推しにリアルで会う件
そして目覚める。
電子時計に記された曜日がひとつぶん進み――約束の日がきた。
俺はおしゃれ着を着用して、指定された場所に向かった。奈幌市にある某アニメショップ。
腕時計を見て現在時刻を確認した。待ち合わせ時間の2時までもうすぐだ。
「……白いタートルネックと、黒いフレアスカート」
先に到着している可能性を考えて、光を回す灯台のようにぐるりと周囲を見渡した。今朝がた伝えられたその風貌に一致する女性を探した。
「を着た、黒髪ロングの女子大生」
どうやら彼女も大学生らしい。
「大学はどこなのかな。もしかして俺が通う大学の先輩。後輩だったり」
同じ奈幌住み。年齢もたぶん同じくらい。Vtuberの中の人のプロフィールなんてどうでもいいと思う反面、その事実に、口角がわずかに釣り上がる。
もう暫く待つ。退屈だった。なので路端で片耳イヤホンをつけて、微忘ルナの配信アーカイブを視聴した。ルナちゃんは可愛いなぁ。だらしない緩んだ顔でえへへと口を綻ばせて動画に没頭した。
注意散漫になっていた頃。
とんとん。誰かに肩を叩かれた。
「――失礼します」
「っ!」
どくんと心臓が響いた。今片耳イヤホンで聞いていた音声とまるで同じ声が、逆の耳からも聞こえた。
機械のようなカクついた挙動で振り向いた。
「もしかして『クロバナ』様ですか?」
「そそ、そうです!」
「よかった。人違いじゃなくて」
彼女はほっと安堵の息を漏らした。
相反するように、俺はごくりと息を呑み込んだ。挙動不審な態度。瞬きを繰り返しながら彼女の全身を舐めるように見た。
「あ、あなたはもしかして。えっと。その……」
艶めく濡羽色の長髪。繊細な美しい肌理。色濃い紫水晶のような綺麗な瞳。
何より特徴的なのは、花の鈴のように響く可憐な声質。
間違いない。彼女はきっと――。
「はい。わたしが『微忘ルナ』です」
ああやはり。
液晶越しに想いを寄せ続けた、俺の推し――その役者さんだった。
Vtuberのガワにも負けない美しい容姿。一方で、柔らかい目尻とあどけない顔立ちは、液晶のなかの彼女と相違ない印象を感じた。
「はは、はじめまして。いつも微忘ルナの配信を楽しく視聴させていただいて――」
激しく波打つ緊張に呑まれて、顔を真っ赤にさせて吃る。彼女はその様子をみて、くすくすと笑った。恥ずかしくてさらに顔をかーっと紅潮させた。
お、落ち着け俺。緊張するな。
彼女はあくまで中の人だ。微忘ルナじゃない。俺の推しじゃない。
自己洗脳のように何度も念じた。「ふーふー」と深呼吸した。その成果が出てきたのか、うるさい心臓の鼓動はようやく小波が波打つ程度に収まってくれた。切り替えるようにごほんと咳払いして、ふたたび彼女に向き合う。同じ台詞をもう一度言う。
「はじめまして。微忘ルナの配信、いつも楽しく視聴させていただいてます」
今度はちゃんと言えた。安堵の息を吐く。
彼女も「はじめまして。『クロバナ』様」と挨拶を返してくれた。挨拶コメントを打ったときの返事と同じ台詞に、またドキドキと息が乱れた。
お互い挨拶を終えたところで、彼女に「さて」と切り出す。
「せっかく愛しのクロバナ様にこうして出会えたわけですし。積もる話は色々ありますが……」
い、愛しの。
何気なく言われて俺はくらっと酩酊感を抱いた。
「一旦、静かな場所に行きませんか?」
「は、はい」
動揺が収まらないまま勢いよく首を振った。
確かにアニメショップ付近でこのまま会話を続けるのは通行人、お店側に迷惑だ。何より人通りの多いこの場所では、件の話の続き――プライベートな話ができない。
「ついてきてください」
一言そう告げて、彼女は踵を返してどこかに向かいはじめた。俺は金魚の糞のように、、彼女の誘導に従いその背中についていく。
そうして到着したのが、某カラオケ店。
少人数用の狭い一室。分厚い扉をばたんと締められると、途端、店内に響いていた音楽が遮音された。どうやら壁も分厚いらしい。隣の部屋の音すら聞こえない。
確かに静然かつプライバシーにも配慮された場所だ。それは間違いない。だけど正直、不用心だな、と思った。客観的にみて俺は所詮『インターネット上で知り合った怪しい異性』である。ルナちゃんは年頃の女子なんだからもっと警戒すべきだ。――と思ったけど。そういえばこの子、俺のことがなぜか好きなんだっけ。未だに現実感が無い。
「早速ですがクロバナ様」
お互い向き合う形でソファーに腰掛けた次第、神妙な雰囲気をまとう彼女はそう切りした。――今から、その話をするのだ。
「この間の話。お考え直しいただけましたか?」
「ああ。その事なんだけど――」
この数日間、知恵熱が出そうなくらいその事をずっと考えていた。告白を承諾するか、断るか。結論として俺は、
「ごめんルナちゃん」
先日のDMのやりとり同様にそう言って頭を下げた。
「……」
振られた彼女は、顔色を誤魔化すように頭を垂れた。横隔膜にふれて腹式呼吸する。
「理由をお聞きしても?」
「俺、実は好きな人がいるんです」
「っ。そ、そうだったんですね」
「だから、気持ちは嬉しいけど……ごめんなさい」
「なるほど。でしたら仕方がありません……」
彼女は日本刀みたいに柔軟で真面目な性格だ。それはリアルでも同じらしい。
芯が通った大胆な行動をする反面、圧力が加わるとぐにゃりと曲がる刀身のように引き際を弁えている。「流石にわたしも略奪愛を図る気は……」と、押しの強い態度が嘘だったみたいに儚く愛想笑いした。悲しそうに微笑むその姿はなんとも痛ましい。
正直こうして対面してもなお、先日の告白はやはりジョークだったんじゃないかと一抹の疑いを抱いていた。しかしいまにも零れ落ちそうな目尻に溜まった涙をみて、その疑念はようやく霧散した。信じられないけど、彼女はほんとうに俺みたいな一般リスナーに好意を寄せていたのだ。せめて未練が残らないようにしてあげよう。『好きな人』の名前を上げることで、すぱりと想いを断ち切る。
「俺、ガチで『微忘ルナ』のことが好きなんだ……。だから、あなたとは付き合えません。ごめんなさい」
「……はい?」
彼女は呆然と首を傾げた。
聞こえなかったのかな?
「俺、ガチで『微忘ルナ』のことが好きなんだ……。だから、あなたとは付き合えません。ごめんなさい」
動画を巻き戻すように、一言一句、同じ台詞を言った。すると彼女は、頚椎が折れそうな角度でさらに首を傾げた。なに言ってんだこの人、と言いたげな表情。
「わ、わたしが微忘ルナですよ?」
彼女は戸惑いながらそう言う。
俺は眉間に皺を寄せた。まあ、そう仰る気持ちはわからなくない。
「えっ。違いますよね? 微忘ルナじゃないよね」
「いや微忘ルナです、わたし。貴方だって、さっきルナちゃんって」
「便宜上そう呼んだだけです。本名知らないし」
「え、えっと……」
頭のおかしい人を見るような視線を向けられた。失礼な。
「もちろん、あなたが微忘ルナの役者さんってことは理解してます。声も同じだし。今更それは疑いません。……そう理解したうえで、あなたが微忘ルナじゃないと認識してます」
「なら、どうして」
「そんなの、決まってますよ」
俺は咳き込む。そしてまるで格好付けるように、
「――バーチャルはバーチャル。リアルはリアルだから」
面倒臭い持論を展開した。
バーチャルとは――Vtuberとは何たるか。
仮にそういう問いを投げられたら俺はこう即答できる。「バーチャルとは、現実とアニメの中間にある2.5次元。そしてVtuberとは、2.5次元に存在する配信者ないしキャラクター」だと。
「『Vtuber』と『Vtuberの中身』は完全別物だと思ってるんです。だってそうでしょう? 微忘ルナ含めて彼女達には、普通の配信者には無い素敵な魅力があるんだから」
Vtuber界隈にはアンチが多い。
所詮は可愛い絵を纏っただけ。話がつまらないうえに素顔も汚いから綺麗な絵に依存したアイドル営業、馬鹿なオタクを騙すようなキャバクラ営業しかできない、などと――奴らは口裏を合わせたようにそういう批判意見を叩く。
だが俺は、それは違うと全否定したい。
「そりゃあ結局は『ガワ一枚』の差なんでしょうが。でもこの差ってかなり大きいと思います。ほら窓一枚締めるだけで外の雑音がけっこうマシになりますよね? あれと同じです。ガワという窓を挟むことで、現実との繋がりが遮断される。配信枠が閉じた異世界になる」
「……っ?」
「わかりませんかね?」
うーん。難しいな。
俺は深呼吸した。ごちゃついた頭のなかを纏める。
「つまり――Vtuberって異世界人なんだと思います」
「い、異世界人ですか?」
「はい。あくまで、俺らリスナー視点では」
彼女は困惑していた。
下手な例えだったかもしれない。不安になったけど、ええいままよ、と話を続ける。
「別世界、別次元で生きてる存在がVtuber。そこが、現実に生きる普通の配信者との一番の違いかな? まあ中には『東京に住んでます』って公言してる人もいますけど……。それは逆異世界転生、ってことで……」
ちらっ、と彼女の顔を伺った。
異文化の食べ物を咀嚼するような、味覚の違いに戸惑うような難しい顔だった。
「俺はそう信じています。いや、信じたいんです。彼女達は異世界人だと」
「……。だから、わたしが微忘ルナだと、否定すると?」
「否定というか。あくまで『微忘ルナの中身』だと区別したい、って事です」
「面倒臭い考え方ですね……」
「まあ自覚してます」
オタクとは面倒臭い生き物だ。重度のVtuberオタクの俺もそれは同じ。
毅然たるその主張に、彼女は辟易としていた。「まあ理解できないこともない? ですが」畏怖するような眼差しを向けられた。
切り替えるように咳き込む。
「それに、俺たちはなんだかんだ『初対面』ですから」
微忘ルナとの付き合いは1年ほど。デビュー配信した頃から、俺は微忘ルナを応援していた。
でも先述した通り、バーチャルはバーチャル、リアルはリアル。
だからあえて強調して初対面と言った。
「俺たちはお互いをまだなにも知らない。本名だって。名前も知らないような『他人』にいきなり付き合いましょうとか要求されても……ふつうは断りますよね」
俺たちが『Vtuberとリスナー』の関係という事を加えると難解な問題になるから一旦置いといて、常識的なことを言った。言外に「リアルで会う前に、もうすこし踏むべき順序があったよね?」という指摘も孕んでいる。
上から目線で諭すような言葉が続いたせいか、彼女は不機嫌にむくれた。
特に、他人、と言った時。
なにか琴線に触れたみたいに、眉尻をぴくりと動かしていた。
「……。胡桃沢心音(くるみざわここね)です」
「えっ」
「わたしの本名」
突然名乗り上げた。
「貴方の本名は?」
「お、俺は早乙女真守……」
「では真守くん」
馴れ馴れしく本名呼び。まあ苗字嫌いだからいいけど。
「これでもう他人とは言わせません。名前だって知ってるし」
彼女――胡桃沢は意趣返しのように胸を張った。
押しが強い。瞬時に間合いに踏み込み距離感を詰められてこちらが対応する前に、有効打をばしんっと叩かれた。「か、かもだけど……」尻餅をついたみたいに、目を丸くした。
胡桃沢はさらに追撃する。
「何度も言いますが、わたしは貴方をお慕いしてます。バーチャルだろうとリアルだろうと関係ありません。クロバナ様であり真守くんである『貴方』をお慕いしていると、自信をもって言えます」
怒っているように捲し立てる。
「――まあたしかに、貴方の言い分もわかります。わたしと貴方は、今日会ったばかり。バーチャルでの長い付き合いを一切考慮せず『他人扱い』してくれたのは薄情かと思いますが、ともかく、リアルではそれが純然たる事実。はい認めます」
「え、えっと。怒ってます?」
「怒ってません」
胡桃沢はにこりと微笑んだ。綺麗だけど怖い。
「でも、わたしは悲しいです」
溜息とともに目を伏せる。
「真面目な告白を軽んじられたことが。煙に巻くような適当な言い訳を並べ立てられたことが」
「別に適当では……」
あれらの主張はすべて本心だ。
俺は微忘ルナを愛する男。目前にいる胡桃沢心音はたしかに微忘ルナの中身で相違ないんだろうけど。俺の認識ではふたりの存在は符合しない。ガワ一枚分、絶対的な差異がそこには存在している。現に俺の想い。微忘ルナにむけた恋情に似た淡い気持ちは、胡桃沢に会った以降も、一切濁っていない。
改めてそういう想いを説明すると、
「適当に決まってます」
彼女は目尻を寄せて否定した。
「だって、きみは――わたしのガチ恋勢だから」
「だからそれは、微忘ルナに対する想いで」
「だから! 微忘ルナはわたし」
「はい。だからそれは認めていて――」
その上で、微忘ルナと胡桃沢さんを区別したい。
焼き増しのようにその主張を繰り返したが、なかなか納得してもらえない。
胡桃沢の額に小粒の汗がみえはじめた。酷使した声帯を労わるように喉をさする。ドリンクバーで注いだメロンソーダをごくごくと呑む。一瞬苦い顔を浮かべたかと思えば、なにを抑え込むようにお腹をさすり温めた。
「……わかりました。では、こうしましょう」
胡桃沢はいきなり声を静めてぼそりと呟いた。唐突に掌を前に置かれた。
「真守くん。スマホだしてください」
「えっ? あ、はい。どうぞ」
「ロックも解除して」
「いったいなにを……」
「はやく」
「あ、はい」
胡桃沢は差し出されたスマホを操作した。なにをされるのかわからない。こわい。暫く経過した頃「はい、どうぞ」とスマホを返された。
画面を見る。メッセージアプリが開かれていた。
「勝手ながら友達登録しました」
「あ、ほんとだ」
数少ない友達欄の一番上に『ここね』が登録されていた。
「今後はこちらから連絡します。そのつもりで」
「えっ。DMは? 微忘ルナの」
惚けた顔でそう言う。
「――」
胡桃沢は不機嫌に唇を尖らせた。深く息を吐いた後。
「『恋敵』に塩を送るような真似はしません」
と呟いた。
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