第13話 reunión

 ヨハンナの訪問から翌日、アウグストは邸宅の書斎で溜まった仕事を処理していた。昨日の夜には処理し終えているはずだったが、招かれざる客人の訪問と警備システムの復旧に時間を取られ、本来は休日だったはずが仕事をする羽目になっていた。ブランデーをちびりとやりつつペンを走らせ、キーボードを叩いて電子の書類に何事かを記していく。その内容は自身の統括する部署から上がって来た諸々の業務や申請の承認や確認であるとか、各方面に対する根回しの為の嘆願書であったりと多岐に渡る。

 一段落した所でペンを置き、椅子を僅かに後ろに下げて凝り固まった背筋を伸ばしたその時、卓上の電話機がコール音を鳴らした。電話機は外線か内線か、インターフォンかで違うコール音がプリセットされており、たった今なったそれは来客を告げる物であった。


何方どなたかな」


 今日は来客の予定は無かった筈だが。アウグストは訝しみながらも受話器を取る。それなりに豪勢な邸宅に住んでいるアウグストだが、自宅には秘書や受付の類は居住させておらず、使用人はいるが出迎えをする程度で、自宅にいる時の電話番は専らアウグストがしていた。


《どうも、警備システムの調整に参りました》


「それは昨日終わったのではないか。連絡が無いのはどういう事だ」


《先日は急な復旧作業でしたので、一度時間を置いて問題が無いかの再調整が必要でして。連絡が無かったのは申し訳ありません、担当者の不備です》


 ええくそ。これだからラテンの業者というのはいい加減で仕方がない。カメラで正門を見るに、調整に訪れた業者は先日システムの復旧にやってきた連中とは違うようで、使用感のある作業着と作業靴代わりのスニーカーは、見るからに下請けという雰囲気が漂っていた。アウグスト邸の警備システムを構築したのは欧州のそこそこ名の知れた警備会社――なんという社名かは忘れた――で、仕事も風体も信頼できそうであった。だが所詮は大洋を跨いだ途上国での仕事では、初動対応こそ真摯な対応をするがこういったアフターサービスは下請け業者を使うのか。ややおざなりな、ともすればいい加減とも言えるその姿勢に溜息をつきながら、しかし追い返して元受けの業者を呼べ等と言う気にもならないアウグストは、そのまま門を開けて彼ら下請け業者を迎え入れる事にした。


 まんまとアウグストの邸宅へと侵入を果たしたナナカとマルシオは、使用人の案内でアウグストの書斎へと一路向かう。仕立ての良い赤絨毯を踏み締めながら廊下を歩き、書斎への道中には巨匠と言うほどでは無いにせよそこそこの腕前の絵画や、奇麗に掃除がなされてはいるが使用感の全くない調度品などが飾られており、二人はそれらを横目に眺める。なるほど、この貧困に喘ぐ国の中にあって他者を顧みぬ贅の尽くしようたるや、マルシオの言った悪徳富裕層オリガルヒの評価は間違いない。そうナナカは心の中で呟く。


「準備は」


「いつでも」 


 仕事に戻る使用人を見送り、工具箱から拳銃を取り出した二人は互いに顔を見合わせて頷き、廊下と書斎とを繋ぐ両開きの扉を押し開けた。


 扉が乱暴に開かれる音に顔を上げたアウグストが抱いたのは、「またか」という感情だった。皺だらけの作業着に拳銃を構えた二人組。招かれざる客は今日もやってきた。だが昨日と違うのは、その闖入者の風体だけでは無く、どうにも表情や振る舞いに余裕が無さそうであった事だ。

 二人組の片割れ、マルシオはアウグストが誰何するより早くデスクの前に詰め寄ると、口を開きかけた家主の額に銃口を押し付けた。


「昨日ここにやって来た女の事を話してもらおう」


「いったい何の話だ」


 デスクの天板裏に隠された警報装置のボタンを強く押し込みながら、アウグストは昨日の来訪者を思い浮かべる。わざわざ思い出す必要すらない、とっておきのコニャックを安酒の様に飲み干した忌々しい女狐。今後数か月は忘れる事が無いだろう。

 それにしてもこの闖入者たちも変な事を言う。昨日の女狐もそうだったが、この者達は金品や命を目的としていない。何か情報をを聞き出すにしても、職務上知り得る機密情報だとか、そういった物ではなく自分にとっては全く価値の無い物だ。わざわざ銃を突きつける必要も無い程に、聞かれれば答えるというのに、こうまでするという事は余程切羽詰まっているか、この者達にとっては相当重要な情報なのだろう。


「金髪、獣の耳。何か話したんじゃあないのか」


「あの女か、私の酒を飲むだけ飲んで帰って行った。警備システムも滅茶苦茶にしてな。お前達はどうやって此処の警備システムの調整が必要だと知った」


「質問は俺達がする。それ以外は話すな」


 マルシオは握っている拳銃の撃鉄を起こし、蓄音機が奏でる静かなレコードの音色に無骨な金属の音が混じる。どうやら相当頭に血が上っているらしい、下手なアクションは即座に発砲を招きかねない。困ったものだとアウグストは心の中で独り言ちる。

 この者らの望む情報など、アウグストにとって本当に価値の無い物だ。繰り返しになるが聞かれれば答えただろう。電話越しでもだ。それがどうだ、こうして書斎に押し入って、あまつさえ銃を突き付けられたら度量の大きいアウグストも良い気分では無い。もうすぐ警備会社から確認の電話が入る。そうしたら「緊急事態、救助要請」の確認符丁を送って警備会社の連中に一仕事させて、この無礼者たちに一泡吹かせてやろうでは無いか。アウグストは腹の中で算段を建てていた。


「それで、あの女狐の何を聞きたいんだ」


「全てだ。あの女が何用でここに来て、お前が何を話したかだ。まさか俺達を売った訳ではあるまいな」


 「俺達を売った」という言葉に、アウグストはこの闖入者が何者かを察する。この二人組はゲリラ達から差し向けられた刺客なのだ。アウグストの「副業ゲリラのパトロン」で付き合いを持つ人間以外に売る対象は無く、この者達は昨日訪れたあの女狐に何某の情報を売ったのではないかと疑っているのだ。

 これが事実なら、ゲリラ達は邸宅を常に監視していて、そしてあの女狐はやはり政府と何らかの繋がりを持っており、アウグストは自身が相当マズい状況に立たされていることを認識した。


「私はただの資金提供者だ、お前達の作戦や部隊、拠点や組織そのものなど知るものか。あの女狐は私の帳簿をネタに脅して、ほんの少し便宜を図らせようとしただけだ」


「どんな便宜だ」


「シエナガ・デ・サパタ、あの国立公園のフリーパスだ。立ち入り制限区画にNGO職員扱いでの侵入許可を出しただけの事だ。それがお前達の何に関係がある!」


 マルシオとナナカは顔を見合わせる。シエナガ・デ・サパタ、マタンサスで活動するゲリラ達の司令部がある場所だ。唯の観光ならばともかく、制限区域に立ち入るというならば、その目的は明白だ。しかしたった二人で? まさか此方が把握していない仲間が潜んでいたのか。

 二人が考えを巡らせている中、デスク上の電話機が再び鳴り響く。今度は外線、アウグストはそれが警備会社からの電話だと即座に断定し、此方を睨むゲリラの二人組に「取って良いか」と視線で問うた。

 忌々しそうにしながらマルシオは手振りで許可すると、アウグストは受話器を取って耳に当てる。今日日固定電話など絶滅危惧種であるのに、わざわざ使い続けるのはアンティークに拘る富裕層故だろうか。ナナカはそう思いつつも、遙か遠く日本の実家にも古い電話があったのを思い出した。


「私だ、馬の件か緊急事態発生? 仔馬の出産は近い直ちに対処願う難産かも知れないぞ武装強盗だ


《分かりました。手配はしてあります。出産には間に合います、安心して下さい》


 あらかじめ取り決めておいた緊急事態の符号を伝えたアウグストは受話器を置く。出産には間に合う。つまり目と鼻の先に対応チームが居ることを表していた。運が良かったのだろう、武装した見回り班が丁度付近を通り掛かったばかりだったのだ。

 警備会社の見回り班はセダンで個人の契約者や事業所周辺をパトロールし、何事か不測の事態が発生すれば司令センターから一報が送られ、いの一番に現場に駆け付け即座に対応するのが主任務であった。

 就業時間中の殆どを車中で過ごす彼等が携行している武装は拳銃程度だが、それでも正規の訓練を受けている為、現地の警察官や日雇い警備員とは比較にならないほど頼りになる存在だ。


「国立公園に行ったんだな」


「恐らくな。あの女が何をしでかす気なのか私には興味は無い。それに、知ったとて私に何が出来ると?」


「お前はとんでもない事をしてくれたぞ。仲間が窮地に立たされるかも知れないんだぞ。俺達の司令部があるのは知っているはずだろう!」


 思案に思案を重ね、落ち着きが無い様子で部屋を彷徨いていたマルシオはアウグストの無責任な言い様に激昂。目を剥きながら再び眼前に銃口を突き付ける。その時であった。


「動くな!銃を捨てろ!捨てろ!」


 書斎の扉が勢い良く開け放たれ、二人の警備員が部屋へと突入した。イタリア製の自動拳銃を構え、大声で投降を促しながら踏み入る彼等を、一瞬遅れて認識したマルシオとナナカは即座に銃口を其方へと向け引金を絞った。

 蓄音機が奏でるクラシックの気品ある音色は火薬の急速な燃焼が生み出す騒音に掻き消され、続いて男たちの怒号と罵声が書斎を満たした。

 次々に吐き出される薬莢が絨毯に焦げ跡を残して転がり、目標を捉えなかった弾丸はリカーキャビネットの酒瓶を破壊し、窓ガラスを貫き、壁に風穴を空けていく。

 不意を打たれた警備員は胸に銃弾を受けるが、身に着けた防弾ベストはその効果を十二分に発揮して凶弾を通すことは無かった。しかしその衝撃だけは健在で、胸と腹に叩き込まれる衝撃で二人の警備員はその場に崩れ落ち、一人は拳銃を取り落とす。

 尚も反撃しようと銃口を持ち上げようとした警備員の顔面目掛けナナカは数度発砲、顎と目に銃弾を受けた警備員は仰け反って床に沈んだ。


「くそ!!」


 一瞬の銃撃戦の最中、自身に向く銃口が無くなった隙を逃さずアウグストはデスクに引き出しから五連発のリボルバーを取り出すが、再び顔を上げたときにはマルシオの銃口がアウグストを捉えていた。

 リボルバーの銃口が上がり切るより早くマルシオは引き金を数度引き、放たれた7.62×25㎜弾がアウグストの顎を砕き、眼球を押し潰してその背後にある脳を致命的な衝撃で掻き回し、鼻柱に飛び込んだ弾丸は脳幹を断ち切ってその生命活動を完全に停止させた。


 這いずりながら落とした拳銃を拾おうとする警備員の腕を脚で踏み付けにしたナナカは、イタリア製自動拳銃を拾い上げ、数発その持ち主の後頭部に撃ち込んだ。

 血と脳漿、飛び散った酒で濡れた書斎を再びレコードの音色が包み込む。


「畜生!!」


 マルシオは悪態をつき、こんな筈では無かったと八つ当たり気味にデスク上の書類束をはね除ける。

 ナナカは廊下の様子を窺い、後続が居ないかを確かめつつ自身の拳銃の弾倉を交換する。


「マルシオ!! 早く出よう。ここに居たらマズい。警備の連中が連絡寄越さなかったら、本隊が来るかもだよ」


「分かってる。とにかくあの女狐の行き先は分かった。キャンプに戻るぞ!」





 日が傾きかけたジャングルは、木の葉の隙間から差し込む光量が段々と少なくなり、実際の時刻よりも暗く、早く夜が訪れていた。不明瞭な足元を探る様に獣道を行く男が二人、ライフルを揺らしながら周囲に目を走らせている。彼らは森林保護官では無く、まして警察でも無い。反政府武装勢力、所謂ゲリラだ。


「陽が落ちてきた。参ったな、至る所が増水して回り道してたらこの時間だ」


「だぁから言っただろ、ちょっとぐらい足が濡れるの気にしないで水ン中を突っ切りゃ良かったんだって」


 勢力圏内のパトロール中の二人のゲリラは、周囲に目を走らせはしているがその実、誰がこんな辺鄙な所にやって来るものかと油断し、まるで周囲に気を配らず、唯ぶらぶらと所定のルートを巡回しているに過ぎなかった。その証拠に、今しがた通り過ぎた足元にも全く気を配る事なく、地面に伏せている二人の侵入者に気が付く事も無かった。

 生い茂る草と土に同化したヨハンナとサキは、パトロールが十分に離れ、声や足音が聞こえなくなるのを待ってからゆっくりと身を起こし、静かに素早く、獣道を離れて木々の合間に紛れて行く。ゆっくりとした足取りは変わらず、枝や葉を踏まず足音は朧気ではっきりとしない。


《危なかったね》


《あいつ等も大雨で変わった地形に難儀してるみたいだな》


ゴヨの示した道は険しく、距離に対してペースは遅くなり、合流地点への到着予定時刻に少しばかり遅れていた。しかしヨハンナはそれは想定済みであり、決して無理にペースを上げる事はしなかった。

 ヨハンナは取り出しやすい位置に収納した干し肉を取り出して口に運ぶ。じっくりと奥歯で肉を噛み締め柔らかくほぐしてから味わう。日中ジャングルを歩き回り疲労が蓄積した身体に干し肉の塩気は非常に良く効き、感覚的な物であろうが疲れが和らぐのを感じた。

 噛み締める度に染み出す旨味はショッピングモールで買った市販の物と言えど確かな物であり、口寂しさと小腹を満たすには充分であった。当然ながらヨハンナが食している干し肉や、これもまたポーチに忍ばせているナッツや干し果物の類だけでは栄養補給には不十分である。これらはあくまで休憩地点での食事までの繋ぎである。


 結局指定された合流地点にたどり着いたのは日が地平線に隠れかけている頃であった。平地であれば美しい夕陽を拝む事ができただろうが、ジャングルの中は既に深夜と変わらぬ暗さになっていた。


「来たか」


「遅れた。悪いな。此処は安全か、周囲は確認したのか」


 先んじて到着していたゴヨとアデラは「当然だ」と口を揃えて言う。彼らの身のこなしであればゲリラの哨戒線を易々と監視する事が出来、何処で安全に休息が取れるか選定するのも簡単だろう。ゴヨとアデラは物心ついた時からジャングルを駆け巡っており、この国立公園内は庭と同じであるのと同時に、歩いたり走ったりする際の身のこなし方もこの環境下での活動に特化していた。

 彼らは行動中殆ど音を出さないが、本当に音を消しているのではない。完全な無音というのは生物である以上不可能なのだ。ではなぜヨハンナの耳をもってしても察知できなかったのか、それは彼らが自身の出す音を周囲の環境音に紛れ込ませる事に長けていたからであった。しかしそんな彼等も武器の扱いについては不慣れなようで、持参した銃器を弄る際には必要以上に音が出てしまっていた。


「なんだそりゃあ、私らより上等な物を使ってるじゃないか」


 ヨハンナはバックパックを降ろし、中からビニールテープを取り出してゴヨに放り、騒音防止処理をするよう言う。彼らの持ち込んだ銃器は旧ソ連製のPKM機関銃とSKSカービンで、ヨハンナとサキが持つM1カービンやスプリングフィールドに比べれば遥かに良い得物であった。


「これ、俺達がゲリラから盗んだ物。凄く苦労した、俺達が使う」


「分かってるよ、奪ったりしないからそのカチャカチャ音が出るの何とかしてくれよ」


「なんだこれ、何をするんだ」


 渡されたテープをしげしげと眺めるゴヨは、騒音防止処理の仕方が分からないようであった。ヨハンナは小さく溜息をつくと、サキに食事の用意をさせてゴヨとアデラに銃火器の扱いについて教える事にした。


 サキはバックパックから調理器具や食器類を取り出して食事の準備に取り掛かる。道中水場で汲み、携帯浄水器に通した清潔な水をメスティンに注ぐ。通常のキャンプならばレトルト食品や缶詰を加熱するのに火を焚いて湯を沸かすところであるが、ここは敵地なので火は使えない。夜間では火が発する光は非常に目立ち、発生する煙は非常に広範囲まで拡散する。自分の勢力圏や安全地帯であるなら兎も角、敵地や係争地では非発見を避ける為に火の使用は厳禁である。

 勿論煙や火を外に漏らさずに炊く方法はあるが、今のヨハンナ達はその為の装備が不足しているので不可能で、装備が無くとも地中に竈門を作り、煙突を地中で長く伸ばす事で煙を冷却し高く昇らせないようにして煙の拡散を抑える方法もあるが、それもまた時間と手間が掛かり現実的ではない。サキは小さな袋を取り出して封を切り、中に入っている粉末を水に投入した。すると粉末と水が反応を起こしてメスティンの水は一気に過熱され沸騰する。

 サキが投入した粉末はサバイバル用に改良が施された生石灰粉末で、これを水に投入する事で反応熱を用いる事で火を使わずに瞬時に湯を沸かす事が出来るのだ。当然ながら石灰を含んだままの水は飲用する事は出来ないが、レトルトパウチや缶詰の過熱にならば十分使用でき、浄水器を用いれば十分にろ過して飲む事が出来るので無駄が無い。しかしこの粉末を用いた湯沸かしの難点は、浄水器を通した後は温度が下がり沸点近くの温度を要する用途――コーヒーや紅茶を淹れたり――には使用できない事と、水の味が酷く悪化する事である。とにかく不快な苦みが口に残る為、飲むのは最後の手段であると言えた。


 数分の後、ヨハンナはレトルトパウチの中身を口に掻き込みながら今後の予定を説明していた。夕食のメニューはパウチ入りのチキンライスとビーフシチューの缶詰。どちらも匂いがきつい方のメニューであり、ヨハンナもサキも広範に匂いが拡散する前に急いで食事を終えようとしていた。


「お前たち二人がジャングルに慣れてて、幽霊みたいに歩き回れるのはよーくわかった。そこでだ、一つ頼み事があるんだ」


「よく噛まないと腹を下すぞ」


「私達が向かう前に先立って、奴らのキャンプの偵察をしてもらいたい。グルっと周囲を回って、見た物をこれに記してくれ。敵の凡その人数、配置、テントや物資の位置とか、見えるもの全てだ。文章やスケッチでも何でも駆使して情報を集めてくれ」


 ヨハンナはゴヨにペンとメモ帳を渡す。使い方の説明でもしようかと一瞬考えたヨハンナだが、流石にジャングルに住まう原住民だとしても、ボールペンとメモ帳の使い方ぐらいは知っているだろうと思いとどまった。

 

「絵を描くのか?」


「スケッチは重要な偵察情報だ。言葉も大事だが、資格情報は特に貴重だ。絵は苦手か?」


「描いたことが無い。アデラに任せる。アデラは村の子供に色々教える。それで絵を描いてる」


 受け取ったペンとメモ帳をゴヨはそのままアデラに手渡す。するとゴヨはおもむろに懐から携帯電話を取り出し画面を操作、写真撮影アプリの設定を弄ってシャッター音やフラッシュを無効にする。


「俺、絵は描いた事ないが写真は取れるぞ。絵よりこっちの方が確実じゃないか」


「何だよ畜生、先住民のクセに随分文明的だな」


「それ、偏見だ。俺達、石器時代の人間と思ってたか?」


 ヨハンナは小さく溜息をつきサキの方をちらと見る。サキはと言えば「当たり前でしょ」と、じっとりとした目で、ヨハンナを時代遅れの人間と言わんばかりの視線を向けていた。ヨハンナの悪癖、他者や他の地域社会、生活に対するどうしようもない無関心さがここぞとばかりに発揮されていた。

 世界を見渡してみれば確かに文明から切り離された先住民族は多数いるが、例えそうであったとしてもその国の政府からの保護を受けているのが実情であり、そうした原始的生活は野生保護動物と同様管理された物であると言えるだろう。

 先住民族と言えど、彼等にも生活という物が存在し、民族の誇りや伝統を重んじるがゆえにその地域に根付いているのであって、実態は外の地域の人間と大差は無い。つまり、自分達の家族やコミュニティの生活を豊かにするという根本は、文明の味がドップリと染みこんだ現代人と何一つ変わらない為、生活を豊かにする道具、電子機器や家電などは当たり前のように使っているのだ。


「とにかくだ、先行して偵察、その後合流地点で落ち合い、そこで夜を明かして翌朝攻撃開始だ。意見有るか」


「夜じゃダメか?なぜ一度夜を明かす」


「完全に夜を明かす訳じゃない。夜明け前、払暁に攻撃を開始する」


 地図に記されたキャンプの位置からやや東を示しながら、ヨハンナはアデラの質問に答えた。夜間であればゲリラ達の警備も最低限度、寝ている者も多く奇襲効果は絶大である。しかし、ヨハンナ達は少人数であり、例え奇襲に成功したとしても敵に打撃を与える前に敵が体勢を立て直す可能性がある。その上、ヨハンナ達は夜間における敵味方識別手段を持っておらず、まして暗視装置も持っていないので同士討ちの恐れが高かったのだ。加えて言えばキャンプ周辺はゲリラ達の勝手知ったる庭であり、夜目が利かずとも彼らは問題なく行動が可能であるが、初めて其処を訪れるヨハンナとサキは地の利が無い為不利であるのだ。

 払暁に攻撃を開始すれば、適切な攻撃方向であれば太陽を背にすることができ、敵は逆光で此方の姿を視認する事が難しく、逆に此方は太陽に照らされた敵を難なく視認する事が可能という利点があった。そしてなにより、明け方というのは最も人間の注意力などが鈍り、眠気が襲い来る時間帯であるので、奇襲攻撃を仕掛けるには最適解と言えたのだ。


「詳細は偵察結果が出てから練るが、大まかに言えば支援と侵入で分ける。敵味方識別が互いに容易じゃあないから、射撃区画はしっかり分ける。先に言っておくが、そのデカい銃を持った…ゴヨだっけ? アンタとサキが援護、私とアデラが侵入する」


「私も行くのか、お前たち二人、仲間同士で組んだ方が良くないか」


「アンタの銃はスコープも乗ってない。サキのライフルも照準器ナシだが、そっちに比べりゃ接近戦向きだ。アンタ、その銃で狩猟を?」


「偶には」


「射距離と獲物仕留めるのに使う弾数は平均してどれくらいだ」


「数えた事ない。なぜ聞く?」


「そうか、じゃあやっぱり私と一緒に来るべきだな」


 有無をも言わさずきっぱりと言い切ると、ヨハンナは食べ終わった缶やパウチを纏めて袋に放り込みきつく口を縛る。その上からもう一枚袋をかぶせ、匂い対策を十分に施した。この場に捨てて行かないのは国立公園の環境を汚さぬ為ではなく、ゴミから存在が露見する事を防ぐためと、単純に昔からそうしてきたが故の癖であった。

 サキの持つスプリングフィールドM1903はボルトアクションライフル、一方アデラの持つSKSは半自動カービンで、装弾数10発でクリップ装填とは言えどちらが接近戦向きかは言うまでもない。しかし、それ抜きでもヨハンナはサキを援護に回すつもりであった。本来の計画でもサキが援護、ヨハンナが突入して搔き回すつもりで、予定に変更は無しだ。


 その後は少しの食後の休憩を挟み、その傍らで通信、連絡手段の打ち合わせと合流地点の選定を行い、休憩を10分程度で切り上げて移動を再開した。ゴヨとアデラが先行し、後をヨハンナ達が追う。隊列は組まず、偵察行を優先して歩調を合わせる事はしなかった。どちらにせよヨハンナ達の足ではゴヨたちのスピードには着いて行けないのだ。

 天候は雲一つ無い快晴で月の光が明るく地上を照らしていたが、幾層にも重なる葉の天蓋は月の光を遮断し、ジャングルの中は暗闇で満ちていた。それでもゴヨとアデラは自身の庭とも呼べるジャングルを素早く歩く事が出来、ヨハンナ達も彼らほどでは無いにせよ暗闇に慣れた目である程度スムーズに進むことは出来ていた。

 再集結地点までの距離はそれほどありはしない。そこまで到達すれば、あとは少しの休息を挟んで敵を撃滅するのみ。出たとこ勝負、後は野となれ山となれといった具合だが、人足が増えた分勝算も増していた。


 生きて明日の夕陽を拝むことができるのは果たしてどちらか。いや、そんな疑問は不要だ。ヨハンナは向かう先の敵を撃滅し、夕陽どころか朝食にすらありつけさせぬつもりであった。

 ヨハンナは心に潜み、煮えたぎるタールの如く深く黒い殺意を抱きながら、闇に溶けていくのだった。





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