽しいのだ。


「やめろ! 抵抗しない、助けてくれ」


 足を引き摺り逃げようとしていたゲリラがヨハンナに追いつかれ、必死の形相で懇願する。生きようとする本能が紡ぎ出す、その切なる願いはヨハンナの良く聴こえる耳に届きはしない。


「悪いな。抵抗するとかしねぇとか、関係ないんでね」


 銃声が響き、また一人地べたに血と脳漿をぶちまける。直後にキャンプ外縁部から轟く連続した銃声をヨハンナの耳が捉えた。ゴヨとアデラが逃げ出したゲリラ達に射撃を加える音だ。誘導される様にキルゾーンに足を踏み入れたゲリラ達は、その横合いから確りと据えた機銃からの掃射を浴びせられる。7.62×54R弾の雨に打たれ、次々に倒れていく様相は、さながら第一次大戦の戦場を局所的に再現したようであった。

 ゴヨとアデラが腰を据えたキャンプ外縁は、僅かに小高く盛り上がった地形で、機銃を据えるに適している一方、ゲリラ達が射撃を受けている場所はテントや簡素な小屋を建てる為に、彼ら自身が拓いて均した地形。機銃の射手にとっては絶好の狩場である。一分にも満たない銃撃で、凡そ一個小隊分のゲリラが薙ぎ倒され、僅かばかりの人数がそれを回避して散り散りに逃げ去った。


 兵舎に居た者達は逃げ惑い、組織的抵抗は不可能かに思われたが、司令部要員含めその周辺に居た者達はクラウディオとその副官の適確な指揮の元、既に反撃準備を整え、狙撃手排除とキャンプ内の敵を迎撃する班に分かれ行動を開始。四人一組で索敵、掃討を開始する。

 既に戦力の半数を失っているが、それでもクラウディオは逃げるのではなく反撃を選択した。全員が逃げ出せる数の車両は既に無く、方々から聞こえる銃声は包囲されている事を示している。この状況下で皆が散って逃げ出せば、各個撃破されるのは明白。であるならば、この絶望的状況化であっても反撃に転じ、一人でも多く道連れにしてやろうと、クラウディオ含め、その場にいた全員が腹を括っていた。


 兵舎だったはずの場所へ赴いたゲリラの視界に一つの影が映る。全身を緑の迷彩に包み、燃え盛る炎の赤い光を浴びる影。同志の遺体を踏みつけにする姿は、それが敵であると、考えるより先に理解できた。

 敵だ。ブーニーハットを被ったゲリラがそう叫ぶよりも早く銃声が轟き、隣の仲間が胸と腹に弾丸を喰らって倒れ込む。素早く銃口を影に指向して引き金を引くが、放たれる銃弾は宙を射抜く。

 凡そ30メートルの距離での接敵、咄嗟の射撃でも充分に命中が見込める距離だ。そんな距離で数で勝る相手に馬鹿正直に撃ち合う気は無い。ゲリラ達にトドメを刺して回っていたヨハンナは、敵を視界の端に収めると同時に素早く状態を捻って小脇に抱えたカービンの引き金を引き、一人が銃弾を受けて倒れるのを確認するまでも無く、素早く横へと飛んで崩れかけのテントの影へと転がり込む。

 反撃の銃弾が飛んで逃げるヨハンナを掠め、続いてスペイン語の口汚い罵り声が飛ぶ。それを鼻で笑い、カービンの弾倉を取り換えたヨハンナはポーチから手投げ弾を一つ取り出した。即席の閃光手榴弾、その導火線を留めるテープを剝ぎ、側面に接着したマッチ箱の側薬と導火線の先端を擦る。マッチの頭薬に火が付き、続いて伸びる導火線に燃え移ると、芯薬の燃焼が始まって小さく激しく燃える炎は線の根元へと向かい始めた。思い付きでの細工だったが、思惑通りに着火したそれに若干の満足を含んだ笑みを浮かべながらヨハンナはテントの向こう側、敵の方向へと放り投げる。

 山なりに放られた閃光弾は三人固まって進むゲリラ達の前に落ち、炸裂と同時に凄まじい閃光と共にけたたましい大音響を浴びせる。目の前で閃光弾の炸裂を浴びたゲリラ達は一時的に見当識を失い、その場で硬直し、無防備な姿を晒してしまう。


「目が!」

「見えない!見えないぞ!」


 眼を押さえ、叫びながらよろよろと歩くゲリラ達に、ヨハンナはテントの影から飛び出して射撃を浴びせて撃ち倒す。.30カービン弾は凡そ百年昔に開発された弾薬で、現代――2040年代――の弾薬に比べれば些か見劣りする性能である。それどころか、開発当初から寒冷地などで厚着した相手に対しての威力が不足していると指摘されていた。しかし、今ここに居る標的に厚着をしている者は居らず、防弾装備を着込んでいる者も居ない。威力不足等と言われている弾薬でも、生身の人間程度倒す事は造作も無かった。

 寧ろ現代の防弾装備を前提に開発された弾薬では生身の人体に対して貫通力が過剰であり、人体に弾丸が侵入した直後、人体組織に十分な損傷を発生させる前に抜けてしまう事も多々あり、この状況に於いては.30カービン弾は過不足なくその威力を発揮していた。

 射撃を浴びて倒れたゲリラを銃口で追い、地面に突っ伏す三人に近寄りつつトドメの射撃を加える。そこでヨハンナはさらに接近する足音を捉え、カービンを素早く脇へと回してポーチから手榴弾を取り出した。カービンを抱える腕はそのまま、左手の傍に手榴弾を握る右手を回してピンを抜き、逆手でそれを前方へと放った。あまり距離を稼げない投擲法だが、自動擲弾銃の弾薬を流用したそれはスリムな弾体をしており、軽く、握りやすい形状は雑な投げ方であっても十分な飛距離を稼ぐことが出来た。


「こっちだ!」

「居たぞ! 侵入者―――」


 小屋の陰から現れた四人一班のゲリラ達が、ヨハンナの姿を捉え何某かを叫ぶが、それを言い切る前に足元に落ちた手榴弾が炸裂する。専用設計の手榴弾や、西側の40㎜擲弾に比べれば威力は見劣りするが、足元で炸裂し、飛散する破片は至近で炸裂を浴びた四人を殺傷するには充分である。すぐ足元で炸裂した一人は爆風と圧力、下方からの破片をまともに浴びてほぼ即死し、残る四人も致命的な破片に襲われてその場に崩れ落ちる。負傷者のうち二人は破片によって首や大腿部の動脈を損傷し、おびただしい血を溢れさせ失血性ショックにより急速に死亡した。だが残る一人は苦痛に悶えながらも取り落としたライフルを拾い上げようとしている。だが、ヨハンナはそれを許さない。


「畜生、お前は一体――」


 苦痛に顔を歪め、歩み寄るヨハンナに敵意をむき出し呪詛の言葉を吐きだそうとするゲリラに一発、トドメの弾丸を送り込む。

 敵は少数で分かれ、周辺の索敵を行っている。小出しで来る分には対処のしようもあるが、纏まって来られると数の差で押し負ける。未だ敵が此方の人数を把握できていない今がチャンス、この機に乗じて数を減らす。ヨハンナは素早くその場から移動を開始、幸いキャンプ内には詰まれた物資やドラム缶、コンテナ類が点在し、身を隠す遮蔽物には事欠かない。

 陰から陰へ、素早く移動しながらヨハンナは敵に襲い掛かる。四人纏めて一度に射撃を浴びせ、素早くその場を離脱する。余裕があれば手榴弾や閃光弾を使用して場を搔き乱し、再び姿を眩ませる。ヨハンナは敵との「銃撃戦」を行わないよう徹底した立ち回りを心掛けていた。


 キャンプの外縁からは尚も銃声が響き、サキも順当に戦果を重ねている事が察せた。サキが銃声を響かせる度に、一人敵が倒れる。ヨハンナはそう確信していた。射撃の腕に対する信頼だけではなく、サキはこと狙撃に関して無駄弾を撃つ事は無い。これは射弾を外さないという意味ではなく、確実に命中が見込める際にのみ射撃するという事である。これは狙撃手にとって銃や弾薬の実用射程距離以上の長距離狙撃を成功させる事や、極端な悪条件下での狙撃を成功させる以上に重要な事で、当たると確信できる時にのみ撃つというのは狙撃手の基礎中の基礎なのである。

 銃声が轟き、また一人、サキの射撃で額を射抜かれ仰向けに倒れ込む。狙撃手の捜索に打って出た十二名のゲリラの内、既に七人がサキによって撃ち倒されていた。弾倉内の弾薬を撃ち尽くしたサキは、射撃が途切れる隙を嫌って挿弾子を使用せず、左手の指に挟んだ弾を一発ずつ装填して射撃を継続する。


《状況は》


《十二発使った》


 サキはボルトを引いて薬室から空薬莢を排出しながらヨハンナに応答する。ヨハンナ相手であれば口を動かさずともやり取りができる為、サキは口にも弾薬を咥えて射撃をしていた。視界の端、左側面から回り込もうとする影を見るやサキは其方へと照準、引き金を絞る。サキはライフル用スコープを用いずに狙撃をしている為、視界が一所に収束される事なく射撃と索敵を同時に行えた。

 姿の見えぬ狙撃手から撃ち抜かれた仲間を前に、狼狽するゲリラに照準を重ねて引き金を引く。銃声が轟き、その結果はこれまでと同様、一人の人間が死ぬ。これで十四人目。サキは狙撃で倒した数を誇りはしないが、残弾管理の為に頭の中でそう呟いて記憶した。




「状況はどうだ」


 司令部テントで機密情報の処分を続けるクラウディオが今しがた飛び込んできた部下に告げる。状況が時を経るごとに悪化しているのは、爆発音が轟き、銃声がそこかしこで鳴り響き、収束へと向かうどころか激しさを増していく事から感じ取れていた。クラウディオは、敵がこのテントに押し込んで来る迄どの程度の猶予があるかを聞いていた。


「わかりません、ただ…敵は複数いるようですが、散発的に襲撃を仕掛けている様で」


「なに?」


「複数方向から一度に、大勢の銃声が聞こえません。その…これは私見ですがもしかしたら敵はかなり少数なのでは?」


 クラウディオは副官の意見にはっとする。言われてみれば、キャンプの外から響く狙撃の銃声や機関銃の音以外、キャンプ内で響く銃声はごくごく少数だ。キャンプを掃討する為に来たのであれば、外に控えている人数よりキャンプ内に突入した人数の方が多い筈であるのに、銃声は小刻みで、非常に少ないのだ。それこそ、銃撃している者が一人だけであるかのように。クラウディオは一瞬考え、副官に指示を飛ばした。


「聞け、キャンプ内の捜索は中断して、全員エンリケに合流させるんだ。このテントの防衛は数人で構わない。圧倒できる人数で侵入者を押し潰せ!」




 驚愕に見開かれた眼がヨハンナを映し、やがて光を失う。首を腕で抑え込まれコンテナに押し付けられながら心臓を突かれたゲリラの男は、力を失ってズルズルとその場に頽れた。これで何人倒したか。数は数えていないが十人以上仕留めたのは確実であった。

 ナイフを抜き、遺体の服で血を拭ったヨハンナは先程までヨハンナを捜索していたゲリラ達が一斉に退いて行くのを見る。周辺の警戒こそ怠らないが、皆一様に一目散に駆けていく。更に周囲を観察してみると、司令部テントの方向からも人員が向かっている様子だった。

 これはチャンスだ。今ならば司令部周辺は隙だらけでは無いか。そう読んで司令部に向かおうとしたヨハンナに、ゴヨの無線が飛ぶ。


《狐耳、俺の弾無くなった。アデラをそっちに行かせる。俺、仲間呼んで来る。良いか》


「構わんよ」


《わかった。戻った時、死んでると後味悪い。死ぬなよ》


「やかましい。縁起でもない事を言うな」


 忌々しそうに呟くヨハンナは、積み上げられたドラム缶の影から司令部テントを見やる。ドラム缶や木箱、土嚢を積み重ねて有り合わせのバリケードを築いて防御態勢を取るゲリラが二名、入口の前で待機している。防御態勢は取っているが、上半身の殆どが露出しており、ほぼ無防備に近かった。読み通り、ヨハンナはニヤリと笑みを浮かべて弾倉内の残弾を確認する。

 ヨハンナは物陰から身を乗り出して一人を射殺、警戒してはいたものの、唐突な射撃に慌てるもう一人に向けて素早く照準をずらし、引き金を素早く三度引いて銃弾を送り込む。テントに血をべったりとぶちまけながら、司令部を防御していた守衛は倒れる。これで妨げる物は何もない。ゲリラ達を束ねる指揮官がどのような奴なのか、顔を拝んでやろう。ヨハンナはそう勇んで足を踏み出したその時、奇妙な違和感を感じて足を止める。

 殺気だ。肌がヒリつく程に、ひしひしと感じる殺気はヨハンナの全身を危険信号として駆け巡る。その方向にゆっくりと視線を向けると、凡そ数十メートル先に異様な風体の巨体が立ち尽くしていた。


 耐熱服に全身を包み、胴体や四肢の至る所に構造用鋼を用いた装甲を張り付け、頭部をすっぽり覆うチタン製のヘルメットには顔面を保護する鋼鉄製バイザーがとりつけられている。僅かなスリットからぎらつく視線がヨハンナに突き刺さり、一瞬互いに視線を交わした後、まさしく歩く戦車ともいえるそれはヨハンナに向け踏み出した。

 ヨハンナはその巨体に向けてカービンの引き金を引くが、.30カービン弾は装甲に弾かれてしまう。舌打ちをし、装甲に覆われていない部分に照準しなおすヨハンナに向け、「歩く戦車」は両手で抱える銃器型の何かを指向した。その末尾からはホースが伸び、それは背負った巨大なタンクに繋がっている。

 それを視認した瞬間、ヨハンナは射撃を中断して素早く物陰へと飛び退いた。直後、ヨハンナがいた場所を火焔の濁流が撫でつけた。


「おい、嘘だろ。なんだありゃあ」


 火炎放射器を携え、更には弾丸を弾いて歩いてくる。質の悪い冗談か悪夢のような敵が現れた事に、ヨハンナは悪態をつく。しかし対処のしようはある。まだ手榴弾が一発残っていたはずだ。銃弾が効かぬならば爆発物だ。それは遥かな昔よりお決まりの解決方法であった。ヨハンナはピンを引き抜き、身を曝さぬ様に遮蔽物の影から手榴弾を投げつける。

 だが予期せぬことが起こった。宙を舞う手榴弾に向けて、歩く戦車は火炎を噴射、高圧の燃料を噴射すると同時に点火して吐き出される火焔の濁流は、軽い手榴弾を一瞬中で押しとどめ、そのまま遅延信管が装薬に点火、手榴弾は空中で爆散した。有効な加害範囲に入る前で炸裂した手榴弾は、装甲を身に纏った「歩く戦車」に有効な打撃を加える事は無かった。


「オイオイオイ、マジかよ。そんなのってアリか―――」


 僅かに顔を覗かせたヨハンナに再びの火炎放射。間一髪で顔を引っ込めたヨハンナだが、猛烈な火焔の放射に髪の毛先と耳の先を僅かに焦がした。


「アッチィッ!! クッソふざけんなチクショー!」


 ヨハンナは姿勢を低く、四つん這いで火焔の効果範囲から完全に逃れられる遮蔽物まで退き、体勢を立て直す。その時、ヨハンナが身を隠すコンテナの影から数名のゲリラが回りこみ、ヨハンナを視認するや即座に発砲する。それとほぼ同時にヨハンナは身を屈めて応射、弾丸が頭上を掠め、コンテナに着弾した銃弾が火花を散らす。ゲリラ達はヨハンナの射撃を受けて仰け反りながら倒れ伏した。


 背後に迫るは火焔の濁流、周囲はゲリラ達が包囲している。形勢は逆転した。だが、ヨハンナの口角は吊り上がり、その顔は笑みを浮かべていた。この圧倒的不利な状況、だからこそ生きている充足を得る事が出来るのだ。この危機に際してヨハンナの心は享楽に満ちていた。

 そう来なくては、素人共を唯々狩るのには飽きて来た所だ。ヨハンナは丁度よい遊び相手を得た子供の様に心臓を高鳴らせ、手持ちの残弾を確認する。銃には半分――約十五発。フルの弾倉が残り二本。拳銃には弾倉三本が全て手付かずで残っている。些か不足ではあるが、なに、それで十分。なんとかするさ。ヨハンナは鼻を鳴らし、再度コンテナや小屋の陰から飛び出して来たゲリラに銃撃を浴びせかけた。


「さぁて、燃えて来たぜ」

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