第10話 afinación

 バティスタ共和国、マタンサス市の上空を一機のビーチクラフト社製双発ターボプロップ機が飛行していた。ライトグレーに塗られた機体そのものは同社製のビジネス機と同様であったが、胴体の各所から突き出したアンテナや、主翼翼端のセンサーポッドが機体シルエットを異様なものにしており、それが通信情報収集SIGINT用途に改修された物である事が伺えた。「ガードレール」の愛称を持つその機体の運用者はイタリアから来たPMCである、S.S.G社であり、そのロゴが胴体部にプリントされている。


「チーフ、ゲリラ連中の無線交信数が増加してます。殆ど平文、暗号化無し。主な発信源はマタンサス州南部、シエナガ・デ・サパタ。州全域に対して発信されています。」


「大きな動きが有るな。ここ最近静かだったのは何かの準備中だったのか。マタンサスのチームに警報を出せ。それとハバナにも通達、下の連中にも仕事が有るかもしれん」


 通信担当官は即座にハバナの駐屯本部とマタンサスの活動拠点と通信回線を開いて連絡を取り、各所にゲリラの活動活発化の兆候有りとの報を入れる。その報告を受け取ったハバナに駐屯するSSG社の担当官は、一度部隊上層へとその情報を回し、内容を精査した上層部が多少の脚色を加えたうえで彼らの雇い主である共和国軍へと情報を共有した。

 彼らの電子偵察機から直接連絡を回す事も可能であったが、SSG社はこの機体を「連絡・空中指揮」用途としてバティスタ政府に届け出をしていた。つまり無線通信傍受を国内で行っている事は全くの秘密、早い話が違法行為であり、この機が無線傍受などの手段を用いて情報収集を行ったなどとは口が裂けても言えぬ手前、こうした回りくどい手段を取らざるを得なかったのだ。

 公になれば国内での業務停止と国外追放は免れ得ぬが、地上施設での情報収集には限界がある以上、航空機による情報収集は必須であった。このビーチクラフト機の他に、SSG社は無人偵察機を運用して活動地域に潜むゲリラの偵察や情報収集を行っており、これら情報は国軍や大統領親衛隊へと送られている。が、それ等とは別にSSG社は国軍に対する偵察活動も行っていたため、猶更公にできないのであった。


 大統領親衛隊の主な活動地域は、その名前が示す通りハバナ周辺、大統領の活動に関わる周辺に集中しており、本来はマタンサスでのゲリラ活動に関する情報など必要は無かった。しかし、SSG社が親衛隊本部の置かれている基地に同居している以上、情報共有は義務と言っていい物であり、彼らの諜報の網が捉えた各種情報は親衛隊の長である、ドロテオ・アバスガル大佐の元にも自動的に届けられるのであった。


「本当にここ最近は動きが激しいな。奴等、気前の良いパトロンでも後ろに付けたか」


「しかしどうでしょう、どうにも撤退行動の為の陽動にも見えますが」


「だろうな。とはいえ、その為に大々的に動くのもリスクがあるだろう。俺だったら、コッソリ夜逃げするがね」


 ドロテオは傍受された通信記録を挟んだバインダーを放り、コーヒーを啜る。ゲリラの行動予定など、ドロテオにとっては興味の欠片も無い些末な物。彼が気に留めた点は無線通信ではなく携帯電話の通話記録。僅か2分弱の通話記録であったが、ある語がドロテオの気を引いた。

 二人組、治安当局とは別。これらの語句から短絡的に考えるならば、SSG社のチームが動いたと捉えるのが一般的であろう。しかしながら二人組という最小単位での行動は潜伏斥候などが主であり、拠点襲撃をするには数が少なすぎる。一般部隊をはじめ特殊部隊など軍隊経験者を多数抱え込み、アドバイザーを多数派遣しているSSG社が、その様な非常識な行動を取るというのはドロテオには些か考えにくい事であった。

 ドロテオの頭には姿を消した例の二人組の姿が浮かぶ。現状、それと結びつけるものは状況証拠すら一つも上がってはいない。街頭や高速道の監視カメラ、地元警察や憲兵隊の通信記録にすらその姿を現さない。まるで幽霊の如く身を眩ませたあの二人が、このゲリラ達を襲撃した犯人――あまりに突飛な発想だが――だとして、理由は一体なんだ。報酬を約束したにも拘わらず、親衛隊のオファーを蹴って観光客に徹しようとしたあの女が、自らの意思で、強大な後ろ盾を得ずに暴走行為に等しい行いをするだろうか。


 しかしドロテオには確証こそ無い上に、もはや勘としか説明がつかないが、ある確信があった。

 デスク上のPC画面に映し出されるある情報、国外の友人であるセーロフから送られてきた、ヨハンナ・クリーブランドに関する各種情報。そこに記される数々の戦歴は、その身に刻まれた技術や技量を示す物ではなく、どれだけ幸運の女神の寵愛を受けたかを表す指標である。しかしその女神も、自ら望んで鉄火場に足を踏み入れる者を愛する事はそうは無いだろう。軍籍に身を置き、その身の献身を以って国家への忠義を果たしているというならば別、この女はそうではなかった。

 かつての『大戦』に始まり、終戦直後の世界的な各種紛争は勿論の事、今日に至るまでのあらゆる紛争地を転々としている、典型的な戦争愛好者。そして精神鑑定の示す病質的な攻撃性。世の中にはこういった輩が偶に発生するのをドロテオは知っていた。心の平穏を求めながら、同時に周囲を焼き尽くす事に一切の疑問を抱かぬ異常者。

 もしこの女がそうであるならば、完全に当てはまる。この国へやってきて、数日間の出来事の何処かがあの女の琴線に触れ、異常性を発露させた。その結果がマタンサスの出来事である。


 と、そこまで思考を巡らせたところでドロテオは鼻で笑う。ヨハンナの事ではない、そこまで考えた自分自身を笑ったのだ。そんな出来の悪い三流サスペンススリラーの様な人間がそうそう居てたまる物か。精神鑑定の病質的な攻撃性も戦争から帰還した人間にはよくある話で、早い話がPTSDを患っていただけの話であろう。

 しかしそれでも、ドロテオはこの見知らぬ二人組を無視する事が出来なかった。


「少佐、この通話記録にある、治安当局以外の二人組とやら、うちで調べられないか」


「ハァ。できない事は無いですが。憲兵連中や情報部抜きで、我々だけで?」


「そうだ、憲兵連中に我々が口出ししたりすれば、ただでさえ嫌われているというのに、権力拡大を狙ってるなどとあらぬ疑いを掛けられても厄介だ。片手間で構わん、少し気になってな」


「承知しました。グリンゴ連中にも協力させますか」


「そういう言い方はよせ。彼らを使う必要は無い。我々だけでだ、いいな」


 ドロテオの念押しに士官は軽く敬礼をして、踵を返して退出する。それと同時にデスク上の電話がコール音を発した。着信は最優先の短縮番号、つまり大統領だった。


「アバスガルです。どうしましたか」


《あの雇われ連中、君の預かりだったな》


「えぇ、ハバナ警備の増強要員扱いですから。一応は私の預かりになります」


《連中、マタンサスでの掃討にも使えんか》


「えっ」




 マタンサスから南進し、シエナガ・デ・サパタ国立公園にほど近いモーテルで前日までの疲れを癒したヨハンナとサキは、次の一手の為に準備を整えていた。


 以前ガソリンスタンドで二人のゲリラを撃退し、所持品の携帯電話をハッキングした事でヨハンナは複数の情報を入手する事に成功していた。これまで襲撃してきた隠れ家や武器貯蔵庫の他に、彼らが合流予定であったマタンサス州の部隊配置や、合流地点に加えて司令部の位置もその情報には含まれていた。

 いくら土着のゲリラとは言え、WWⅡ開戦から百年が経過した現代ではローテクのさび付いた頭でっかちでは組織を維持できぬとあって、重要な機密情報に関してはプロテクトを掛けていた。それ故に電子情報戦に多少自身のあるヨハンナと言えど、手持ちの携帯端末程度の機材ではプロテクトの突破に時間を要していた。プロテクト突破の時間潰しに物資を収奪し、そして解読が完了した暗号情報で司令部の位置を知ったヨハンナ達は、ゲリラ達の頭を一気に叩いてやろうと一路南へと向かっていたのである。


 が、しかしヨハンナ達は二つの問題に直面していた。一つは人数の問題である。いくら腕に覚えがある二人だが、どう足掻いても「二人」であり、やる気に満ちたゲリラ戦士達が跋扈し、地形を庭の様に熟知したジャングルへと無策に飛び込むのでは殺されに行くようなものである。

 そして二つ目は装備の問題で、二人で敵の本拠に飛び込むのであればそれ相応の装備が必要であり、現状ヨハンナ達には装備が不足していた。複数の武器庫を襲撃し、最後の最後に当たりを引いたヨハンナであったがその物資は跡形も無く吹き飛び、かろうじて持ち出した物も満足できる代物では無かったのだ。

 その内訳はロシア製音響閃光弾フラッシュバンが数個、同じくロシア製の自動擲弾銃用30㎜榴弾数発、擲弾銃の整備部品一式、スチェッキン自動拳銃と弾倉、9×18㎜弾約100発と、苦労した割には余りにも貧相な収穫であった。特に整備部品は本体が無いので無用の長物、仮に擲弾銃本体があったとしても二人で運用するには些か手に余る代物で、到底収穫とは言えぬ代物である。


「まいったな、長物の弾薬は一回銃撃戦やらかす程度にゃあるが、拳銃弾が不足だな」


「スチェッキンはハンナが使いなよ。暴れ馬の手綱を握るのは私には厳しいよ。……なにやってるの」


「図画工作だ」


 テーブルに広げられた戦利品の数々を弄るヨハンナをサキが覗き込む。サキは刃物の扱いこそ得意であるが、こういった小手先の仕事は余り覚えがなく、せいぜい自分の扱う銃火器の手入れができる程度である。現在置かれている状況の様に、古い銃火器しかないとなると分解整備はヨハンナに任せっきりで、今ヨハンナがやっている様な細々した作業など全くの門外漢であった。

 ヨハンナは音響閃光弾の信管を手際よく抜き取り、30㎜榴弾の信管弾頭も同様に抜き取っていく。弾頭を抜いた榴弾の先端に径が合うように加工されたスポンジを詰め、スポンジ中央の穴に音響閃光弾から抜き取った信管を挿入、抜け落ちないように信管とスポンジをビニールテープで固定する。これで即席破片手榴弾の出来上がりである。

 30㎜榴弾は正式には30×29㎜、VOG-17と呼ばれるもので、多少加工が必要であるが簡単な作業で手榴弾用信管と交換し、破片手榴弾として再利用する事が可能である。そしてヨハンナ達が入手した音響閃光弾に使用されるUZRGM信管はソ連製のその他の手榴弾に広く使用されており、旧式ではあるが転用が効く非常に優れた物であった。


「これで火力面はちったぁマシになっただろ」


 本来は連射による面制圧射撃を想定した設計の30㎜榴弾は一発の威力で見れば炸薬量は少なく、当初から破片手榴弾として設計された正規品に比べれば劣るが、半径20メートル以内の人間を殺傷するには必要十分で、細長い弾体はスリムで隠匿や携行に適し、まともな弾帯やベストの類を持っていないヨハンナ達にとっては好都合である。信管の数に対して一発榴弾が余ってしまったが、それはテープで二個連結して威力を高めた「特別な」一発に仕上げた。


「バンは少しぐらい残しといた方が良かったんじゃないの」


「家に飛び込むってならそうしたがな、屋外で森ン中だぜ?閃光は樹木に阻まれ、音は拡散して効果が薄い。目潰しより殺傷優先だ」


 とは言ったが、限りある資源をヨハンナは無駄にするつもりは無かった。弾体だけ残った閃光弾も、起爆剤さえあれば炸裂させる事はできる。マタンサスからこのモーテルまでの道中、食事や飲み物を買い揃える傍ら、ヨハンナは地元の雑貨店で爆竹も購入していた。それを弾体の信管が収まっていた部位に挿入し、それでは径が合わずにスペースが余るので、口径違いで余剰になった銃弾から抜いたガンパウダーを流し込み、隙間を埋めると同時に起爆の確実性を高めた。あとは湿気対策に油紙で口を塞ぎテープでしっかりと固定する事で完成である。

 これで音響閃光弾を導火線式に作り替える事が出来た訳であるが、しっかりと起爆できるかは定かではない。なにしろ即興で作っただけで、ヨハンナ自身使えるかどうか試した事が無いのだ。しかし、信管を抜いたソレをそのまま無駄にするよりはマシだろうと思っていた。うまく作動すれば御の字と言った所だ。此処からさらに一手間加え、マッチを短く折って導火線と頭薬を接着、弾体側に側薬を張り付けて摩擦点火が可能にした。戦場で一々ライターを取り出している暇を惜しんでの事だが、これも上手く行くかどうかは不明である。


「これ、上手く行くと思う?」


「さぁね、やってみなきゃ分からん。これが最初の実験って事で、物は試しだ。ま、火ぃ点けて即爆発なんてこた無いだろうよ」


 自分で作っておきながらまるで他人事と言わんばかりにヨハンナは言い放ち、最後の仕上げに破片手榴弾の安全ピンにテープを巻く。ご丁寧に剥がし易いように端を折り返すヨハンナを見て、サキは呆れたように息を漏らした。

 普段から全く無責任極まりない性格を隠しもせず、粗暴で粗野で、瞬間湯沸かし器の様に短気なクセにこういった細かい所に気を配り、丁寧な仕事を心掛ける。そのギャップは一体どこから来る物なのかとサキは呆れずにはいられなかった。いや、寧ろこれは殺人や戦争に対して真面目であるヨハンナの性格の表れなのであろうか。


「なんだよ」


「ん…、育ちが分かるなって」


「今更言ってんなよ。ホレ、お前のマカロフよこせ。昨日バカスカ撃ってから弄ってないだろ。あとコーヒーを一杯」


 サキが淹れたインスタントコーヒーを啜り、拳銃の分解清掃をしながらもヨハンナは思考を巡らせる。当然考える事はどうやってゲリラ共の鼻面に一撃を加えるかだ。

 方法はある程度思いついては居るが、不確定要素があまりにも多く、最終的には強硬策に行き着いてしまう。そうなるとやはりネックになるのは人数の問題で、しかしやはり、この問題は解決は不可能なので思考から強引に引き剝がす。

 敵の位置は割れているが、其処にたどり着くまでに警戒網に引っ掛かるのは必至で、それは車で乗り付けようが徒歩でコッソリ潜入しようが変わりない。森林での活動に特化したゲリラは、戦闘そのものは素人であったとしても、敵対者の侵入や日常パトロールしている区域の部妙な異変には非常に敏感で、これを突破して敵の喉元に食らい付くには文字通り幽霊になるよりほかに無かった。


 凡そ70年前、このバティスタ共和国ことキューバから地球の裏側、ベトナムで戦ったオーストラリア人オージー達の例に倣おうとヨハンナは考えた。

 ジャングルで戦ったオーストラリア軍の中でも特にオーストラリアSASは密林戦のエキスパートであり、彼らは戦争中7年間の期間で戦死者は一名しか出しておらず、接敵の90%は先に敵を見付けていたという。

 彼らは徹底的に周囲に溶け込み、匂い、音ですらジャングルその物となっていた。行動中は一切の言葉を発さず、部隊内での交信はハンドシグナルのみに限定し、それでも必要な場合は必ず近くまで寄ってから小声で最小限の要点だけ伝えていた。

 声を出さぬのは二人という最小単位ならば容易で、問題はそれ以外であった。被服は当然観光客であったヨハンナ達に迷彩服の用意は無く、キャンプ用品の外套や釣り用ベスト、野外活動用の衣服にスプレーで迷彩を施すしかなかった。これが非常に塗料臭く、消臭剤もまた匂いがキツい為に水に浸けるなどして匂いを消すが、下手な場所で干せば高温多湿の気候では渇きが悪く、カビ臭くなるので乾燥させる場所には難儀した。当然ながら銃器類にも迷彩塗装を施すが、目立たぬ様に屋内で作業をするため匂いがどうしても籠る。窓を開けて換気はするが、この匂いが他所にバレて目立たないかと戦々恐々としていたものの、数度外を歩いて周囲の反応を窺ったが、その心配は杞憂で済んでいた。

 酒とタバコは控え、入浴の際は無香料の洗剤を使用、ボディーデオドラントや制汗剤の使用も控えた。が、汗などの人体特有の匂いを避ける為に汗の管理には気を使う必要があり、密林への潜入開始後に被服の着替えは当然ながら不可能に近いので、それまでは汗を吸った服は取り換える為にインナーを複数用意した。

 追跡や発見を逃れる為に靴は麻袋で包んで足音や足跡を不鮮明にし、背負う鞄や帽子にも色を付けた麻袋を被せてシルエットを不鮮明にする。人間のシルエットは自然界では目立ち、ヨハンナもサキも明るい髪色をしているので頭部を隠すのは必須であった。


 衣服の塗装が乾燥し、匂いが飛ぶ迄には時間が掛かる。たった数時間で済む作業ではなく、下手をすれば日を跨ぐだろう。事を急いてはミスを招き、全てがご破算になりかねないが、余りだらだらと時間をかけていても好機を逃す。作業の傍らでヨハンナはゲリラ達のメールを片端から盗み見し、彼らが国立公園内の司令部を引き払う動きを察知しており、これが襲撃の好機だと睨んでいた。

 撤収に伴い司令部キャンプの戦力は減っていき、作業中は平時より警戒に穴ができやすい。作業に追われる者達、出入りする人員や車両、人員減少に伴う警戒網の見直しなど、付け入る隙は多くある。


 シエナガ・デ・サパタ国立公園は国の支援を受けた地元自治体が管理しており、よく整備された国立公園の管理用サーバーには膨大な観測データが存在する。豊かな自然環境が広がるこの国立公園も、『大戦』による気候変動の影響から逃れる事は出来ず、生態系異常などが観測された結果、貴重な原生生物保護の為にパークレンジャーや国際的な自然保護活動団体が自らの足で様々なデータを収集、記録、保存しており、その中には国立公園全体の詳細な地形データも存在した。

 この地形データは三か月に一度、地形変化などを観測する為に更新されており、サーバーに侵入してデータを抜き出したヨハンナは、幸運な事に数週間前に更新されたばかりの地形データの入手に成功していた。ここから侵入、侵攻、撤退ルートの選定を行い、司令部キャンプの位置や規模から凡その敵戦力を算出する。が、ヨハンナはどう考えても二人で攻撃する相手ではないなと再認識し溜息を漏らした。

 

 あとは警戒網に引っ掛からずに侵入地点へと辿り着くだけである。密林のみならず湿地帯も存在する公園の端から、徒歩で襲撃に向かうのは現実的ではなく、公園内を車である程度移動せねば戦う頃にはヘトヘトだろう事は想像に難くなかった。しかしどうすればよいだろうか。

 ここでヨハンナにある疑問が浮かぶ。数か月に一度、公園内の地形データの採収を行っているのであれば、ゲリラの基地など、とうに発見されていてもおかしくは無いのだ。仮に調査員がやってくる度に始末していたとして、そうであれば不審に思った国が憲兵隊や国家警察を送り込むなど、何らかの手立てを打っている筈であるし、それらがなされず、全く放置されているという事は…とまで思案したヨハンナは直ちに行動に移っていた。

 再び管理用サーバーにアクセスしたヨハンナは、ここ数年の国立公園の維持に計上される予算や、自治体の年度内予算を調べ、算出される諸経費と予算の中に僅かなズレを発見した。電子情報として管理され、計上される諸経費には小数点以下の端数が存在し、それら自体は1セントにも満たない微々たる物であるが、給料や日常消耗品――トイレットペーパーや付箋、コピー用紙など――に掛かる経費など、あらゆる経費からその端数をかき集めた場合、そこそこまとまった金額になる。しかしその端数は現金化できない為に基本的には切り捨てられ、電子の闇へと消えてゆくのが常であった。

 が、この端数を寄せ集め、どこか別の口座へと移し替える事が出来れば。そしてそれを自分が後援する特定の団体へと流す事が出来たら。


 現代では多少知識があればこの手の不正は難しい事ではなく、先進国では予算管理には強固なプロテクトを使用し不正を防止している。が、20年は遅れているこの国ではそのような防止策は無く、パソコンを扱う事の出来る国民もまた非常に少ない。自治体の予算にアクセスが可能で、多少その手の知識がある人間という条件で絞り込めば、容易に容疑者を特定する事が出来た。


 マタンサス州副知事、アウグスト・ハビエル・リベジェス。政界に身を置く以前は労働者組合の長としてマタンサス州の商工業界に君臨し、革命以前から同州の産業に絶大な影響力を持っていた男である。そして現在、副知事としての業務の傍らで国立公園を管理する要職も兼任しているという。


 その男ならば、マタンサス州内で動くカネの流れを多少変える事ぐらい容易い事であろう。ヨハンナはそこに目を付けた。順当に権力を付けていく成り上がりの男。面白い、自分の様な荒くれ者には絶好の標的ではないか。ヨハンナは鼻を鳴らし口の端に笑みを浮かべ、外出の支度を整えるのであった。


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