推しとデートする件


 奈幌市の市街をゆっくり歩き続けた。地方都市なだけあって遊べる場所は多い。とはいえ、お互い好きな場所となると、やはり選択肢は無難所に狭まるだろうな、と思った。

 しかし、思った以上に、俺達のウマが合った。「どこ行きたい?」と尋ねると「アニメショップとか」と返事が返ってきた。最初こそオタクの俺に気を遣ってくれたのかな? と思ったが、どうやら違う様子。アニメショップの店内を回る彼女の瞳は、まるで宝箱をみた子供のように燦々と輝いていた。



「わたし、幼少の頃はアニメはゲームで育ったんです」

「へー。そうなんだ」

「生まれつき肺機能が弱くて……。今はもう大丈夫なんですけど、昔はそれでよく入院してました。入院中はわりと暇なので、兄さんに頼んでレンタル屋でDVDを借りてもらったり……あと、パソコンを借りてシナリオ系のゲームしたり」

「シナリオ系のゲーム」

「つまり、ギャルゲーとかエロゲーです」

「ぶっ」

「一番好きな作品は、Keyの『planetarian』」

「ま、まあ良い作品ですけど」



 良家のお嬢様じみた風貌の彼女からギャルゲーの名前がでたことに、一瞬尻込みした。……まあ彼女にそういう男性的趣味があることは知ってたけどね? ルナちゃんがたまに雑談配信でギャルゲーを熱く語っているから。

 実は俺もそういうゲームは好きだったりする。ルナちゃんを通じてエロゲーを買い漁り、いまでは立派なビジュアルノベル好きに染まった。

 最初こそリアルの女の子とのそういう会話に躊躇してモニョモニョと話していたけど――話しているうちに徐々にヒートアップしていき、最終的には店員さんに睨まれるほどエロゲーギャルゲー談義で白熱した。アニメショップを出た後も然り。軽食屋に回りクレープとかを食べ歩きしながら、小時間、オタクトークで再び盛り上がった。

 共に楽しい時間を過ごして心理的距離感が狭まったせいか――「胡桃沢さん、この間さぁ」と、無意識に、敬語が鳴りを潜めていった。少しづつ、女友達と話すみたいな、気軽な口調に切り替わる。

 緊張感の緩みを自覚した時。



「ルナちゃんの配信に来てるみたいだなぁ」



 俺は無意識に、ぼそりと呟いた。

 言った後に、はっと冷静になった。



「いやいや違う。勘違いするな」



 ノイズのようなその思考を払いたくて首をぶんぶん振った。胡桃沢はそんな俺の奇行をみて「……っ?」ちょっと引いていた。

 俺は胡桃沢のことを睨みつけた。



「勘違いしないでほしい。胡桃沢さん」

「えっ。なにを?」

「現実に存在している時点で、きみはルナちゃんじゃない。あくまで超似てる別人……。そこんところ、ぜったいに勘違いしないでよね!」

「どうしたんですか真守くん。急にぷりぷりと腰を捻りだして」

「べべ、べつにぃ? ふんだっ」



 狼狽えるあまり、一昔前のツンデレみたいな口調でウザ絡みしてしまう。

 落ち着こう。現実と空想の認識に不具合が生じてだいぶ頭がおかしくなっている。とりあえず深呼吸だ。大袈裟に口を窄めて、スぅぅ、と掃除機みたいな音を立てて空気を吸引した。それを見た胡桃沢はぼそりと「きもっ」と呟いた。



    ☆



 夜の兆したる淡い夕闇。春夕らしい穏やかな色味に染まる空には、目を凝らさないと見えないほどうっすらと朧月が浮かび上がっていた。

 胡桃沢が指定したデート終了時間を思い出した。たしか『月が浮かぶ間まで』と曖昧な言い方をしていた。俺は浮かぶ月を指差して「あのさ。胡桃沢――」と切り出そうとした。だが言い切る直前に、



「真守くん。あそこ行きませんか?」



 袖を引かれて、声を被せるように提案された。

 指差された方向に目を向けた。レトロな雰囲気漂う看板。公共交通機関の中心たる奈幌駅の傍に立地するその大きな建物は、有名な某家電量販店だった。



「実は、買いたいものがあって……」

「ああ、かまわないよ。行こうか」



 願い込むような上目遣いを向けられて、直前の言葉を呑み込んだ。別にこの後、急ぐ予定もないし構わない。

 俺達は家電量販店に入店した。

 なにかを探して首を振る胡桃沢。それを見て、俺は尋ねる。



「なにを買いたいの?」

「マイクです。配信で使うやつ」

「えっ。なんでマイク?」

「音質、もっと良くしたいな、と思っていて」

「なるほど」



 微忘ルナの配信の音質は、お世辞にも高音質とは言えない。とはいえ聞くに堪えない音質、ってわけでもない。フツーに違和感なく聞ける程度には、まあまあ、悪くない音質だ。

 一瞬口から出かけた「今のマイク、そんな悪い音質ではないよ。高い買物なんだし。故障してないならまだまだ現役いけるんじゃない?」という提案を呑み込んだ。リスナー目線でいえば、機材交換による音質向上は良い事だ。なにせ声の解像度が上がればそのぶん推しの声の魅力も実質増幅する。鼓膜がさらなる甘美を享受できる。――なので、申し訳ないけど、余計なことを言う口は塞いでおく。

 マイクの売り場を探して店内をふたり歩いた。ゲーミングコーナー付近行くと「あっ、見つけた」と胡桃沢は足を止めた。



「うーん。たくさんありますね。どれが良いのか……」



 スペック表に書かれた機能性と値札をみて、胡桃沢は小首を傾げて唸っていた。音響機材にあまり詳しくない様子。

 どうしようかな。聞かれてないことを指示厨みたいに言って、ウザいなぁ、とか思われたくないけど……。いや。知識がある癖に杞憂して、木偶の坊みたいに横で突っ立って口を閉ざしているのも、それはそれで薄情か?



「ごほん」



 と、わざとらしく咳払いした。



「胡桃沢さん。いま使っているマイクって、どんなやつ?」

「これです」



 売り場にあるマイクに指を差す。

 雪のように白い筐体。ゲーミング用途らしく多色に発光する収音部位。内部に息吹かれ対策としてポップフィルターを内蔵しており、しかも音量調整機能まで筐体に備わっている。接続方法は、差すだけで簡単に繋がるUSB接続。

 女性受けする可愛い外装と、PC初心者に配慮した便利な機能性。

 実際に『女性ストリーマーにおすすめ!』ってPOPで販促されていた。

 値段は約1万円。



「マイクのことはよくわからないけど、可愛いし、値段もそこそこだし、良い音質なのかなって思って買いました。実際そこそこ満足してるんですけど……。有名な大手企業勢さんの配信の音質と聴き比べると、やっぱり、すこし見劣りするかなぁ? と感じまして」

「それはしかたないよ。大手企業勢の音響環境は、10万円以上は軽くあるから……」

「むむっ。流石ですね」



 10万と言う桁を聞いて、やはり強者は道具にもこだわるのですね、と感心を示すように胡桃沢は何度も頷いた。



「ところで、真守くん妙に詳しいのですね」

「俺、Vtuberさんが使う機材調べるの趣味なんだ」

「へー」

「特にマイクは超重要だよね」



 Vtuberの美声を世に伝える道具。それこそがマイクだ。

 ノイズの多い酷い音質だとそれだけで、もったいないな、と感じてしまう。

 逆に、快晴の空みたいに蒼く澄み渡った高音質だと、Vtuberのさんの話術により構築される世界観に、鼓膜を通じてつぶつぶと浸かれる。それこそ、彼女達が存在するリアルとは異なる美しいバーチャル世界に、意識だけダイブするような……ノイズがない配信を聞くと、そんな浮ついた高揚感すら感じる。

 配信における音質の重要度を、彼女が軽く引くほど熱弁した後。



「あっ、それと」



 思い出したように言う。



「実は昔、DTMしてた時期があるんだ。ちょっとだけ」

「DTM」

「要するに作曲のこと」



 自分でマイクは購入しなかったけど、いつか必要になるかも、と感じて作曲を嗜んでいた当時に音響機材のことを調査していた。その一環でマイクの知識を得た。

 照れつつ、そう言うと。



「おー! 作曲っ! 真守くんの作った曲、聞いてみたい!」



 瞳を輝かせてお願いされた。

 曲を聞かせてと言われてると自信がなくて、俺は尻込みしてしまった。



「いや、本当に『ちょっとだけ』なんだ。具体的に言うと一か月くらい。だから作れた曲も一つしかないし……処女作だから、かなり拙いし」

「拙いとか気にしません。聞きたい!」

「と、言われても……」



 気になるのは俺なんだが。

 眉を顰めて露骨に嫌がる仕草をみせたが、押しの強い彼女には通用せず何度も「聞きたい聞きたい!」とせがまれた。反面、俺は押しに弱い性格だった。最終的には押しに負けて渋々といった顔で、



「まあ、機会があればね?」

「やった」



 と答えてしまった。胡桃沢は小さくガッツポーズして喜んだ。

 閑話休題。

 マイクの商品棚にまた向き合う。



「良い音質を目指すなら……。ここにあるマイクじゃあ、力不足かもなぁ」

「そうなんですか?」

「うん。ぜんぶUSB接続だからね。PCとの接続が簡単だから初心者向けではあるんだけど、この方式じゃあ、専門的なXLR接続と比べて格段に音質が悪くなるんだ。内部に搭載されたオーディオインターフェースの性能が微妙で、ノイズが増し増しになる。2万円のスタンドアロンマイクより明確に音質が良いものを選ぶなら、XLR接続のコンデンサーマイクを選ぶべきかな。安価なサイドアドレス型じゃなくて、プロ仕様のDCバイアス型。ああでも安いDCバイアス型コンデンサーでも3万円程度しちゃうし、オーディオインターフェース必須だからそれの購入含めて4万円弱するし……しかもサイドアドレス型と違って雑に使えない、湿度管理しなきゃダメだから……初心者にはオススメすべきじゃないかぁ? いやでも。家庭用に作られた3万円前後の安いDCバイアス型は、意外と雑に使っても問題無いって噂に聞くし……。うーん。迷うなぁ」

「……っ?」



 急に詠唱をはじめたぞこいつ、みたいな引いた顔を浮かべる胡桃沢。しまった。得意な分野だからついオタク特有の早口を……。反省反省。赤らむ頬を誤魔化すようにごほんと咳払いした。



「とりあえず音響コーナーに行こう。歩きながらいろいろ説明するから」

「あっ、はい」



 二階の音響コーナーに向かう。その道中で改めてUSB接続とXLR接続の違いをぺらぺらと説明した。その終始、まるで耳に入ってくる未知なる言葉がすべて抜けて出ているみたいに、胡桃沢は「……っ?」と疑問符を浮かべていた。

 到着した。

 ショーケースの中に保管されている高級マイク。それらの値札を見て、胡桃沢は「うわぁ」と愕然としていた。



「お高いですね。ぜんぶ」



 一番安いマイクが1万円。一番高いマイクが10万円。

 値札をみて、思い出したように尋ねる。



「……今更だけど、お見積りはいくら?」

「3万円ほど、と考えてました」

「ならマイクは1万円代がベストかな……」

「えっと。オーディオインターフェース? も必要なんでしたっけ」

「そう。XLR接続のマイクはそれがないと使えない」

「難しいですね。やっぱり」



 音響コーナーに向かう道中に話した説明をまだ咀嚼し切れてないように、胡桃沢はうーんと唸った。困っているような仕草をみて、俺はようやくはっと気づいた。

 高音質を目指すなら絶対にこっちのマイクのほうがいい、と思ってお勧めしたけど……マイクはなんだかんだ高い買物なわけだし、理解が不十分なまま、強引に買い勧めるべきじゃない。思慮不足を反省した。



「……まあでも、難しそうならUSB接続でも良いとは思うよ? どちらにせよ高い買物だし。胡桃沢さんが欲しいやつを――」

「音質が良いのはこの棚のマイクなんですよね? でしたら、この中から買います」

「……そう? ならいいけど」

「おすすめ、どれですか?」

「そうだな。値段を気にしないなら……この組み合わせかな」



 指差してそれを示した。

 片方は3万円程度のマイク。

 青い筐体。頭の丸いキャンディーのような可愛い形状。女性受けしそうなビジュアルもお勧めしたい理由の一つだが、なにより、音質に定評があるマイクである。シルクみたいに滑らかな音質。その為、滑らかな質感の音であるヴァイオリンや女性ボーカルとの相性が抜群に良い。……花の鈴のように響くルナちゃんの可憐な声質とも、相性が良いと思う。

 もう片方は2万程度の配信用ミキサー。

 オーディオインターフェースとして使用もできる優れもので、音量調整はもちろんの事、ボタンを押すだけで出力音が反響するエコー機能まで備え付けている。配信者さんに人気のある一品だ。



「合計して約5万円」

「5万円。……お財布の中身がぎりぎり足りませんね」

「めちゃ高いからね。冷静に考えて」

「むぅ」

「オススメしといてなんだけど……やっぱ、他のマイクが良いと思う。たかが録音する機械に5万円とかマジで高いし、ぶっちゃけ、俺なら絶対買わない。ゲーム機買う」

「……」

「……まあ俺的には、このマイクを通したルナちゃんの綺麗な声を、聞いてみたいわけだけど」



 最後の台詞は、独り言のようにぼそりと呟いた。

 聞こえていたのか、胡桃沢の耳朶がぴくりと反応した。



「店員さん。このショーケースのやつください」

「えっ」

「クレカでお願いします」



 財布をまさぐりカードを出そうとする胡桃沢。



「ち、ちょっと待って!」



 早まった行動を制止させるように、彼女の肩を掴んだ。きょとんと振り向く彼女。説得するように、緊張感のある顔つきで無言の圧力をかけて、ぶんぶんと首を横に振った。しかし彼女はとまらない。財布を探りながら、にこりと笑顔をみせた。



「大丈夫です。わたしには『これ』があるので」



 胡桃沢はそう言いながら財布から取り出したそのカードを、見せつけるように、ひらひらと揺らした。高級感をまとい黒光りするそれを見て――俺は戦慄した。



「そ、それは……」

「会計お願いします」



 呆然として肩を掴む力が緩んでしまう。その隙を狙い、彼女は店員を呼んで商品を精算しに行った。購入した商品が入った手提げ袋を持ち、俺の元に戻る。



「真守くん。ありがとうございます。おかげで良い買物ができました」

「あ、ああ……」

「これ、重いから途中まで持っていただけます?」

「あ、ああ……」



 呆然としたまま、ビビり首を引っ込める亀のように頷いた。片腕に感じる5万円の重み。それを噛み締めながら、二人で店を出た。

 夕風が音を立てて吹く。その音のなかに紛らせるように、



「ルナちゃん、マジで『月のお姫様』だったんだなぁ」



 微忘ルナの初期設定を思い出し、感慨深げに、俺はぼそりと呟いた。


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